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引越しを機に、生活を取り戻す
引越しをした。旧宅と新居の距離は、徒歩約5分。近距離ではあるものの、冷蔵庫や洗濯機を自力で運ぶことはできないため、引っ越し業者に一部作業をお願いした。
業者による引越し作業は、ものの1時間半程度で呆気なく完了。鮮やかで爽やかな作業だった。
現在、わたしはそんな新居のリビングでひとり過ごしている。隣の部屋では子どもたちが初めてあてがわれた子ども部屋で眠り、もう一部屋にはパンダのダンボールがこれでもかと積み上げられ、並べられている。夫は今夜は旧宅だ。
結婚して三軒目になるこの家に、恐らくこの先長く住むことになるのだろう。決して広いわけではないけれど、これまでを思えばずいぶんと広くなった。もしかしたら、ほぼ育児が終わる頃まで暮らしていくのかもしれない。とりあえず、我が家にマイホーム購入予定はない。
◇
幼い頃、「大きくなったら大工さんになりたい」と言っていたことがあるくらいには、家に並々ならぬ思いがある。誰が教えたのか「豪邸」という言葉を幼稚園時代には知っており、「ごうていをたててあげるね」だなんて親や祖父母に言っていた。
新聞の折り込みチラシの間取り図を見るのが好きで、お家探訪番組が大好きだった。親がマイホームの購入を検討しだした頃は、週末にモデルルームに出かけられるのを楽しみにしていた。インテリアも好きで、某ショップで働いていたこともある。
けれども、今のわたしはマイホームにはさほど興味がない。
子ども時代のわたしが夢見ていたのも、実は「こういう家」ではなく「こういう暮らし」だったのかもしれない。別に何から何まで手間ひまをかけて作られていく「ていねいなくらし」が理想、というわけではない。そうではなくて、でも自分の地面にきちんと根差した暮らし、というか。
その時々をそれなりに必死に生きてはきたのだけれど、それでも生活がずいぶんとおざなりになっている現状を否定できない。「でも」とか「だって」と弁明したくなるけれど、その「でも」や「だって」は、家族だけではなく、わたしからも何か大切なものを奪っていくような、そんな気がする。
◇
「家は勝手にやすらげる場所にはならないんだよ」
引越し準備をしながら、夫に言った。前回の引越しのときには、長男がまだ1歳になりたてで、実家から母が2日間手伝いに来てくれたのだ。だから、夫は必要最低限のことしかしなかった。せずに済んだ。その後の片付けも、当時専業主婦だったわたしが家事育児をしながら行ったから。
今回は、引っ越しが決定した瞬間から「ひとりでは絶対やらない」宣言をし、あれやこれやと「任せた」「頼んだ」と手放した。結果、業者の手配が遅れたり、ガスの開栓手続きが遅れたりと「おいおい」な事態も多々発生しているのだけれど、まあそれはそれでいいか、と思っている。
新居の片付けも、旧居の掃除も、まだやることは山積みだ。それらも、「ひとりではやらないからね」と釘を刺しまくっている。
「洗面所のボウルは勝手に綺麗にならないし、乾燥機をかけたらフィルターを掃除しなければこれも自動で綺麗にはならないし、お風呂の排水口だって洗わないとすぐ汚れるんだよ」
これから、について話しながら言う。「結構家のことをやるようになった」と豪語する夫に、「こういうこと、やったことなかったでしょ」と尋ねると、「あー」と苦笑された。
わたしが家事を無理してやらなくなってから、旧居は荒れに荒れた。当時はそれで揉めに揉め、おまけにわたしは「できなく」なってしまったことで自責と自己嫌悪の嵐を呼び寄せてしまっていた。ずっと家を整えることは「わたしの役目」だったのだと思う。働き始めてからも。
今は、「わたしがやらねば」からだいぶ解放されたのか、「いかにこれまでわたしがやっていたかがわかったでしょ?」と偉そうに過去の自分を褒め称えられるようになった。……まあ、そんな昔のわたしも、そこまで褒められるほどやれてはいなかったのだけれど。
とはいえ、家を整えることはわたしだけの仕事ではない。子どもたちにも、「この家に住んでいる人全員がやるべきことだ」と口癖のように言い聞かせている。
◇
落ち着いて仕事ができる場所があって、時にはコーヒーやお茶で気持ちよく一服したい。読書や映画を楽しんで、時々生活ペースにブレーキをかけたい。
「家」に願うことはささやかで、けれどもこのささやかな願いすらおざなりにしてきてしまった。それくらい乱暴に手放さなければならなかったともいえるのだけれど、結果的に生活をぞんざいにすることは自分にとっても良くないなあと思う。
少しでもおだやかに、健やかにいられるように、おだやかで健やかな時間と空間を取り戻したい。そのためにも、まずはこちらを見つめてくるパンダの群れに、何とか早く撤収していただかなければね。
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