琵琶湖疎水を歩く その一
どこまで回復したか、どれぐらい距離が歩けるかと確かめることも併せて歩いてきました。もう、相当に大丈夫だとは思ってましたが、膝は爆弾抱えてるので痛みがでないかチェックです(出ないことは無いけど)。
雑な写真を選りすぐるのが大変でした。こんにちは。
滋賀県の名所・・・琵琶湖です。道を挟んで撮っているあたりに性格がでますね。実際には橋になっており、水路の始まりになります。
第1疎水取水口。
琵琶湖疎水は琵琶湖から京都へ水を引き込むための水路です。主だって舟による物資の運搬の流通経路として1890年(明治23)に完成。維新後の東京遷都によって勢いを失った京都の経済活性化を目指しました。
第1トンネル。約2.5キロ。ほぼ人力によって掘られ貫通させました。トンネルで初めて竪坑を使った工法となっているそうです。竪坑跡は今もあります。竪坑は、トンネルを横方向として、対して垂直に掘り下げて掘削していき、また物資や人員の入口にもなり、通風口の役割もあります。鉱山の掘削を見ているとみることができます。
かなりの難工事だったらしい。レンガや材木は現地調達、作成。竪坑を掘ると大領の水が出てくるなど、完工は無理だとも言われました。
途中、道を間違えたかなと思いましたが、なんか合ってました・・・。
小関峠をここから下り、琵琶湖疎水まで1.6キロ。
第1トンネル出口です。地味だ。
桜の木の枝に隠れて扁額がおぼろげにしか見えませんが、トンネルの上部にかかっています。
藤尾橋。
橋の下側(橋台)にレンガの部分がみられます。
ここから先もずっとですが、桜が咲いていることをご想像ください。この時期は寂しいかも。早咲きの梅か南天ぐらい。
トンネル発見!
諸羽トンネル。第2じゃなかった。トンネルの出口は見えるので近そうですが、歩くと遠回りするのでそこそこ距離がある。
諸羽トンネルは後からバイパスの役割をもって掘られたもの。
脇にある側溝は、もともとの琵琶湖疎水の遺構らしい。アーチ状の遺構は、トンネルの試作物だそう。練習していたらしい。西洋的な工法を取り入れた初めての大工事、必要だわね。
猫とイノシシが並列している・・・。後からわかったのですが、人になついたイノシシが出没するらしいです。今もかな。
諸羽トンネル出口。昭和45年に完成したバイパストンネル。どちら側にも扁額は無い。舟溜まりになってるのだろうか。位置的には、山科と四宮の間。山科の手前。
この辺りは、山科疎水として、約4キロに渡って整備され、遊歩道となっています。ジョギング、散歩をされる方を多くみます。場所によっては両岸とも道があります。トイレもあります。
第2トンネル。
長さは124メートルと一番短い。ただの短いトンネルでスルーしそうですが、水路の入口(琵琶湖側)と出口(京都側)の装飾に差がありすぎませんか。水は京都側へ流れるが、疎水事業は京都による事業であり、京都側からみて考えられていたのではないだろうか。
琵琶湖から8キロ地点。大した起伏もないので、あっという間。気持ちよく
、のんびり歩いておりました。遊歩道も終わりました。
日本で初めて造られた、鉄筋コンクリートの橋です。フェンス邪魔だな。
碑に橋桁って書いてあるので全部では無いのかもしれない。
「鐵筋混凝土」は「鉄筋コンクリートと読みます。混凝土でコンクリートです。「凝」は、こごらす、こごるなどの読みがあり、端的に意味を言えば固まるみたいな感じです。また、米蘭式と書いてあることからも、西洋技術を取り入れた工法で造られていたことがわかります。
上の橋のすぐそばに、第3トンネル入口(琵琶湖側)。第2同様に何の装飾もなく、地味に扁額だけを見ることができますが一体化してしまいそう。
ここから道が無くなるので、疎水を外れて迂回。御陵(みささぎ)から蹴上まで歩いていきます。
蹴上浄水場。
ツツジが有名ですね。4900本と言われています。GWに一般開放していますのでぜひ、忘れず配水池をご見学ください。
第3トンネル出口(京都側)。装飾性は薄いものの、立体的であったりと、入口よりは手が込んでいる。乗下船場もあり、琵琶湖疎水のゴールかと思われますが、もう少し続きます。
端折って書いても長くなってしまったので、その二に続く。
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