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#6 あえてスルーする必要性

先日、朝っぱらから子どもたちが用意をしなかったり喧嘩をしたりとややこしかった日に、夫が暴発した。

それまでにすでにわたしが叱り散らしていたので、偉そうなことは言えない。だけど、「いや、ふたりで怒るのはダメだろ」と思い、わたしが何とか怒りを抑えて送っていった。(本当は夫に送りを頼んでいた日だった)

夫は夫で、「そっちだって怒っていたくせに、俺が怒り出したら不満そうにするのはおかしい」と苛立ったらしい。送迎後、LINEには怒涛のメッセージがきていた。

わたしがそのLINEを既読にし、返したのは数時間後のこと。既読にしたときには、すでに多くのメッセージが消されていた。どうやら、感情のまま打ち込んだものを消したらしい。……わたしは通知ですでに読んでいたのだけれど。


「片方が怒っていたら、もう片方はいなす側でいたい」「同時に怒る側に立つと子どもの逃げ場がなくなる」「朝夕ずっと対応しているわたしと、朝だけの夫が同じキャパで怒りゲージ満タンになることにイライラしたのもあると思う」

こんな内容を返信する。それに対し、返信はなかった。


帰宅後も、夫は何も触れなかった。わたしも何も触れなかった。これまでだと「なんで何も返さないの」と思っただろうけれど、あえてスルーした。そのまま、何となく朝のことは「おしまい」になった。

次の日、夫は子どもに冷静に声をかけていた。(わたしは繰り返しの声かけで敗北し、またもや叱り散らしタイムに入っていた)

「読んでいたのだなあ」と思う。そして、変えていこうとしてくれたのだなあと。


夫婦は真正面から向き合う方がいいのだろうと思っていた。トラブルが起きたときには、きちんと対処しなければと思っていた。もっと受け止めなければ……と思いつめ、そして潰れた。去年のことだ。

夫婦によって適切なバランスはそれぞれ異なるけれど、少なくとも、今のわたしは、夫婦だからこそあえて距離を意識した方がいいのだろうなと思っている。

相手の感情に飲まれない。そして、わたしの感情をぶつけない。

相手に伝えたことに対して、何らかの返答を求めない。(返答がいるものもあるけれど)


とかくわたしを近くに置いておきたいのが本音だったらしい夫にとって、この変化は「冷たい」と思われるものだったかもしれない。だけど、感情的になって非生産的な喧嘩になるのも疲れるし、共倒れになるのも嫌だから、わたしはちょっぴり離れたところにいようと思う。

我慢は我慢で毒になるし、かといってクソ真面目に向き合い続けるのも、それはそれで毒になってしまうのかもしれないなあ。適度にスルーすることで、「わたしはわたし。あなたはあなた」でいられるのかもしれない。

夫婦歴は8年。付き合いだしてからは干支ひとまわりになるのだけれど、まだまだ迷走してばかりだ。


#エッセイ #コラム #雑記 #わたしのこと #日記 #夫婦

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卯岡若菜
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