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アフロとHYSとボウズ。

大好きな雪町子さんが描かれている育児日記を読ませていただくたびに、わが子たちがやらかすやんちゃな悪戯に毎日ヘトヘトだった時代を思いだす。

小さな子どもは、見るものすべてが「はじめまして」であり、大人が「危ない!」とハラハラすることや、「頼むからそれは勘弁してくれ!」ということが大好きな生き物だと思う。

これは今、自分の子育てが一段落して、振り返って見る道だから当時と違う景色として見つめることができるのだと感じている。

ドカ弁はハイハイでどんどんスピードを上げて部屋中移動していた時期に、棚の一番下の引き出しを開けて、油を固める「油っこ」の粉を口いっぱいに食べてニコニコしていたことがある。

真っ青になる私に「ダァ!」と油っこまみれの口を開けて何かを訴えてきたのだから何が何やらであった。

すぐにかかりつけのお医者さまに電話をして事の顛末を説明すると、「とにかく口の中や周りを拭いて、牛乳をいっぱい飲ませなさい!」と言われた。

油っこは油を固める粉なので、牛乳をいっぱい飲むことで固まらずに胃に向かって流れるというような理屈だったように記憶している。

ハイハイの時期が終わり、たっちが出来て歩き始めると、更に行動範囲が広がり高い所にも手が届くようになった。

キッチンに柵を付けようと思いながら、なかなか付ける時間がなかったある日、そのツケはドカ弁の思わぬ行動で現れた。

「マッマ!マッマ!」

私を後ろから呼ぶドカ弁の声に振り向くと。

なんと手に包丁をぶらりと引っさげ、こちらに向かっておぼつかない足取りで歩いてくるのだ。

「ド、ドカちゃん…。それママの大事やからママにくれるかな?」

頭の中はパニックで、本当は大声を出したい気持ちでいっぱいなのだ。

「こら何してくれとんや‼︎ほんまアホやろ!なんで包丁持ってるねん‼︎」

そんな言葉をグッと飲み込み、あくまで冷静に穏やかに。
使い道を知らない小さな子どもが包丁を持ってこちらに向かってくるのだから何をしでかすかわからない。

そーっと近づき、引きつった笑顔で
「ドカちゃん、ありがとう!」と包丁をそっとドカ弁の手から離そうとすると
満面の笑みを浮かべながら、いきなり包丁を持った手をブンッと振り上げたから生きた心地がしなかった。

素足の小さな足に包丁の先が落ちていたら大怪我をしていたかもしれない。

とにかく包丁を手の届かない場所に置かなきゃ!柵をすぐに付けなきゃ!

焦りまくった。

しかし振り返って考えてみると、毎日母親が使っている包丁をドカ弁は触ってみたかっただけなんだと今なら思える。

毎日続く夜泣き、ミルクもどし、下痢が止まらない、食べない、便秘で苦しんでる……。

あんなことやこんなことも。

涙が出るほど睡眠不足だった。

広い世界の中で、赤ちゃんと自分だけが閉じ込められた部屋の中で暮らしているような気分になったりしたこともある。

「お母さんには見えませんね!お若いわ‼︎」

こんな言葉を言ってもらうと嬉しくて、日々自分の身なりなんかにも気を使ったり。

自分を最優先にして生きてきた習慣が、子どもを産んだ途端に消えてなくなるわけではない。

「お母さんのくせに我慢がなっていない。」

「わが子より自分のお洒落や自分の時間が大切か!」

世間の声や目は思うより厳しくて、若い母親は追い詰められやすい。

そしてそんな意見を述べるのは過去に子育てを終えてきた人だったりするのも厄介だった。

母乳じゃなくてもいいじゃない!

ミルトンで消毒しなくてもレンジでチンしたら哺乳瓶は消毒できるの!

離乳食を冷凍したっていいじゃない!

悪気はないのだと思うが、育児のやり方に色々口出ししてくる母に対してもストレスが溜まったり。

こんなことばかりしていたら私は壊れる!育児休暇の間にやりたかったことをやってやる!

開き直った私がしたことは。

髪をアフロにした。
好きなhysteric grammarを買いに行きガンガン着た。
アフロ頭に派手なHysを着て、ドカ弁と出掛けるようになった。

街へ行けば受け入れられる格好だったが、田舎町を歩くと唖然としたご近所のおじちゃんやおばちゃんの視線を痛いくらい感じた。

「子どもが子どもを産んだ」というような視線にさらされ、親戚や母は実際にそう言ってきたが、全く気にせず自分もやりたいことを我慢しないというやり方で、逃げ出したい気持ちになってしまう時期の子育てを乗り切った。

救われたのは、夫スナフキンが協力的だったこと。

アフロ頭の私を見て爆笑し「かっこいいやん!ジミヘンやん!」などと面白がり、ならば自分も!と頭をボウズにしてきたこともあった。

スナフキンは持ち前のノリの良さで、世間の常識みたいなのを一緒に脱線することに付き合ってくれた。
気持ちがうんとラクになった。

誰か一人でも一緒になって面白がり、子育てに手を貸してくれ、必要のないダメ出しをせずに寄り添ってくれる人がいることはとても大切なことだと思う。

子育ては子を産んだ日から始めること。上手くいかなくて当たり前。お母さんも0歳から子どもと一緒に育つ。

ドカ弁は今17歳。

私も母さん年齢は17歳。

一緒に笑い、泣き、ケンカし、仲直りしながら17年の月日を歩いてきた。

今小さな赤ちゃんや子どもの泣き声を聞いても、ぐずる姿を見てもどの子も可愛くみえてしかたない。

奮闘中のお母さんが怒鳴りつけたり、あやしたり、なだめたりする姿を見かけると、「かわいいですね〜!」と声をかけてしまうほどに、気分はすでにおばあちゃんのような自分を不思議に思う。

きた道は戻れないが、振り返ることはできる。

やり直しはきかないけど、失敗したり悩んだりした頃の足跡を見て、「あぁ、今ならできるのに。ごめんやったで、ドカ弁。」と心の中でひっそり謝ったりしているのはここだけの内緒話である。

ちなみに。

4歳歳下の次女ちゃっかりにはそんな負い目みたいなのはほとんどない。

初めてのわが子は、慣れない親の実験材料となり、後に活かされているという証なのだろう。

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