「せつなときずな」第6話~第10話
「せつなときずな」 6
「白猫」の店員は、それは多分20代半ばかと思える明るくて清楚な女性なのだが、いつも放課後に学生服で訪れる刹那とは別人が来たと思った。
「こんにちは。今日は学校は休みなんで」
このカフェで刹那は初めて自分から口を開き、二重の意味で店員は目を丸くした。
「ごめんなさい、わかりませんでした。あんまりにいつもと違うので…
綺麗ですね。びっくりしました」
誰だって、そんな風に言われたら嬉しくない訳がないなと、刹那は思った。
頭の中で倖田來未の「butterfly」が流れたのは安直だなと、自分のイマジネイションの貧相さに苦笑しつつ、どんな因果にしても過去を風化できるだけの変容ができるのは悪くないなとも考えたりする。
これからは時折、「現在」を粉飾しよう。
意味なんかない。
空虚な内実を捨てて、虚構の外見に生きる感じか。
それはもしかしたら、お母さんと一緒なのかもしれない。
その違いは、無自覚か意図的かというだけで、内実を必要としないのなら、どちらだって変わりはしない。
今日の格好でココアは無いなと思った刹那は、飲みたくもないのにホットをオーダーして、ブラックで飲んだ。
店員は黙ってその様を見ている。
人から見られる体験があまり無い刹那には、それはどうにも奇妙な感覚であった。
「ごちそうさまでした」
刹那は、これといった宛てもなく、いつものように街を流すことにした。
風の強い木曽川沿いを、旧街道の美濃路を南に歩いていく。
寒いし、人通りもまばらだ。
黒いコートを羽織り、ヒールの音を立てて歩く刹那の出で立ちは、古い街並みには全くそぐわない。
まるでカラスだなと、刹那は思う。
人から好かれもせず、日がな黒く邪悪な姿をさらけて生きていくのに、当たり前だが当のカラスは、自分の黒さを嘆いている訳ではない。
蓼食う虫も好き好きだ。
私は、一体何を考えているのだろ?…
自らそんな姿をしながら、それでいて刹那は知ってる人間とは会いたくなかった。
無論そのほとんどは、学校の同級生だ。
見違えるように変貌した刹那に気付くかどうかはわからないとも思えるが、気付かれたら気付かれたで後々面倒だなとも思う。
平凡でつまらない学園生活に話題を投下するようなものか。
それはあらかじめり織り込み済みで、家を出てきたのではなかったのか。
いくつかの景色を携帯で写真に撮りながら、家まであと少しというところで、刹那の希望は叶わなかった。
声をかけられた刹那は、やましいことは何もないのに、わずかに動揺した。
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「お前、福原じゃないの?」
その声を耳にした刹那は、どれだけ姿を変えたところで、やはり自分は自分でしかないなという現実に少しだけ狼狽した。
同級生の林が、自転車に乗って真向かいから走ってきたのだが、刹那を見誤りはしなかったようだ。
同級生と言ったところで、刹那は男子とほとんど話をしたことがない。
女子ですら会話をかわす程度の付き合いしかしていない。
授業が終わると、クラスで真っ先に校門に向かうのは刹那だった。
そんな私なんかによく気付いたものだ。
なんだか滑稽だな。
そんな気分を、瞬きの間に味わった。
「うん」
「お前、すっげぇいい感じに仕上がってんじゃん。
いつもそんな格好してんのか?」
林は浅黒く、背が低い快活な男で、天然パーマのくせ毛がいつも教師から目をつけられてる存在だった。
愛知の県立高校は、未だに校則に厳しく、学期の始めの服装検査には生徒から怒りと諦念の声が体育館に洩れる、そんな場所だった。
林は大抵もめてて、刹那は坊主にでもすればいいのにと思っていた。
「いつもじゃないよ。今日はたまたま」
目を合わすのが嫌で、刹那は林の自転車のスポークを見つめていた。
歳に合わないクールな姿の刹那の前には、下はジャージでパーカーを羽織った、部屋着感満載の男子高校生という林がコントラストを成している。
刹那は余計に目立つと思って、早くその場を立ち去りたかったが、林はそうではないらしい。
「お前さ、よくO・A・Gとかいうギャラリーに通ってない?」
意外なことを訊かれて、刹那はびっくりしてしどろもどろになりそうだった。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、よく見るから」
「私のこと、いつも見てるの?」
林はちょっと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「だって俺んち、あの工場の前だもん。
福原何してんのかなっていつも思っててさ。
かと言って、特に話す間柄でもねーからな」
そりゃ運が悪かったなと、刹那は舌打ちしたい気分だったが、まずはここから離れたい。
