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見えているのは多面体の一面に過ぎないかもしれないけれど、
長男、小学校2年目のスタート。クラス替えの結果、幼稚園年少から同じクラスの友達とのクラスメイト歴を更新した。
彼らは一歳になる前からの友達で——いや、元はといえば公園で母親同士が先に友達になったのだけれど、まあそれはともかく——、いまや名実ともに幼馴染だ。ちなみに誕生日が同じで、彼の兄と我が家の次男は漢字違いの同名。縁を感じざるを得ない。
もうひとり、同時期からの友達の息子くんも同じクラスになった。彼は四月生まれで、三月生まれの長男を助けてくれることも多い。彼もまた、長男の幼馴染だ。
わたしは幼い頃に引越しを数回しているため、長男にとっての彼らに相当する幼馴染はいない。一番古い友達は、最後に転校した小3のクラスメイトだ。まあ、それも十分長い付き合いなのだから、幼馴染といってもいい気がするけれど。
◇
長男にとっても、そして何よりもわたしにとっても、今回のクラス替え結果はラッキーだった。安心できる相手が身近にいてくれることは、非常に心強い。たとえ別の人間関係でトラブルに遭ったとしても、大丈夫だと思える人がいるだけで支えられる部分は大きい。
わたしにとっては、彼女たちふたりがそうした友人のひとりで、小3から今も付かず離れずの距離でつるんでいる友人ふたりもそうだ。彼女たち自身は何も思っていないかもしれないけれど、わたしはこれまで何度も支えられ、救われてきた。ありがたく、恵まれているなあと思っている。わたしも彼女らにとって、そんなひとりであれたらうれしい。
この人は、と思う人に好かれるとは限らないのは、恋愛も友情も同じだ。だからこそ、安心できる関係をくれる「この人」を大切にできたらな、と思う。片方だけではなしえないし、たとえ両方が互いを大切だと思っていたとしても、人間関係は流動的で、時に儚いのだけれど。
◇
何度でも思うのは、わたしが思うその人の印象を大切にしよう、ということだ。
最近、とある人に対する、まったく違う感じ方を共通の知り合い複数名から聴く機会があった。どの評判も、わたしのなかのその人のイメージと少し違っていたのだけれど、きっとどれも少しずつ本当で、少しずつ虚構なのだと思う。人は多面体だから。
わたしたちはさまざまな面を相手にさらけ出している。時に意識的に、時に無意識に、面を出したり隠したりしながら。すべての面は一度に見えない。すべてを見せないことは相手への裏切りではない。……時に意識的に嘘をつく人もいるけれど。
とある人から悪い評判を耳に入れたとしても、鵜呑みにしないでいたい。簡単に相手への感情を変えずにいたい。わたしの目で見たその人を、わたしはわたしの感覚で捉えていたい。
たとえ悪く感じた相手が友人であったとしても、それはそれ。その友人にとっては、その人はそういう人であったのだろう。わたしは、その人が少なくともわたしに安心をくれている事実を信じていたい。少なくとも、わたし自身が別の面を見て違和感を覚える日がくるまでは。そんなことを思える相手に恵まれていることを、あらためてうれしく思う。
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