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夫婦の「それでも」を知りたい

先週、イライラを加工も包みもせずにぶちまけたのだろうなというLINEが夫から送られてきた。

どうやり取りしても火に油で、最後はヤケクソになったのか放り投げられて終了。コミュニケーションも何もあったものじゃないやり取りに疲弊して、心が無になった。

その後、狭苦しい2DKで家庭内別居状態に陥った。元から生活リズムが異なってはいたのだけれど、顔も合わさなければ会話も皆無に。

接しさえしなければわたしの心は穏やかで、こう言ってはなんだけれど快適だった。

気持ちが落ち着いたからなのか、わたしの誕生日にどさくさに紛れさせたかったからなのか、夫がケーキを買って帰ってきた。LINEの文面もすっかり穏やかで、何もなかったかのようだ。

わざわざ揉めた内容を蒸し返すほど暇ではないし、エネルギーだってない。「そっちが態度を和らげるなら」と、わたしもふつうに接した。

メディアなどで触れる夫婦像は、「ラブラブ・仲良し夫婦」と「罵詈雑言・危機的夫婦」のどちらかに傾いていると感じる。

「いい夫婦」でイメージされるのは、いわゆる「おしどり夫婦」だろう。そして、対極にあるのが殺伐とした罵詈雑言・愚痴オンパレード夫婦。離婚秒読みだったり、離婚予定だったり、破綻状態の夫婦だ。

ただ、現実にはそのどちらにも振らないグレーゾーンな夫婦が多いのではないかと思う。特に、夫婦でいる年数が長くなればなるほど。加えて子どもがいればなおさらだ。

好きだとか嫌いだとかいう感情からはすでに遠ざかり、それこそ空気のような、というパターンもあるだろうし、悪感情が優位かもしれない。いいときよりも悪いときのほうが増えていて、つい愚痴のひとつ言いたくなってしまうような。ただ、それでも別れはしていないし、差し迫ってもいない。少なくとも、今の時点では。

離婚率が高くなっているとはいっても、みんながみんな離婚に踏み切るわけではもちろんない。たとえ妻側に経済力があったとしても、別れる判断を下すのは簡単なことではない、と思う。DVなど、決定的な離婚事由がない場合は。

外野は愚痴を吐く人を見て「別れたらいいのに」と簡単に言うことがあるけれど、なかなかどうして、単純な話でもないのだ。

なぜ夫婦でいつづける選択をしているか、自分でもよくわからない。けれども、それでも、関係をつづけている。わたしは、そうした等身大夫婦の「それでも」が気になる。

離婚するほうが面倒くさいだとか、不満がありながらも継続していることに何らかのメリットがあるだとか。身も蓋もない理由で夫婦をやめないケースもあるのだろう。

その一方で、すでに好きなわけではないけれど、かといって憎むところまではいかない、であるとか、絡み合った複雑な感情が縁をぶった切るところまではいかせない、なんていうケースもあるように思う。これを情と呼べばいいのだろうか。

祖父母や両親など、長く夫婦でありつづけたふたりには、何ともいえない雰囲気がある。なぜ別れなかったんだろうなあと思える夫婦もいるのだけれど、何かがあるのだろう。受容にしろ、諦観にしろ。

「何だかんだあるけど、それでも」を、知りたい。ひょっとすると、他人から見た「それでも」は尊いと感じられるものなのかもしれない。自分では近すぎるがために見えていないだけで。

きれいごとも見栄も、逆に誇張したディスりもない、夫婦の「それでも」。話を聞きたいなあ。

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卯岡若菜
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