
進化する。
書の変化を辿っている。
書きやすく読みやすい書体に変化してきた漢字であるが、時代ごとに一番イケてると認定されるものが選ばれてきたのかもしれない。
「コレはもう古いね!」と言いだす新し物好きの人はいつの時代にもいたのだろうし、「今これがキテる!」と新しい書体を浸透させる仕掛け人もいたのかもしれない。
天という字の変化を見ていると書きたくなり、ちょっと書いてみることにした。
人型みたいな甲骨文字はまるで絵のようでかわいい。
絵のような文字が現在の形に変化していくまで、様々な意見が出たのだろうと想像する。
「初期型の天が一番好きだったのに!」
「いやいや、私は無愛想ながら芯のある隷書こそが天そのものを表していると思いますな。」
人の感性や好き好きは本当に十人十色である。
形に拘る人もいれば、より分かりやすく使いやすい実用的なものを好む人もいたのだろう。
簡略化し、より書きやすいものに変化していった漢字。
その流れを受け入れながらも、遥か昔の文字を振り返り、何度も繰り返し書いてきたのが先に生きてこられた多くの書道家であり、今なお書き続けるのも書道家たちである。
新しいものを受け入れるしなやかな感性がなければ、古来の文字の良さや美しさ、楽しさを味わうことはできない。
新し物好きもいるし、伝統好きもいる。
良いものを見ても自らの感性だけで「イケてない!」と判断してしまう新し物好きも、古い考えに固執し、これまた自らの感性だけで「奇抜で下品!」と新しいものを頑として受け入れない伝統好きも共通して持っているのは「我こそが認められたい」という承認欲求なのだろうと思う。
遥か昔の「新し物好き」や「仕掛け人」は、ぼんやりしている情報オンチの人々に向かって「今コレがきてる!」と自分たち好みのものにすべく振る舞い、自らの承認欲求を満たせたやもしれぬが、現代社会ではインターネットやSNSが次々に普及し、様々な情報や物の見方を出来る人が増えた。
伝統好き、新し物好きの人々が比較的満たしやすかった「承認欲求」の環境は劇的な変化を迎えたのかもしれない。
識者や権力者をサラッと一般人が超えることもある時代になっているのだ。
「こういう形の天って字、どうかな?」
そんな一般人のツイートを支持する人々が現れ、どんどんリツイートしていったらどうだろう?
「新し物好き」や「仕掛け人」が考えるものよりイケている文字が誕生することもないとは言えないのではないか。
天の字が昔とは違う経路を辿り、違う形になる将来も遠くないのかもしれない。
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