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「せつなときずな」第44話


「福原さん、あなた、子どもは好きじゃないでしょ」
杉山は何につけてもオブラートに包んだりしない。

「どうしてそう思うんですか」

「そんな顔してますよ」

確かに子どもは好きな方ではなかったが、子どもが好きじゃない顔って一体どんな顔だと刹那は思った。

「俺も好きじゃないからな」

「じゃあ、どうして保育園をやっているんですか?」
刹那は、自分と同類だと思われた気がしてなんだか嫌な気分になったが、それ以前に、杉山が望まないような仕事を選んだ理由が気になった。

「知ってる会社かもしれないが、俺の実家はNAUSという医療用衣料卸の老舗だ。
俺は大学を出て実家に入り、販路を拡大し、制服などに限らない医療副次品全般のECの立ち上げもした」

杉山は机の上の煙草をまた一本取り出して火を点けた。
少し前屈みにゆっくりと喫う視線の中に、刹那がいるようには感じられない。

「卸でなく一般小売に舵を切ったのは、当たり前だがその先にしか未来がないからだ。
それと、医者は大嫌いなんでね。
もちろんみんなとは言わん。良い人間もいる。
しかし、開業医や大きな医療法人のお偉いさんたらの中には、一般常識のない自意識の肥大した輩も少なくないのは事実。
「先生」のために卑屈になったりするのは、それ自体は難しくはないが、俺はできれば願い下げだ。

そんな輩に自分の体を預けたりしなくちゃならない時があると思うだけで、うんざりする自分がいた訳だ」

刹那は高校を卒業した後、サキとハートスタッフの職員以外、大人の職業人と接したことがない。
杉山の話は、知られざる社会の一面を聞く機会以上に、経営者や上司、それはこの先ハニーぶれっどに世話になればだが、そんな縁の無かった人種とのつながりになるのだと感じた。

「取締役にはなったが、役員報酬は半分に抑えて会社の持株に換えた。
議決権は手離さず、先生のいない世界にトンズラする機会を探していた。
姉が保育士で、姉を代表にしてハニーぶれっどを立ち上げて、会社を辞めたんだ。

あと、俺は子どもは好きじゃないが、姉はマジで好きだったから」

杉山の表情からは、相変わらず感情が読み取れない。

「インセストですか」

刹那の言葉を聞いた杉山は、その日初めて笑顔を見せた。
しかしながらその笑みは、猛禽類が獲物を捉えたような禍々しさに近いものだ。

「そういうのを待っていたんだよ」

「何をですか?」
刹那は困惑した。

「日本語で言ってみたらどうだ?
インセスト、近親相姦だろ。

福原さん、あんた、解ってて英語で言ったんだ。
頭の中ではそう思っていながら、俺には生々しくならないように意味をスポイルさせようなんて、そんな小賢しい真似をして。

俺は賢い女が好きなんだ。
まだ熟れてないところが、無様で可愛い。

きっといい友だちになれるぜ。俺たちは。

わかるだろう?
福原刹那さん」

その時、刹那は自分に選択肢などないことをはっきり理解した。

そういうのを待っていたのは、杉山だけじゃなかった。
外形を変えて白猫を居場所にしたのも、林公彦に体を許したのも、黒猫に引き寄せられたのも、全部そうだったのだ。

私には何も無い。
自我と呼べるような、生きていくために必要な信念や価値観なんて。
ただ、非日常に身を置きたい。
ただそれだけ…

そして今、目の前に、その「非日常」が降臨している…

杉山はもう一本を手にして、火を点けた。

「どうやら、条件を理解してくれたようだね」

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