
書状。
今月の競書課題は『書状』がある。
書状とは、時代劇や大河ドラマなんかにも出てくる、折り畳まれた紙をバサッと広げて読むあの長ーいお手紙のこと。
拝啓から始まり、文末を草々で〆て本人の名前を書き、一番最後に相手のお名前を書く決まりである。
かな用の和紙を半分に切り、のりで繋ぎ合せて横長の紙にしたものに書いていく。
柔らかい書体が基本であるが、師匠や大先生は『綺麗すぎたら味がない。字を潰したり大小と字の大きさを変えたり強い筆使いで書いてもいい。』とおっしゃる。
味のある字で。
自分の字で。
綺麗に書かなくていい。
ハードルがどんどん上がる。
評価は美しい字を書いた者に与えられがちだし、進級していくのには有効であるのはわかっている。
なるべくどんどん進級したい欲もある。
しかし。
書道家として大成したいならば、美しく整った書ばかり書いていては、その人が持つ個性が潰れていくというわけだ。
特に私の所属する会派は前衛書が強い。
正解はなく、好きなように表現できるか、自分の書を書けるかが最後はよしとされる傾向があるため、型にはまった小綺麗な字を書いてばかりではダメだという指導なのである。
そうは言いつつ、誤字にはとても厳しく、一本の線が見えにくい場合などは減点は容赦なくされるので、無茶ぶりをやりつつも、誤字ではないものを提出しなければならない。
これはかなり骨の折れる作業である。
旧漢字などを辞典で調べつつ、正しく書を壊すことはハンパなく難しいのだ。
いじいじ悩んでいても良くなるわけではなく、ひたすら紙にぶつかっていっては跳ね返されを繰り返すのは、ほとんど修行状態である。
一番マシに書けたと思われた書状を師匠のもとに持っていくと、いきなりこう言われた。
墨が濃すぎる!字は強くてもいいが、墨が前に出すぎるのはあかん!もう少し薄めた墨で書け!と言われてしまった。
言われたとおりにしてみると。
書状が劇的に変化した。
なるほど、おっしゃるとおりだと項垂れる私。
遥か昔の人々が、自らの想いや願いをしたためるとき、ガリガリと力任せに急いで強く擦った墨を使って手紙を書いたとしたらどうだろう?
緊急事態の場合は除くとして、それ以外の要件で文を書くとき、余りに強い力で前のめりに事を急いて進めようとしている気持ちが濃い墨からは相手に伝わってしまわないだろうか。
『まったく急いてはおりませぬゆえ、ごゆるりとあなたのお気持ちを聞かせてくださいませぬか?』
こんなふうに相手を思いやり、わたくしのことなどは後回しで構いませんからという気持ちを表現したいならば、ゆるゆると時間をかけ、あまり力を入れずに擦られた墨を使って書かれた淡い墨色の文字の方がより相手の胸を打つ文になりそうだ。
なるほどなるほど!
とにかく、万事がこのような奥深さに溢れている稽古場は、私にとっては有難い修練の連続なのだ。
☆競書提出前なので写真はオフにします。雲泉の書状のビフォーアフターをお楽しみいただきたい方だけ宜しければどうぞ!
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