いつか見たいくつかの狂気
無人駅
その日は日曜日で、最初の目的地の最寄り駅に到着した時にはもともと小降りだった雨は既に上がっていた。
自動改札機はおろか、自動券売機もない無人駅。
これから向かう先ですることはと言えば、いかにも申し訳無さそうに頭を下げ、そして設置済みの機器を停止させ、停止を確認してもらい、その作業料を回収する、というもの。
初期設定に訪問した際は、その物珍しさや有効性を評価されていたようだが、機器販売や設置の窓口となっていたところの説明が足りなかったようで、「そんな話は聞いていないし、それならいらない」と。
色々の調整の結果、構造上取り去ることが難しいため停止させるのみ、といいうことで落ち着き、初期設定に行ったのはお前だろという事で私が訪問する事がが決まった。
そして、立ち会いの都合から日曜日となり、停止の原因のひとつである説明不足の窓口担当者は、当然、来なかった。
1時間に1本電車があるかないかの無人駅。電車の到着後、申し訳程度の待合スペースで約束の時間まで時間を潰そうとするも、移動中にスマホでできることはやり尽くしており、手持ち無沙汰。
どうにか時間を潰し、目の前の坂を上り、時間ちょうどに呼び鈴を鳴らす。
事前に用意しておいた説明不足であった旨の詫びを述べ、作業の許可をいただき、待合スペースにいた時間よりも短い時間で作業を終える。
その後、立ち会いのもと停止を確認し、他に影響が出ていないことを双方確認して、作業料の支払いの段に。
予想通り、窓口担当者は支払いが必要な旨やその金額を伝えておらず、結果として、自分の所属する会社の落ち度では無いのだが、重ねて詫びることになる。
すべての遣り取りが終わり、改めて頭を下げ、扉を閉める。
手動で鍵を掛けられたことを確認し、最後に停止した機器を掃除してその場をあとにし、来た坂を下り、別の坂を登って次の目的地へ向かう。
雨上がり、蒸し暑い。
疾うに対応などできなくなった機器を前に、汗を滴らせながらひと通り確認。その間、要望ともクレームともつかぬあれこれを聞き、説明のために再び同じ様に確認して、あたかも申し訳ないという素振りを見せながら、当初の予定通り何も改善ができぬことを詫びて後、手元にないと言われていた手順書を渡してその場をあとにして坂を降る。
駅まで5分。
電車が出て、2分。
待ち時間、59分。
電車を待つ間、窓口担当者に連絡。機器の要不要はともかくも、作業料について説明がないのはいかがなものかと、濡れたオブラートで幾重にも包んで伝えるも、多忙とのことで以降の段取りなど確認なく。
仕事としての有り体を考えるに。
不要のものを作り、不要のものを売り、直せぬものを直せと言われ、壊れるものを壊れぬと言え、とは、悉く狂ってるな、と。
この門をくぐる者は
手持ちのカードが非対応で、チャージできぬまま電車に乗ったために乗り換えのたびに面倒な作業をして、ようやくとその日の宿に。
翌月曜日は祝日ということもあったので既に行きたいところに目星をつけていたが、いかんせん不案内な土地。
寝るには十分な部屋であと僅かで残が無くなりそうなスマホに充電しつつ、移動経路を確認。
そういえば、昼を食ってなかった。
腹が減ってるのはスマホだけではない、と、いう事で。
とりあえず50%程度までの充電が確認できたため、手荷物だけを持って宿の外へ。ここは人口の1割が住む街。なにかしらあるやろと、あてもなく10分ほど。
香辛料の匂いに惹かれ、「ロダン」
その日、扉を護る機器を自らの手で停止させ、その後、永遠なものなどあろうはずないという言葉を飲み込んだという、その日の作業を反芻していた目にはあまりにも狙ったかのような店名。
曰く、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と。
たるべきであったろうに。
軽く頭を振ってくだらない思いつきを脇に追いやり、店に入ってメニューを目にして、考える人になったのはまた別の話。
ドラえもんだらけ
2種合掛けだったので、少なくとも三位一体ではなかったなと馬鹿なことを考えつつ、宿。そのまま床に。
翌朝、目的の場所に向かう。
午前の天気はいまひとつで、目的の場所に通じるエレベータまで向かう途中では沢山のドラえもんが濡れていた。
目的だった塩田千春展に
目的の場所である森美術館は自宅からおいそれとは行けない距離にあり、私にとっては何かの折に無理にでも予定を調整して行く場所。
そもそも美術館に向かうことは、何かを諦めきれていない証左だと自嘲しつつ、以前より見たいと思っていた塩田千春展に。
映像で見た狂気を体験したい、それに耐えることができるだろうかと恐る恐る展示室へ。
発想の源が狂ってる。
比べるまでもなく自分の無才を感じ、展示されている作品ひとつひとつの迫力と狂気にあてられ、呆とした状態で、外に。
バスで、青山に
森美術館から地上に降り、バス停を探す。
東京のバス、わからん。
スマホで見る限り、次の目的地までは歩いても向かえそう。ただ、荷物が多くて歩くのが億劫なので、半ば博打のようにバスに乗る。
歩かなかったことを後悔するレベルで目的地最寄りのバス停は思ってた以上に近く、ま、これも経験と。
周りをきょろきょろしながら少し歩く。
いまいち自分がどこにいて、どこに向かえばいいのかがわからない。
洒落たネックストラップをつけたミラーレスを下げ、雑誌から抜け出す時に一回転んだのではないかと思われるようなファッションのカップルや、妙に重装備なカメラを下げた夫婦と思われる人たちが総じて向かう方向がおそらくそうであろうと、あたかも散策でもしてる体でついていくと、そこには岡本太郎記念館。
以前の職において、事業所も事業部も異なるためにさしたる接点がなかったにもかかわらず、互いにその職を辞してからの遣り取りのほうが密度が高いという、ある意味不思議な関係の先達と合流し、中へ。
自分の無才など意味を成さないほどの圧倒的な力で殴られる感覚。
計算しつくされた狂気の上を偶然でコーティングしたような圧。
今、改めて写真を見るに。
最後の目的地である岡本太郎記念館での体験があまりも強く。
ひとりでいたなら、きっとそれがダメ押しになってしまって両日の間にあてられた狂気に負けてしまっていただろう。
と、同時に。
私に同じような熱量の狂気はあるか、と。
無いなら、作らねば。
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