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詩ことばの森(204)「かなかな」
かなかな
日の出前から
母の独り言が聞こえてきた
「…だったかな…かな」
自問自答をつぶやきながら
部屋のドアを開けたり閉めたり
わたしは布団にもぐり込んだ
ところが
母の独り言はよく響く
「…かな…かな、かな?」
なにかを思い出したのだろう
それがなにかは知らないが
少なくとも母はすっかり
わたしの存在など忘れている
わたしも五十をとうに過ぎた
母の頭は若い頃に戻っていたから
髪の薄くなった見知らぬおやじに
出会ったらびっくりするにちがいない
だから まだ しばらくは
眠れなくても横になっていよう
やがて 朝を迎えた鳥たちの囀りに
僕の耳と心は喜ぶだろう
かなかなの声も
落ち着くにちがいない
(森雪拾)