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こんな私です

 今日、ガス点検の人が来た。
 私はそういう人が来るからと、わざわざ片付けなどをしないぐらいのモノグサである。
 決していつでも招ける綺麗な家、というわけではない。髪の毛は落ち放題だし、この夏に実家から持ち帰ってきた私物の入った段ボールが積まれていたりする。肝心のガス台もひどい油汚れだ。
 体裁を繕うための片付けもままならないほどに私は片付けへのモチベーションが低いし、どうこれらを整理したらいいのかという方法すら分からない。

 昔から片付けが苦手で、部屋の中は荒れ放題だった。これはこの辺りに入りそう、みたいなそういうパズルの感覚みたいなものが弱いせいもあるだろうし、取捨選択があまりに下手で、「とりあえずあれば助かるから」と、溜め込む癖があるのが良くない。良くないというのは分かっているけれど、それを改めることもなく、ここまで来てしまった。

 昨夜、夫が「部屋、片付けないとね。このあたり俺も手を入れちゃうかも。物減らさないとね」と、私のゾーンにある物を指して言った。
 確かに私自身もものが多くて困っているし、ここはリビングだし、という気持ちもあるのだが、「自分だってソファの上にたくさん荷物を置いて座れない状態にしているくせに。自分の荷物の置き場はたくさん確保しているくせに。私の好きなものだけを減らさなければならないのは何故なの」という怒りですごく機嫌が悪くなった。

 私のものだけを指して言っているわけじゃないんだろう、と今なら思う。それでも過剰に反応してしまうのは私自身、この状況を良しとしていないからなんだろう。

 私だって物が散らかった部屋よりも、綺麗に整頓されたモデルルームみたいな部屋に憧れている。それでも私はどうしたらそこに辿り着けるのかということが分からない。

 捨てればいいんだ、と思って捨てることにハマった時期もあるけれど、その気力も今は湧いてこない。捨てていた時期も、まだまだ捨てることが足りずに部屋は綺麗にはならなかった。

 片付けられないことと、書類を捌くことの苦手さはどこか似ている気がする。そもそも書類も大して読まずにとりあえずとっておく、というのもこの部屋の汚さの一つだし。

 捨てたものについて後悔したことはほとんどない。つまり、こんなに大事に取っておいているもののほとんどが、それほど触れられないまま放置されているゴミたちなのだ。
 それなのに荷物を減らそうという提案に「好きなものたちを減らせなんて!」と思っているのは、おかしなことだ。私の好きだったものを、どうでもいいものに分類し直すことへの恐れもあるかもしれない。

 怠惰である、と言われてしまえばそれまでなのだけど。

 こうやってシンプルな結論に辿り着く前に、自分を守ろうとしてごちゃごちゃ考えを巡らせるのが私だ。いつも自分を守ろうとしている。よくない癖だ。これで30年以上やってきてしまった。怠惰で自分に甘い私を、どうぞこれからよろしくお願いします。


記事のサムネイルは夏に行った海です。泳げませんが、海を見ることは大好きです。水族館も好きです。

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