「じゃあ」
そう言って林の前を横切ろうとした刹那の腕を、林が掴んだ。
刹那は驚きのあまり、心臓が止まるかと思った。
「今度さ、俺も福原と一緒に行ってもいいかい?」
やっかいなことになったが、それはきっと私が浮かれていた罰なのかと思うと同時に、断りたいが、断ることで弱気な女と見られたくないという奇妙なプライドや、断ったら林がクラスに刹那のことを話すのではないかという猜疑心で気が気ではなくなってきた。
「いいけど、あそこのことや私のことを誰にも話さないことが条件だよ」
「じゃあ交渉成立だな。メアド教えてよ」
「それは無理」
刹那はめんどくさい奴だなと言いたくなったが、勿論そんなことは口にしない。
「今日は帰るから。また」
そう言うと刹那は、林の腕を振り払って駆け足でその場を離れた。
ヒールで走るの初めてで、挫けるのが怖くてまともに走れはしなかったが、それでも林から離れたかった。
「じゃあまた今度な」
林の大声が通りに響き、刹那は恥ずかしくなって赤面した。
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できることなら、何とか一人でメイクを済ませたかったのだが、たった一度の体験でそれを完遂できるような人間ではないことを悟った刹那は、大きな声でサキを呼んだ。
どうやら、そんな事態になることはお見通しだったサキは、意地悪な笑みを浮かべて鏡越しに刹那を覗いた。
「人に何かをお願いする時は、何て言うの?」
「ごめん、やっぱりうまくできないから、手伝ってくれない?」
奔放な性格の割には何事も器用な母親とは、自分はなにかにつけて真逆だなと、こんな時にはそのジェラシーが更に情けない気持ちにさせる。
サキにしてみれば、娘を見返す機会にちょっとしたカタルシスを得られる訳で、料理に腕を奮うような感じかもしれない。
素材の味を引き立てる和食ではなく、トランスフォーマーに驚きを誘うフレンチといったところか。
「あんた、デートでしょ」
そう言われるのが嫌だったから、一人でメイクを済ませたかったのだ。
「違うよ、そんなんじゃないし」
確かに違ってはいた。
2週間前にプライベートな姿を見られてから、学校で人目がつかない時を見計らい、度々急かされるように誘われるのが面倒な林との約束で「白猫」に行く羽目になっただけだ。
林は林で、どうやら内密にしたい理由があるらしい。
クラスの誰かと付き合っているという噂は耳にしていたが、女子とすら誰とも深い付き合いをしていない刹那には確証もなければ、元々全く興味もない。
利害の一致と言っても、私が望んだ訳じゃない。
そんな林の要求は、街で出会った時の姿で来て欲しいとのことだった。
私は自分のためだけに着飾ったのだ。
人のために装うことは、いくら綺麗になったところで美しくはない…
そんなことを考えている間に、サキの素早い仕事は、あの日の刹那を再現して余りある出来映えで終わった。
「刹那が素直に言うことはまずないだろうけど、デートでもデートでなくても、私は楽しんできて欲しいな」
背後から刹那の頬に柔らかく手をあてるサキの表情は、珍しく母親のそれになっていて、刹那は嬉しいのか恥ずかしいのか、なんともいえない複雑な気持ちになった。
「楽しくはないけど、お母さん、ありがとう」
刹那はきちんと感謝を伝えると、いつもとは別人の装いに身を費やし、初めてとなる異性との交流に臨んだ。
林からは以前と同じ姿を希望されたのだが、サキはクローゼットからラルフローレンのシックなコートを出してきて、刹那はそれに腕を通した。
そして、ハリー・ウィンストンの時計を、それは多分男からの貢物だったのだろうが、刹那に手渡した。
「頭の先から爪先まで、今の刹那は服に着られているけど、それを続けていかない限り自分のモノにはできないものよ。
いいものを身に付けるの。
いつかそれは、自然な姿になるから」
なんだか「プラダを着た悪魔」みたいだなと思いつつ、そんな本質的なことをサキの口から初めて聞いて、刹那は母親のことを本当はよく知らないのだと痛感した。
私は、女になるべきなのかもしれない。
この人が、そうだったように。
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冷たく乾いた風が、刹那の髪を巻き上げ、頬をなめ返した。
ヒールを鳴らして歩く街は、いつもと違って見える。
私もきっと違うし、私を見るこの街も、きっといつもと違う街に変わっているのだ。
土曜日の昼下がり、国道沿いにある大手ビデオレンタル店で二人は待ち合わせた。
「白猫」には申し訳程度の軽食しかメニューにないので、食事はとらない。
それにしても、カフェで向かいあったとして、私はあの男と一体何を話せばいいんだろう?
