なぜTransdisciplinary Designは重要なのか? #319
これまでパーソンズ美術大学・Transdisciplinary Designでの学びを通して、「Transdisciplinary Designとは何か?」「Transdisciplinary Designはどのように実践するのか?」などについて記事を書いてきました。
これまでWhatやHowにあたる記事は書いてきたので、今回は「なぜTransdisciplinary Designは重要なのか? 」というWhyの部分を書いてみます。ただし、Whyについては先生から直接教わるわけではないので、私なりに考察を試みている内容です。まだ整理されている説明ではないことをご了承ください。
現代社会の「厄介な問題」に対処するため
デザイン界隈では、Rittel and Webber'sが1973年に発表した『Dilemmas in a General Theory of Planning』という論文の 「Wicked Problems」という言葉が有名です。科学が扱えるのはTame Problems(飼いならされた問題)だけであり、社会問題のようなWicked Problems(厄介な問題)は科学的なアプローチでは対処しきれないと指摘されています。
このWicked Problemsに対処するためには、直線的な因果関係を還元主義的に分析する科学的アプローチでは限界があり、複雑な関係性をありのままに理解する必要があると考えられています。その方法に一つにシステム思考があります。
ドネラ・メドウズによってシステムに効果的に介入できるポイント(レバレッジポイント)は効果の大きさに基づいて12段階に分類されており、最も効果の大きいレバレッジポイントは「Transcending Paradigms(パラダイムを超える)」とされています。近年はトランジションデザインやシステミックデザインなど、デザインにシステム思考を取り入れながらパラダイムシフトを視野に入れる傾向がありますが、Transdisciplinary Designも同様です。
デザインの対象が拡大してきた歴史
社会的な課題に対処できるというTransdisciplinary Designの機能的な側面から重要性を説明しましたが、次にデザインの歴史的な経緯からTransdisciplinary Designの立ち位置を確認してみます。近代のデザインは産業革命から始まります。グラフィックデザインやプロダクトデザインから始まり、UI・UX、サービスや政策などもデザインの対象とみなされるようになっています。
つまり、デザインの対象が変化・拡大するにつれて、より抽象的なものをデザインするようになっています。その先にはデザインという分野そのものやパラダイムなどもデザインの対象になるとするならば、これらを対象とする次世代のデザインとしてTransdisciplinary Designを捉えることもできるでしょう。
日本におけるTransdisciplinary Designの受容
Transdisciplinary Designが次世代のデザインであるならば、日本ではどのように受け入れられていくのでしょうか? その伝道師になるのは、おそらく日本人留学生。Transdisciplinary Designの日本人留学生には、Japan+Dで活躍されている方も数名います。
デザインを行政に取り入れるということは、先ほどのレバレッジポイントで言えば5. Rulesや3. Goalsなどをデザインの対象としていると考えることができるでしょう。ただし、あくまでも「日本」という国家の存在を前提とすることになるはずです。現在はインターネットが普及し、ブロックチェーンやDAOといった概念・手段が登場し、国家のような中央集権的なシステムから自律分散型のシステムへの移行も提案され、国家に求められる役割が変わっていくという予測もあります。
国の行政としてのデザインで現在の国家体制が覆るようなパラダイムを想定することは難しいですが、フラットな視点ならば「現在の国家体制が解体されるとしたら?」という新たなパラダイムを想定することだってあり得ます(もちろん、クーデター等を主張したいのではなく、パラダイムを考えるということの壮大さの例として挙げているだけです)。日本の行政という立場によって可能なこと&不可能なことの両面が見えてきます。
きっとビジネスの文脈で発展してきたデザインを行政に導入すること自体が大仕事のはずです。「デザインは美しい物をつくること」という認識が一般的なため、そもそものデザインの役割を国民に伝えることから始める必要もあるでしょう。Transdisciplinary Designを実践するのはまだ難しいという事情もうかがえます。
