#7 かわいく頼むなんてできない
夫が家事や育児に非協力もいいところだった時期のこと。わたしは高さ180cm、幅50cmほどの本棚をひとりで組み立てた。
そのことを、何とはなしに友達(ママ仲間)に話したら、「そこで頼らなきゃー!」と言われて、「ええ……」と思った。
「できない。やって♡」という妻の方が、夫は頼られていると思ってやる気が出るよ、ということだった。うーん、まあ、頼られたら嬉しい、という気持ちはわからなくもないけれど、でも、その内容は別に本棚でなくてもいいじゃない、というのがそのときの気持ちだった。
いやまあ、わたしの体格で本棚をひとりで組み立ててしまうのは、もはや何でもやれてしまうのではと夫に思わせてしまう可能性はあったかもしれない。(痩せ型・約157cm)
でも、別に夫が頼りないから組み立てたわけではなく、わたしは昔から木工作が好きだから、自分でやりたいだけだった。加えて、さっさと本を並べてみたかった。深い理由なんて、何もなかった。
「うまく頼らなきゃ」「甘え上手にならなきゃ」が苦手だ。そもそもが甘え下手なので、甘えた方がいいなら、むしろ甘えさせ上手になってくれよと思ってしまう。甘えたくないわけではなく、むしろ甘えたい欲求はあるのだけれど、恐らくわたしはもう夫に甘えられないだろうなあと思っている。
既婚先輩(50代オーバー女性)にちらりとそうした旨を話したら、「それは甘えらんないわあ」と同意されたから、わたしが特段偏屈だというわけではない、と思いたい。「母は強し」にならざるを得なかったし、そこで甘えさせてくれる状態になかったわけだから、わたしはひとりで強くならざるを得なかった。強くなれたかは別として。過ぎた時間は戻らない。仕方がないことだよなあと思う。
今、夫に甘えるとしたら、「ごはんを作ってくれええええ」かもしれない。作ってくれないけれど。本棚をひとりで作る妻と、料理が得意な夫。ありだと思うのだけれどなあ。作ってくれないけれど。
こういう態度がかわいいのだろうなあという言動はわかるのだけれど、自覚した上でその態度は取れない。「誰だよ、キャラじゃないよ」という思考でいっぱいになって、ブレーキがかかるから。
そして、そもそも、か弱い風をわざわざ装わなければ手助けをしてくれないなら、もはやそんな手助けはいらないなあとも思ってしまう。別につっけんどんにお願いしたり、命令したりしているとかではなくてね。
ふつうに「やってー。助けてー」でいいじゃん。なぜ、自力で開けられる瓶の蓋をわざわざ開けられないふりをして「やって♡」と言わねばならないのか、夫相手に。と思う。わたしのかわいげは行方不明でもあるけれど。
しっかり者は装えるけれど、かわいい女の子は装えないのだよなあ、昔から。母が天然ちゃんで、妹がいる姉で、友人のなかでもなぜかしっかり者ポジションでいることが多かったから、染みついているのだろう。致し方ない。
あ、ただ、デレが極端にないツンなので、「この人好きだ……!」となる人(かつ甘えさせるのがうまい人)にはデレられることもあるのだよなあ。美人年上女性とか。(昔の知り合い)
「こうした方がいいよ」という計算された人柄を演じられない。伝え方は考えるけれど、わたしはわたしでしかないし、わたしにしかなれない。「こうした方が」をはじめてしまうと、無理がくると思うのだけれど、みんなそんなにうまくやれるものなの?やっているものなの?
拗らせている感じがひしひしとするなあ。いい歳なのに。でも、やっぱりかわいげをわざと演出する気にはなれないな。まあ、重ねてになるけれど、そもそもわたしのかわいげは行方不明なのだけれどね。
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