忘却は消滅ではない
明日からはセンター試験だそうですね。何年か後にはなくなるんだとか聞いた気もしますが、いまいち把握していません。
一昔前ほどに、わたしもセンター試験を受けました。私立文系だったので一日目のみですが。
試験開始前、そわそわしながら平静を装って無駄話をしていた感じとか。
わたしの席の後ろにいた男性が二浪中だったらしく、「まじやべえ」と同級生らしい男性と話していたこととか。
試験の合間に出される廊下で、「全然できなかった」と口々に言い合っているあの探り合いみたいな滑稽な感じとか。
帰り道、「わたしこれでおしま〜い」とおどけてみせたら、国公立組に「ふざけんな!!」とキレられたこととか。
試験の内容とか出来不出来などはこれっぽっちも憶えていないのに、こんな些末なことばかり記憶しているわたしの脳みそ。……どうせなら、そのひと枠でも英単語とか数式とか年号に使ってくれたら当時楽だったろうになあ。
人の記憶って、本当にコントロールできない。それが面倒くさくもあり、おもしろさでもあるのだけれど。
二十歳そこそこでフリーターをしていた頃、先輩美人バイトの子に「わたし高校時代すら憶えてないよ」と言われて驚愕したことがあります。(彼女は当時27歳くらい)
十年前ってそんなに憶えていられないものなのか、憶えていない人がいるものなのか、と思ったことを、十年経った今でもわたしは憶えているわけで。たぶん、彼女は憶えていないでしょう(笑)
ただ、そんな彼女の声も顔も会話も憶えているのに、わたしは名前を憶えていません。……ガラケーを見返せば残っていますが、何だったかなあ。
かたや、生まれた頃のことを憶えているというトンデモ記憶を持っている人も存在していて。おもしろいですね。
同じときを過ごしていても、残る記憶は異なっていて、話していて「あ、そんなことあった!」と思い出せることもある。「……?」とまったく思い出せないこともあるけれども。
記憶って、なんでこうも違うのでしょう。憶えていられるものは、その人にとってインパクトがあったり、より大切であったりするものなのかなあ。
でも、憶えていないことも、きっと大切な出来事だったのではないかな、とも思うのだけれど。
そんなことを書き綴っていたら、中学時代に労働体験実習で幼稚園の先生を体験させてもらったとき、先生に言われたことを思い出しました。
「この数日間のことを、子どもたちは憶えていられません。でも、忘れてしまっても、体験したことや感じたことは、この子たちの中に残るんです。そういうことに意味があるんです。楽しい時間をありがとう」
これは、きっとわたしたち大人も同じでしょう。たとえ忘れてしまっても、思考や精神の片隅に、きっと残り続ける。影響を与え続ける。
とりあえず、わたしの記憶力はアルファベット(カタカナ語)と数字に関してポンコツすぎるということを、ここに嘆いておきます。
そして受験生の皆さまがた、どうぞご健闘を。
お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。