それは破壊兵器であり、命を救う水でもある
人は誰かのためにこそ強くなれるのだと、何かで目にしたことがあったと思うのだけれど、それが何だったかは、今のわたしは憶えていない。
けれども、この言葉は真実だ。少なくとも、わたしにとっては。
心ない、言葉を浴びた。
浴びた、という表現は、正確に言えば少し違う。
その発言を繰り出した本人は、そもそもこちらにその言葉を向けたかったのかどうかすら、定かではないからだ。
とにかく無責任なその言葉を、路上に唾を吐くようにして放り投げたかっただけなのかもしれない。
そこに、たまたまわたしたちが居合わせただけなのかもしれない。(それにしても、悪意がなかったとは言えないと思うけれど)
もしかすると、そこに深い意味はまったくなく、ただの悪ふざけだったのかもしれない。コンビニのアイス売り場に潜り込んで写真をTwitterに投稿した、学生のように。
……とまあ、先方の理由や事情など、どうでもいい話だ。事情を汲んでやる義務も、必要性もこちらにはまったくないのだから。
とにかく、その言葉により、わたしと、共に今活動をしている彼女は、ひどく傷ついた。
傷ついた、だなんて、あまり大人が大きな声で言うようなことではないのかもしれないけれど、傷ついたのだ。特に、彼女は通り魔にナイフで切りつけられてしまったのではないかというくらい、ショックと怒りを感じていた。
わたしはというと、沸々とした怒りすら抱いていたけれど、ショックで吐き気を催したり、腹痛を起こしたりすることは、なかった。
もともと、過度なストレスを与えられると肉体にすぐ症状が現れるタイプの人間だから、通常であれば思考回路が停止して、何も考えられなくなって沈み込んでしまって当然なことだったのに、だ。
だからといって、わたしが平気だったのかというと、決してそうではない。その証拠に、その言葉を見たときに、すぐにわたしは彼女に連絡を取っている。
でも、その直後のやり取りで、一気にわたしの背すじが伸びた。
彼女が痛みを負っている。
わたしは心をいっとき無にして、たぶんこの事態を流せる。
彼女が、それを求めたのではない。彼女は彼女で、自分自身の力で「こちら側」に戻ってこようとしていた。
だから、これはわたしが勝手にひとりで思い、ひとりで意識を変えただけだ。
結果、彼女の存在のおかげで、わたしは強くあれたことになる。
なんてありがたいことなのだろう。わたしは、ひとりでなくてよかったと感じていた。ふたりでよかった。その相手が、彼女でよかった。伴走者が彼女だから、きっとわたしは強くいられたのだ。
彼女が紡ぐ言葉はいつでも心地よくて、わたしの心に沁み渡り、揺らぎ荒れている心を、そっとなだめてくれる。
それはきっと、不安や、暗闇や、辛さや、生きづらさや、孤独なんかを、彼女がわかっている人だからなのだと思う。
言葉は、無責任に使うこともできる代物だ。
時にはナイフ以上に人を傷つけることだってできる。
空から無差別に降ってくる爆撃のように、不特定多数の心を殺すことだって、できるのかもしれない。
けれども。
わたしや彼女にとって、言葉は正義だ。(だと、思う。少なくともわたしにはそうだ)
言葉はおもちゃで、言葉は消毒液で、言葉は友達で、言葉は恋人で、言葉は命そのものだ。
言葉で救われたことがある。
言葉に生かされたことがある。
だから、わたしも、そういう言葉を発信できる人間になりたいのだ。
道は遠く、険しいだろう。
それでも、ひとりじゃない。そのことが、わたしを前に進ませる勇気を与える。
わたしは、わたしのためには強くなれない。だから、誰かと共に生きていきたいと思う。この道を歩いていきたいと、そう願う。
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