Transdisciplinary Designは2010年に創設された新しい学部で、これまでTransdisciplinary Designを学んだ日本人は10人にも満たない状況です。なので、Transdisciplinary Designを知れるコンテンツを少しでも増やす必要があると信じて、今もこうして記事を書いています。Japan+Dがトップダウン的とするならば、私はボトムアップ・草の根的な立場なのかもしれません。いずれにせよ、日本でTransdisciplinary Designが受け入れられるには何十年もかかることでしょう。
脱近代・ポストモダンとデザイン
ここまではデザイン界隈の視点からTransdisciplinary Designが重要な理由を考えてみましたが、ここからは産業革命以前も含めた思想史(パラダイム史?)というさらに広い視点でも見てみます。デザインは西洋から始まる産業革命に由来するため、西洋思想という大きな流れの上にあります。西洋思想史の詳細は以下の記事に譲りますが、ポイントはデザインも近代的な思想・パラダイムを前提としているということです。
そして、現代思想の大きなテーマは「脱近代・ポストモダン」です。なぜなら、「最も進んでいる」はずのヨーロッパで二度の世界大戦という悲劇が起きてしまったからです。その理由を突き詰めていくために、非ヨーロッパ圏を文化人類学的に見つめながら近代的なパラダイムへの内省が始まります。
また、近代以前のパラダイムとの比較もされてきました。たとえば、ニーチェでいう系譜学や、フーコーでいう考古学のアプローチは歴史的な流れから今のパラダイムを浮き彫りにしてます。ニーチェは「神は死んだ」としてキリスト教的なパラダイム(中世から近代への流れ)を説明し、フーコーは「人間の終焉」として西洋近代的なパラダイム(エピステーメー)の終わりを予測しました。
脱近代やポストモダンなどというパラダイムシフトを唱える言葉は、今のパラダイムを超えていくとは言うものの、次のパラダイムには言及していません。そもそも次のパラダイムが何かわからないからこそ、今の人類は今のパラダイムにいるわけですから仕方がありません。それでも、世界大戦のような悲劇をこれ以上起こさないように、もがいていかなければなりません。
デザインで知を再統合する
デザインが近代的なパラダイムに基づいていたが、今は脱近代・ポストモダンなパラダイムが模索されている。よって、それに合わせてデザインでも脱近代・ポストモダン的な思想に基づいたデザインが生まれていく。この文脈でTransdisciplinary Designを見てみます。
デザインだけでなくほとんどの学問は、デカルト的なdivide-and-conquer methodの発想で細分化されてきました。分からないのならば分けてみるという還元主義的な理解方法が学問体系にも反映されています。この理由は分業の概念からも説明できるでしょう。細分化して分業を進めた方が効率的なので、競争で優位に立って生き残りやすくなります。逆に言えば、今生き残っているのは細分化が上手くいっているからとも推察できます。
一方で、細分化には負の側面もあり、サイロ化・縦割り・たこつぼと揶揄されます。まるでバベルの塔の逸話のように、それぞれの分野がそれぞれの専門用語を使うようになり、コミュニケーションが取れなくなっていくのです。こうした負の側面を克服するために、デザインでは人類学などを取り入れる動きもあります。もともとデザインはアートとビジネス・エンジニアリングとの統合から生まれたので、コラボレーションは得意です。Transdisciplinary Designはこうした再統合の流れをさらに推し進めようとしているとも解釈できます。
まとめ
Transdisciplinary Designとはデザインにおける新たな一分野ではなく、デザインとその他の領域とを掛け合わせた時に生まれる現象のような「何か」です。現代の諸問題を解決するには細分化された西洋的学問以外にも様々な知恵を総動員する必要があり、この課題への取り組みをデザインの視点から捉えるとTransdisciplinary Designと呼ぶことができます。
Wicked Problemsも近代的な科学的思考法で対処できないからWickedに感じるだけで、他の思考方法では案外すっきり解決できてしまう、そもそも問題ですらないのかもしれません。Transdisciplinary Designはその新たな思考方法・パラダイムを生み出そうとする試みです。
デザイナーとしては、脱近代・ポストモダンに基づいたデザインが生まれていくだけでなく、デザインこそが脱近代・ポストモダンを切り拓いていくと期待したくなります。
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