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カラーフィルムの寿命って何年だろうか

20世紀の終わりが見えてきて、恐怖の大魔王の足音が聞こえてくるような気がしていた1998年。
定職にも付けず、かといって何かを成すこともなく、ただ朝から晩まで(時には朝から朝まで)「出来の悪い」DTPオペレータのバイトとして口に糊していたある日々。

絵を描くことが、あるいは、何かを平面上に作り出すことがずっと好きだった。
しかし、その頃の自分はというと。
万能だと思っていた自分が定職にも就くこともできず、今まで関わるようのなかった人のカルチャに馴染めず、好きだったはずの絵画に向かうも絶望的に無才であることに心折れて筆を折って久しく、これでは駄目だと思いつつも澱のように溜まっていく何かを受け止めきれないまま無為に過ごしていた。

日の出ている時間に帰れたある日、阪急梅田駅に向かう道すがら、いつものように入ったばかりのなけなしのバイト代をおろしてBIGMANの下の入り口から紀伊國屋へ。
入り口をくぐると、いつもどおりの人混みで。
色々のことから参っていた自分は、欲しかった本まで向かうことなく回れ右して早足で店を出てとにかく人の居ない方へ。

情けない。

人混みに耐えれず、BIGMAN下に集ってる人たちの明るい声にも耐えれず、とにかくその場を離れたくて。17番街の方向へ。

そこには、カメラの大林があった。

「絵は描けなくても、写真は撮れるかも」
そんな考えがふと浮かんでしまい、おそるおそる店に入る。
明るい店内には、ガラスケースに入ったバルナック型のカメラ(当時はその名を知らなかった)だの、コンパクトカメラだの、一眼レフだの。コンタックスだのライカだの。

ただそのブランドを知っている、幼かった過去に使ったことがあるというだけの理由と、今手元にある現金で買えるというだけの理由で、絞りもシャッター速度も、フィルタも焦点距離も、なんにもこれっぽっちも知らないにもかかわらず、PENTAXのMZ-5を指差して「これください」と。

何やっても駄目な今が変わるかもしれない。
変わってくれ。
そう思いながら。

ま、実際のところ、現実はそんな甘くはなかったけど。
そんな始まりの話。

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