刹那は、いやいやという気分まではいかないものの、自分の感情の置き場に迷っていた。
誘われたのは、あの男に魅力的に思われたからだと考えれば、サキのいう「あんた、男を泣かす女になるわよ」の戸口に立ったのかもしれないけど、やっぱり、いくら背伸びしたところでそんな女になれる気はしない。
結局交換してしまったメールで、先日とは違うコートを着てるから見間違わないでと連絡してしまう刹那は、どっちつかずだった。
店に入って見渡すと、CDコーナーで時間をつぶしている林の姿が目に入った。
カーキ色のミリタリージャケットを着ていて、ブーツカットのジーンズを履いていたが、それは似合ってると刹那は思う。
あまり背が高くない林には、 気張った衣装は似合わない。
「来たよ」
小さな声で、林の横に並んだ。
「ありがとう」
林の意外な返事に、刹那は戸惑った。
そんなやさしい言葉が出てくる印象を、一度としても持ったことが無かったのだ。
「ありがとうって…なんか、ヘンだね」
刹那はちょっと作り笑いをして、それでも、あまり気乗りしない今日のアトラクションを林にリードしてもらいたかった。
別に自分が望んだ訳ではないのだから。
「じゃあ、行こうか」
林は刹那を促した。
「福原、これから名前で呼んでもいい?」
それは嫌だなと少し思ったが、こうして二人で会うような関係なんだから、今更どうもこうもないよなと刹那は思った。
「まあ、いいよ…
そしたら私は、林君をどう呼んだらいいの?」
「林君以外なら、刹那の好きなように呼んでくれたらいいな」
「名前、なんだったっけ?」
失礼だけど、忘れてしまったのだから仕方ないではないか。
それに、異性に名前で呼ばれるのは、新鮮で奇妙な感じだ。
「公彦」林は刹那の前ではなく、横に並んで歩いた。
刹那はしばらく考えたが、名前以外の呼び名が思く付く気がしない。
「じゃあ名前で、公彦って呼ぶね。
言っとくけど、私、男の人を名前で呼ぶの、公彦が最初だから」
「そう思ったよ」
そう口にして、刹那の腕に自分の腕を通そうとした林を、刹那はさりげなくスルーした。
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深めのソファーにいつものように体をあずけ、そのまま沈んでしまったら面白いのにと刹那は思った。
いつもの店員が、目を丸くしてるのが思った通りだったが、林はオーダーしたコカ・コーラをすすりながら、「あの人、綺麗だな」と呟く。
お前は何なんだ?と、刹那は呆れはしたが、確かに私より大人だし、綺麗には見える。
黙っていた。
話すことは何もなく、林の気持ちもわからない。
わかったからと言って、自分の気持ちに変化が起きる気もしない。
なのに、確かに面倒だからという理由で、こうして林の要求に応える必要も、本当はなかった気がする。
「虚栄心?」
刹那は、心の裡に独り言ちた。
だって、男が、自分に声をかけてきたんだ。
ちょっとは未だ知らない感情を味わってみたくもなるでしょ?
「刹那」
対面の林が、刹那を呼んだ
林にはどきどきしないが、男に名前で呼ばれる事には少しどきどきする。
「何?」
「お前さ、趣味とかあんの?
部活もしてないし、あんま友達いなさそうだし。
あとさ、いつもしれーっとしてるのに、プライベートはどうして全然違うの?
格好とかなんだけどさ」
なんだか面倒くさい話しかしないなと、刹那は思った。
「趣味とか、特にないな。
友達も、別にいいや。
私、以前よく苛められてたから。人は面倒くさいよ。
格好は、公彦に見られたくはなかったな。
一人で楽しんでいたいだけだから」
自分が下の名で呼ばれるのはどきどきするけど、男を下の名で呼ぶのは恥ずかしいだけだなと、いやな汗をかくような気持ちを刹那は覚えた。
「もっと、面白い話してよ。
わざわざついてきたんだから」
自分のどこから、こんな言葉が出てきたのか不思議だ。
「お前さ、こないだ会った時、すっげえ綺麗だと思ったんだ。
ビックリするだろ?いつもの学校の感じと別物だし、迷ったもん、本当に福原なのか自信がなくて、声をかけようかどうしよかって。
それに、ここに来てるの偶然何度か見たから、ここには何かあるのかなって思ってて、なら一緒に行こうか、みたいな」
「で、何かあった?」
「何も。
ちょっと綺麗な店員が一人。
あと俺の前に、も一人マブい女の子が一人だけ」
「つまんないけど、まあいいや」
刹那は小さな声で言った。
林とのデートは思ったほど面白くはなかったけど、一人でいるよりは楽しかったのかもしれない。
「白猫」を出て、二人は並んで歩いた。
「これからどうするの?」時間はまだ早く、刹那は気になった。
「俺の部屋に来る?」そう口にする林も、表情に期待感はない。
「無理」
顔色一つ変えず即答する刹那に、林は手を延ばして言った。
「刹那、手を繋いでいいかな?」
何で好きでもない男と手を繋がないといけないのかと思ったが、「手を繋いでいいかな?」とわざわざ聞いてくる林は、優しい男なのかなと思った。
「ないな」
「じゃあ、いつかは手を繋げれたらいいな」
刹那は、はっとして林を見た。
何でもない言葉だけど、自分の気持ちを優先するでなく、刹那の変化を促すでもないその言葉に、刹那は初めて林に好感を抱いた。
「私も、ちょっと、そうかな」
スイーツでも食べようかと林に言った瞬間、明日どころか、今日から今までとは違う日なのかもと、刹那は思った。
(続く)