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「せつなときずな」第34話


昨夜は何も言わず警察から刹那を連れて帰り、母屋に預けていた絆と一緒に自分の部屋に泊まらせたサキだが、それは、刹那の気持ちを落ち着けさせてから話を聞くことを優先しようとの判断だった。

翌日、刹那に代わって絆を保育園に送ったサキは、事務所には行かず、自宅で仕事を処理しながら刹那に話を聞くことにした。

「殴った相手は誰?」

「濱田美由」
刹那は、サキが淹れたアールグレイの入ったカップに目を落としながら、感情が漂白したような面持ちだった。
「名前、知ってるよね。公彦を売った女」

「で、あんたは気は済んだって訳?」

「別に…済んだりはしないし、それに、お店には悪かったけど、あの女にしたことを後悔してない」

サキは数件の電話を処理した後、刹那に向き合って、多分自宅内で喫うのは戒めているメンソールに火を点けた。
刹那は、サキの右手の細い指の間から斜めにのぞく煙草を見て、「パルプ・フィクション」のポスターを思い出していたが、現実に向き合っていない自分自身がフィクションではないのかと若干自虐的に感じた。

「刹那はこの後、何をすべきなの?」
サキは、終始感情を押し殺したように事務的なトーンで聞いていたが、本人の気遣いとは裏腹に、それはそれで殊更冷たい響きになる。

「「黒猫」さんに謝りに行くわ。それを受け入れてくれるかはわからないけど」

「過ちを犯した本人は、迷惑をかけた相手に受け入れてくれる云々を言う立場にはいないのよ。
そこから切り替えないと、謝罪なんか意味は無い」

サキはそう言うと、一服喫って目を閉じた。

「今回のことで、私が刹那にできることはない。
仮にできても、そうすることは無いわね」

「それでいいよ。

それと、ごめんなさい。いろいろ迷惑かけて」

ようやく母親に謝ることができた娘を見ながら、確かにそれは人として最低限必要なことではあるものの、既に一人の母親でもある刹那の口から聞きたい言葉ではなかったなと、サキは複雑な気持ちをもて余した。

「濱田美由は…公彦が私と付き合う前に関係があって、しばらく二股をかけていた。
私はそれをしってて、それでも構わないと思ってた。

「黒猫」で彼女の背中を見た時、思い出したんだ。
公彦は私には避妊しなかったけど、あの女には避妊していた。
それをあの女は揶揄して私を見下した。

そして今頃、公彦とよりを戻して、また私を蔑ろにした。
挙げ句、公彦を強姦魔に仕立て上げて、私の人生をいつまでも土足で汚しに来る

私は自分の感情に負けたの」

サキは、今まで自分のことをあまり話してこなかった刹那が、自分の口から赤裸々な告白をしたことに、強い感情を覚えた。

「私が言えることは…」
サキは、2本目に火を点けた。
「私があんたの立場だったら、同じことをしたとは思う。ただ…

濱田美由から男を寝獲ったのは自分で、自分はその報いを受けておきながら、逆恨みして手を出した愚か者だと理解した上で殴っただろうなって、そんなことを考えた」

サキはゆっくりと煙を吐き、いかんともし難い表情で刹那に謝った。

「母親らしくはなれないけど、母親である前に、一人の女なのよ、私は」

「それは知ってる。
でなきゃお母さんじゃないし…それでいいんじゃないかな」
曖昧な微笑みを浮かべて、刹那はそれを受け入れた。

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