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無様にしがみつかねば生きていられない、凡才なわたし

才能。

こんなに残酷な言葉はない。

子供の頃の淡い夢ならいざ知らず、思春期以降に抱いた夢には、どうしたって高確率でこの“才能”がついて回る。

世の中に、天才なんて本当に本当に本当に一握りしかいないのに。



わたしは子供の頃から音楽に触れていた。ピアノとエレクトーンを5歳から始め、中学では吹奏楽部に所属していた。

才能というものを実感したのは、おそらく四年生の頃だ。

一学年上グループと合同でアンサンブルコンクールに出ることになって、彼女たちのセンスにびっくりしたのだ。

先生も、彼女たちのことを「センスがある」と評していた。才能に言及はしていなかったけれど、要するに才能の差を指摘していたことに変わりはない。

「え、無理。何言ってるのかわかんないよ」と思ったことを憶えている。


次に感じたのは、姉妹格差。

わたしは、中学に入るくらいまではマンガ家になりたいと思っていた。

昔から絵を描いたり話を考えるのが好きだったから。

それなのに、わたしに影響されて絵を描き始めた妹が、ありえないスピードで上達したのを見て、あっさりわたしは絵を手放した。

違うな。あっさりじゃない。打ちのめされたことを、今でも憶えているから。


妹が相手だったからか、わたしはそれ以上の努力が怖くなったんだよ。勝負をしていたわけではない。でも、敵わないだろう存在が目の前に現れてしまい、わたしはあらためて敵わない自分を見たくなかったんだ。



そうして、文章だけで物語を紡ぎ続けて、今に至っている。

残念ながら、こちらに関しても、十代の頃にイメージするような“才能”なんて、わたしは持ってなんかいない。持っているのは、ただ「書きたい」と思う世界や考えや物語だけだ。

いつか芽が出るかどうかなんて保証はないのに、わたしは今でも物語を紡ぐ。

ライターの仕事ならお金になるのに、お金にならないものを四万字も書いては公募に出し続けている。


今は、「絶対に売れてやる」というような野心は、正直いってない。あるのは、「いいと思えるものを表現できるようになりたい」「いいと思える作品を書き上げたい」という気持ちがほとんどだ。そして、「せっかく書いたのだから」と応募しているにすぎない。



才能がないことに打ちひしがれるほど、わたしはもう純粋ではないのだろう。

そして、才能なんてなくても書き続けたい気持ちだけが本物なのだろう。



……そんなことを考えたのは、こちらを読んだから。

作画が新しくなって連載が開始された「左ききのエレン」。

のっけからグサグサ刺さりまくって、今も心の底がジンジンしている。

美術方面では、妹をはじめ何人かの友人がいるから、いろんな話を聞いてきた。そして、わたしは創作好きな物書き。

ああ、言語化できない気持ちが、まだまだいっぱいあるよ。


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卯岡若菜
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