進化論とデザイン:資本主義 vs. 仏教? #320
パーソンズ美術大学・Transdisciplinary Designの最初の学期には、「Transdisciplinary Design Seminar (TD Seminar)」という必修授業があります。私が入学した2021年はTransdisciplinary Designの創設者であるJamer Huntが担当し、Transdisciplinary Designとは何かを教えてくれました。
この授業では自分の学びをエッセイにまとめる課題が3回ありました。このシリーズ記事では、英語で書いたエッセイを日本語に翻訳し直して掲載します。
今回は一つ目のエッセイ『進化論とデザイン:資本主義 vs. 仏教?』を取り上げます。この記事でTransdisciplinary Designについて理解できたり、私のデザインに対する姿勢が伝わったりすれば幸いです。
進化論とデザイン:資本主義 vs. 仏教?
デザインとは何か?
デザインとは曖昧な言葉です。物質的なものを美しくすることもデザイン、機能的で使いやすくすることもデザインと言われます。デザインは多様なのです:Graphic Design, Web Design, Fashion Design, Industrial Design, Interior Design, Lighting Design, Product Design, Service Design, Strategic Design, Communication Design, UI/UX Design, Transition Design, Speculative Design, Transdisciplinary Design(私はここにいます!)。 デザインとは何かを説明するだけで一つの論文になってしまうので、ここではデザインを問題発見と問題解決の行為と定義します。
では、どうすれば問題を発見し解決できるのでしょうか? 問題の捉え方は、世界の捉え方そのものです。その方法の一つにシステム思考があります。これは要素同士が複雑に絡み合うことを前提とした世界の捉え方です。
そして、世界をシステムとして捉えた後に解決策を考えていく際の介入ポイントがレバレッジ・ポイントです。レバレッジ・ポイントには12段階のレベルがあります。下位の(数字が大きい)レバレッジ・ポイントほど簡単だけど効果が小さく、上位の(数字が小さい)レバレッジ・ポイントほど難しいけど効果が大きいとされています。
最高かつ最難関のレバレッジ・ポイントとされているTranscending Paradigmsは仏教の悟りに近いと表現されています。デザインやシステムの話をしているのに、最終的には仏教にたどり着いてしまいました。
どういう点が仏教的なのかについて考えてみましょう。仏教(特に原始仏教)では、十二因縁というシステムの捉え方があります。いたるところでこのループがあるという世界観で、これを苦しみのループと捉えて、いかにこのループを断ち切るかを考えます。ブッダが考えたこのループにおける「レバレッジ・ポイント」は、執着・渇愛でした。唯一この点は人間が努力(瞑想や慈悲の心を持つように意識)すれば断ち切れると考えられるからです。
また、システム思考におけるstay with the troubleやwicked problemといった概念は、この世で生きていくことを「苦」と捉えて受け入れるように促している仏教とも共通しているように見えます。このように、仏教とデザインはシステム思考という共通点を持つのです。
デザインと進化論
システム思考と進化論について考えていきましょう。「進化論は万能酸である」とダニエル・デネットが言うように、デザインにもこの影響は及びます。進化論によると、環境に適応的で生存と生殖に有利な特性が後世に伝えられていきます。生物的遺伝子をgene、文化的遺伝子をmemeと呼んだりします。仏教は、2500年近い自然淘汰の荒波を乗り越えて今に伝わる進化論的に適応的なmemeです。
デザイナーが残すべきミームは何かを考える時期に来ています。産業革命と資本主義が今の時代の基礎にあり、人新世とも言われるほどです。複雑化した問題は局所的なアプローチでは新たな問題を生みかねません。
たとえば、環境問題への対処として、海洋ごみの問題があります。ペットボトルのゴミで海が汚染されていることを解決したいとします。そこで、捨てられるペットボトルで糸を作れるようにして、その糸で服を作ればペットボトルのゴミが減ると考えたとしましょう。一見すると、いわゆる「エコ」な活動をしているように思えます。しかし、実際はその服を洗濯すると洗濯時の摩擦などでマイクロプラスチックが発生してしまうため、むしろ深刻な海洋汚染に繋がってしまっていたという例があります。
SDGs はシステム思考的なアプローチにも思えます。17の課題は相互に影響し合っていることを前提としているからです。ただし、完璧なものではなくいくつかの課題があることも指摘しておきたいと思います。
一つ目の問題は、包括的な解決策やそれぞれのゴールを実現する方法が明確でないことです。Goalであってもsolutionではないということです。169のTargetsにもさらに細かく分けられていますが、これらもsolutionではありません。これを提示された私たちは実際に何をすればいいのかは明らかではありません。
もう一つの問題は、Goalを設定することはレバレッジ・ポイントでいえば3番目に有効であるということです。つまり、さらに有効な手段がデザインできる余地があるのです。それよりも上はパラダイムシフトで、SDGsにおいては資本主義からの脱却かもしれません。Sustainable DEVELOPMENT Goalsとあるように、資本主義における経済成長が前提となっています。資本主義を延命するための措置は果たして本質的な解決策と言えるのでしょうか?
資本主義 vs. 仏教?
前述のようにドネラ・メドウズは、パラダイムを超えることは仏教の悟りに似ていると言っています。全ての偏見をなくして世界をありのままに見えるようになれば、全ての問題は解決するのかもしれません。
資本主義的な考え方は私たちに深く刻まれています。「2%以上の経済成長をしなければならない」「GDPがその国の価値そのものだ」「お金があればあるほど幸せになる」。どれも幻想であり、虚構であるということにみんなが気づいた瞬間、資本主義という神話も消え去ってしまいます。
そもそも、人類の長い歴史の中で資本主義が栄えているのはほんの一瞬の出来事です。ソ連の崩壊により社会主義の信頼が損なわれてから、資本主義はBestなシステムというのが常識になりつつありますが、実際のところはBetterなシステムであるだけです。「資本主義はひとつのパラダイムに過ぎず、いつか自然淘汰が資本主義を消し去ってしまう日がくるかもしれない」ということは覚えておきましょう。仏教でいえば、諸行無常なのですから。
レバレッジ・ポイントの12レベルが正しいならば、(方法は仏教的でなくとも)パラダイムを超えることを目指すのがデザインの目指すべき最終目標であることは、デザインを学ぶ私たちは忘れてはいけないでしょう。
欲を肯定する資本主義が残るのか? それとも、欲を捨て去ることを勧める仏教が残るのか? どちらに基づくデザインが生き残るかは、自然淘汰のみぞ知ることです。