ありがとう、バイバイ我が家
旧居の引き渡し目前。粗大ゴミの回収を控え、階下に下さねばならない日だった。よりにもよって、雪の日に。
「雪らしいよ」と友人たちと連絡を取り合ってはいたものの、本当にここまで「ちゃんと雪」になるとは思わず、「やばい、積もってる」「寒すぎる」とLINEが飛び交った。
家具や家電があらかた消えた旧居はがらんとしていて、広い。手狭だからと引越しを決めたのは、旧居に越してきたときも同じで、内見に来た7年前には「広いなあ」と感じて越してきたのだよなあ、と思い返していた。
当時は上の子どもが一歳間近で、下の子はまだ妊娠してすらいなかった。家族構成が変わったうえ、子どもたちは体のサイズも変わってきたわけだから、まあ家が狭くなっていったのは当たり前のことなのだ。
とはいえ、日常のさまざまなことに押しやられて捨てどきを見失っていたモノたちがあまりにもあまりにも(本当にあまりにも)あったから、早くにそれらを何とかできていれば、もう少し広々と生活できていたのだろう。今更だけれど。
粗大ゴミを夫とえっちらおっちら下ろしながら、「何でこれ買ったんだ」「買うときには捨てるときのことを考えるようにしよう」とぼやき続けた。
間に合わせで夫が独断で買ったテレビボードは、わたしの気に入らない筆頭だった。もったいない買いものだったと思う。そもそも、独断で買われたこと自体が嫌だったのもあるけれど。
お金に余裕がないなか結婚しているから、家具予算はあまりなかったのだけれど、だったら今なら買わない選択をとる。気にいるものが買えないなら、そのためのお金を貯めて気にいるものを手元に置きたい。
「とりあえずベッドはいるだろう」と買ったダブルベッドも今回手放した。マットレスは階段から音なくすべり落ち、雪の上に着地。ダブルサイズのマットレスは二度と買わない。天地をひっくり返すのも重労働で、何なら長らくわたしはそのマットレスで寝ていない。夫が大の字で寝ていたから、役目はまっとうしていたが。
ミニマリストを目指そうとまではいかないけれど、管理や手入れが楽な状態を維持したいのが今の考えだ。この七年間で子どもがひとり増え、専業主婦から働く母親になったのだから、変化するのは当たり前。
その変化を「家のことができなくなった」と捉えるのではなく、「この状況で整えられる環境をつくろう」と考えられるじぶんでいたいなあ、と思う。すぐ「できなくなった」にフォーカスしてしまうからこそ。
家具や家電が置かれあまり見えなかったダイニングキッチンの床を、ひさしぶりに雑巾がけした。掃除って案外楽しいよな、と思う。雑巾がけは無心になれるから、特にいい。(その割に、ここ数年はきちんと雑巾がけをするなんてことはほとんどなかったのだけれど)
「引越しって大変やねんなあ」という夫に、「前はほぼうちがやったからな。感謝しやなあかん」と返す。何度も何度も「勝手に家は整わない」ことを伝え続けた引越し期間だった。新居では、果たしてどうなるだろう。
新居にはまだテレビボードはない。「ぜったいにこれだ」と思えるものが見つかるまで、買わないままでいいと思っている。整えたいと自発的に思える空間を用意して、楽しみながら生活を営みたい。引きこもり中心の今だからこそ、住まいの大切さをひしひしと感じている。
ありがとう、二軒目の我が家。あなたは、大きな変化と苦難を共にした家でした。