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【日常スケッチ】午後5時、埼京線、新宿始発

17時過ぎの埼玉方面の埼京線は、新宿始発だからか空いていて、発車数分前にもかかわらず、無事に席にありつけた。これが通常のひとの量なのか、それとも少ないのかはわからない。とりあえず、朝に乗った電車は混んでいた。


ニュースは繰り返し危険を伝えていて、時には不安を煽るためだけに選ばれたかのような言葉も飛びかっている。

淡々と事実を伝えてほしいのに、毎度懲りずにセンセーショナルの大売り出し。震災のあとのテレビを思い出す。

現在、我が家のテレビはなぜか映らないゲーム用と化しているから、今回はネットに流れてくる内容で想像するばかりではあるのだけれど、まあどういった雰囲気のもと伝えられているのかは容易にイメージできる。とりあえずわたしにわかるのは、「ああいうものにはすり減らされるだけ」。


「まあ、だいじょうぶでしょ」なんてたかをくくる気は毛頭なく、けれども不安押し売りセールに乗っていられるほど、わたしには日常を手放す余裕がない。飲み込まれたが最後、日々を送ることがしんどくなるのは目に見えている。じぶんのメンタルの強度に、あまり自信はない。(そして、バランスを崩しているばあいでもない)

だからこそ、現状と想定されうる未来についてだけ、淡々とした調子で知りたいのだ。知りたくないのではなく、冷静に知りたい。煽るトーンのものは、平常時でも苦手なのだ。


怖いものは正しく怖がりたいところなのだけれど、その「正しさ」って何なのか。落ち着いて対峙したいけれど、無理に平静を装いたいわけではないし、他人にそうあれとも思わない。ただ、やみくもに不安に絡め取られるのだけは避けたい。

パニックは目の前を曇らせるから。見て、聞いて、考える。その余地を残しておくことは、わたしがわたしを保つために必要だ。思考を手放すのは楽なようでいて、わたしにとっては実は結局つらいことなのだと、昔の経験からわかっている。


今日も仕事に行けて、カフェのコーヒーは美味しく、ひととの会話は楽しく、空気はあたたかで散歩日和だった。たっぷり歩けた時間が、じぶんのなかに余白を作る。たいせつな余白だ。

備えられることには備えて、だけど余白にまでぎゅうぎゅう詰め込んでしまわないように。いい塩梅の緊張感をもって、わたしはわたしと子どもの日常を回していきたい。

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卯岡若菜
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