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祖父のこと

「3」という数字を見ると、心がざわり、とする。


今日は祖父の命日だ。3月3日ひな祭り、午前3時頃に亡くなった。わたしが9歳、小学三年生の頃のことだ。

「お葬式」というものを言葉だけで聞いたことはあったけれど、「死んだ人」を見るのははじめてだったし、参列したのもはじめてだった。

突然の死だった。数え年で還暦の、急な死。駆けつけた親戚が祖父にすがって泣き崩れていたこと、通夜や葬儀で嫁である母が泣いていたこと、わけがわかっていなかった幼かった従兄弟のはしゃぎっぷり。

あんなに泣いていたはずの大人たちが、精進落としの場ではお酒を酌み交わしながら賑やかに話していたことに違和感を抱いたこと。慣れない手つきではじめて骨を拾ったこと。全部ぜんぶ、憶えている。

祖父が倒れたのは亡くなる前日、妻である祖母の誕生日だった。倒れてから意識を取り戻すことなく急逝したのだけれど、日付を超えるまで永らえたことに対し、「がんばったんだね」と誰かが言っていたことも憶えている。

それなのに、わたしはもう祖父の声をあいまいにしか憶えていない。

会話の内容は憶えている。なのに、声が頭で再生されない。遺影を見ながら、ときどきごめん、と思う。もっと幼いときのことを憶えているのに、祖父の声は思い出せない。

大人になったあとの別れでは、声の記憶がなくなるだなんてことはないのだろうか。それとも、いつか薄れて消えていってしまうのだろうか。


「3」に対するざわつきが軽くなったのは、長男を3月に産んだからかもしれない。それまでは、なんとなくではあるけれど、常に「あ、3」と引っかかっていた。だからといって、何かがあったわけではない…と思う。記憶上では。

昨日は祖母の誕生日で、今日は祖父の命日だ。昨日は祖母に電話をかけ、今日は一日を過ごす合間に祖父に思いを馳せていた。

それは祖父との記憶であり、祖父の人生に対してであり、祖母との夫婦関係でもある。精神を病んだ祖父と、それを支えた祖母。最期があまりにもあっさりしていたことに対し、「最後の最後に孝行してくれたように思う」と言っていた祖母の言葉に込められた思いは、今のわたしにはまだわからない。わかる日がくるのかどうかもわからない。

好きだとか愛情だとか仲がいいとか悪いとか、そういうもので表せられない関係性がきっとあって、そのひとつが祖父母であったのかもしれないと思ってみたりする。

夫婦って何なんだろうなあ。今年で夫婦をはじめて九年目を迎えることになるのだけれど、よくわからない。むしろどんどんわからなくなっていく。別に答えがほしいわけではないのだけれど。

「ああ、3だなあ」ポジティブでもネガティブでもなく、ただなんとなく意識をする3月3日、ひな祭り。祖父、あなたともっと話してみたかったなあ。病んで二進も三進もいかなくなっていた頃のわたしに、祖父ならなんと言っただろう。そんな「if」を思ってみたりもする。

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卯岡若菜
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