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心身健やかな生存ルートを歩みたいよ、こんな暑い夏だから

あれよあれよという間に今年も下半期に入り、オリンピックも終わり、世の中はお盆休みに差し掛かっている。

毎月毎月、月末に「今月、もう終わっちゃう!!」と悲鳴を上げてはTwitterに投稿するのが恒例行事化しつつある。最近はそれに加えて「暑い」ばかりツイートしている気もする。

考えざるを得ないことは山ほどあるのだけれど、どれもこれもいまいち自分の中ではっきり言語化しきれていない。断片がほわほわふわふわ浮いていて、油断していると収拾のつかなさに心が丸ごと巻き込まれてしまいそうになる。

受け取って、自分の中に入れて、味わったり苦味に耐えながら咀嚼したりしながら一旦飲み込んで、そこから言葉にしようとするのだけれど、「美味しい」とか「不味い」とか単純なところで止まってしまって、その先になかなかうまく進めない。「美味しい」や「不味い」だけを放り投げるのも何となく気が進まないから、そのまま後味を延々と感じながら「ふうむ」と考えつづけることが多い。

自分の中で整理し切れていないから、言語化を試みたところで話の筋が四方八方に広がってしまう。「いや、だってこういう見方もあるよね」「こう思いはするけど、考えが浅い気がする」「いやこう言葉にしてみたけど、でもこうとも言えない?」

……。

お世辞にも強靭なメンタルを持ち合わせてはいない。
キャパシティもそれほど大きくはない。

そのくせ、受け取ってしまったものを自分の中に入れずに捨てるということが壊滅的に下手な「捨てられない女」ときたものだから、放置していると自分が総崩れになるリスクがある。



手放せないままでいると、いつか限界がきてしまう。

「頭が働かずに仕事に取り掛かれていない時間に罪悪感を抱かないように」という言い訳のような理由で、部屋のあちこちに押し込まれていたモノを片っ端から出してきては捨てていく数日間を過ごした。

「なぜこれを今の今まで取っておいたのか……」と疑問しか湧かないモノもたくさんあって、45リットルゴミ袋が次々にパンパンになった。体温は上がった。なんでまた、エアコンのない部屋なのに真夏に取り掛かろうと思ったのか、私は。……なんてゴミ袋を結びながら考える。

きっと、この「モノが!減ったー!すっきりしたー!」という達成感と、抱えていたものを手放すことによる開放感が今の自分に必要だったのだろう。

別に、だからといって何か課題が解決したわけでも、社会が劇的に良くなったわけでもないのだけれど。



話の流れで、下半期の目標を「楽しく生きる。愉快に生きる」にした。先月のことだ。ちなみに、ここ数年、私の1年の目標は「今年も生きる」である。

心身をできるだけ健やかに保ちつつ少しでも楽しく愉快に生きることは、案外むずかしい。知らない間にいろいろなものを抱えてしまい、限界ギリギリになってしまうと、思考も感情も死んでしまう。

無意識にストレスやダメージを受けることの多い最近だから、自分の「あ、ヤバい」に敏感でありたい。ゼロからマイナスに振り切れてしまい、「あ、もうダメです、1mmも進めません」になるくらいなら、ゆるゆるズルズル進みつづけられるレベルにまでペースを落としていい。だいじょうぶ、速度を上げられるモードも、そのうちまたやってきてくれるだろうから。

そんなことを思いながら、マイボトルに入れた水を飲み、塩分補給に茎わかめを食べる。今日も生きるのが大変な暑い日だ。


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卯岡若菜
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