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カジュアルに飛び込め

小学6年生の頃、クラス全員に表彰状を送ろうという話になった。何を表彰したいか、一人ひとりが全員分の内容を考えて、それを担任が取りまとめた。卒業前、わたしが受け取った表彰状は「人が嫌がることもやるで賞」だった。


確かに、わたしは人が嫌がることをよくやるタイプだった。校内祭りでお化け屋敷をしたときには口裂け女役をしたし、クラス劇では老婆役を引き受けた。どちらも誰もやりたがらず、クラスメートや先生に言われて「じゃあやるわ」と引き受けたのだ。

学級委員もそうだ。周りや先生から「やってみない?」とか「やってくれない?」とか「向いてると思うよ」とか言われては、その言葉に乗ってきた。なかには「おだててやらせてやろう」と狙っていた人もいたのかもしれない。


ただ、どれもこれも、わたしにとっては「嫌なこと」ではなかった。続く中学生活でも学級委員をいきなり務め、その後生徒会役員を3期続けてやったのだけれど、それも別に嫌ではなかった。「やってみない?」と言われて乗ってみたら楽しかったから、そのまま続けて何度かやってみただけだ。最終的には「実は楽しいんだよ」と友達を誘い入れてもいる。


やってみる前から嫌だ嫌だ向いてないと避けているのは、新しい可能性をはなから潰していってしまうようで、ちょっともったいないよなあと思っている。自分の好きとか適正は、自分の知っている範囲内からしか見つけられない。新しい世界に飛び込んで、これまでと違った経験をしてみなければ、好きの範囲を広げることはできないのだ。


いつだって、明確にしてきたのは「嫌」だった。ここだけは嫌、これだけはやらないだけをはっきりさせておいて、それ以外であれば機会に恵まれたらやってみる。やってみて「あ、ダメだわ」と思えば「やらないエリア」に加えればいい。でも、意外と「やらないエリア」は増えないような気がしているし、増えても別にいいのだ。だって、今後の選択に活かせられるのだから。


そんなわけで、仕事においても「『やらない』以外はやってみる」を繰り返していたら、流れ流れて「なんかいつの間にかこの手の仕事が多くなったなあ」「別の仕事に活かせる仕事が増えたなあ」に辿り着いた。昨年はファシリテーターもやってみたし、今月はイベントに登壇者として参加する。内なる自分が「無理無理無理、人前で話すようなレベルの人間じゃないよ」とジタバタしたし、今もまたしているのだけれど、どちらもお声をかけてくれた方の話を聞くと「やらないエリア」には入らなかった。

辿り着いた、と書いたけれど、もちろんいつだって道半ば。まだまだこれからどこへどう流れていくのかはわからない。持ち前の好奇心を活かして、チャンスがあれば飛び込んでみる、を続けたい。その道のオタク(専門家)気質ではないわたしにとって、その姿勢が一番自分を生かせるスタイルなのだと思っている。

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卯岡若菜
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