見出し画像

宮崎県教育委員会との裁判を終えて4年経った今

私が宮崎県教育委員会、延岡市教育委員会との裁判を終えて今日で4年が経った。

放棄という形で裁判を終わらせて良かったのか迷いながら過ごしてきたが、少しずつ良かったと思えるようになってきたので、今までの経過を記したいと思う。

あれから4年間、ずっと私なりに教育委員会と闘ってきた。教育委員会とは和解も合意もしていないので、この件についてメディアやジャーナリスト等の方に取材を依頼した。力をお借りして【行政としての社会的責任】を世の中に問いたかった。
依頼した回数は20〜30回程になるが、お返事をもらい、話を聞いてもらうか取材をしてもらえたのは5回ほどだった。「どのような切り口で伝えたら良いか分からないので見送らせてほしい」との返事も反応してくれたことがありがたかった。

生活については、裁判を終えた後からフルタイムのアルバイトで働き出したが、心身の不調は悪化するばかりで、就寝中に握りしめた手のひらに爪が食い込む痛さで目を覚ますことはよくあり、仕事中に倒れたこともあった。2022〜2023年には自分ではどうにもできないほど状態が悪くなっていたが、どこにどうつながれば良いのか、誰に助けてと言えばよいのか分からなかった。
家に帰り着くと助けを求めるようにお酒を飲んだ。お酒を飲むと日中の緊張が解け、体の力が抜ける感覚があった。毎日の飲酒もコントロールが利かず、家族やハルから「どれくらい飲んでるの?」と聞かれるたび、バツが悪くなる気持ちで少な目に答えていた。
これ以上どう頑張れば良いのか分からなくなっていたとき、首から肩、腕にかけて痛みが増していき、夜も眠れないほど痛んだり、しびれたり、1日を普通に仕事をして過ごすことが難しくなっていた。体の痛みがピークに達し、整形外科や鍼灸院に行ったが、原因が分からずに総合病院でMRIをとった。自律神経が神経を圧迫して痛みが出ていると分かり、そこからリハビリに毎日通ったが良くなる治療法は分からないままだった。


そんな矢先、勤務先の産業医(精神科医)の先生のカウンセリングが受けられると知り、予約することができた。
その先生は年に数回の訪問でカウンセリングを行っていて、痛みについて非常に詳しかった。先生は私の問題についてを聞いてくれた後、私の心の状態や体の反応について説明し、「時間はかかってもきっと良くなっていく。大丈夫。痛みが消えるまで一緒に治していくから任せてほしい」と言って、励ましてくれた。先生の勤務先の病院で診察を受け、カウンセリングとSSRI、SNRIなどの抗うつ薬は避けたいという私の要望を元に、私の体にあらわれている症状にあう薬を選んで処方してくれた。体に感じる痛みは自律神経による神経の圧迫と、抱え続ける苦しみ、怒り、悲しみなどが長引く心的ストレスとなって、私の脳が痛みに過敏になっていることが原因だと分かった。

そこからなるだけ体や心に負担をかけない生活をしようと、先生に相談して生活を整えていった。

一旦フルタイムの仕事は辞め、心身を整えることに注力した。おかげで病院で処方されていた1日3回のロキソニンとレバミピド、タリージェ、タンドスピロン、牛車腎気丸などの服用と痛み止めの貼り薬を止めることができ、2年ほど悩まされ続けてきた痛みも2024年10月頃には慢性的に感じることがなくなった。


今、PTSD、複雑性PTSDに悩まされている人たちには病院にかかることをおすすめしたい。通院に抵抗があるかもしれないが、私はカウンセリングと投薬をお願いできる精神科医の先生と出会って、「一人で頑張らなくていい」と言ってもらえ、いつも頭の上に乗せて生活している問題を一旦頭から下ろす方法も教わることができた。今思い返してみても、体の痛みや心身の不調は負のスパイラルで自力で抜け出すことがとても難しく、悪くなっていくばかりで本当に苦しい。呼吸法、イメージトレーニング、ヨガのすすめ、シャワーより湯船につかることのすすめなど、色々なアドバイスがもらえて、一つずつ試して、今やっとここまでこれたことをありがたく思う。

「あの時、裁判で請求を放棄していなければ今頃どうしていたかな」と思うこともあるが、今は「あの時に一生懸命考えて決めた最良の判断だったのだから、これで良かったのだ」と少しずつ思えるようになってきた。

性被害に関する色々な裁判の判決や報道を目にすると、2017年、2023年の法改正を受けてもなお、まだまだ道のりは遠いと感じ、あの時の私の選択を最大限に活かすために自分にできることはないかといつも考えている。元代理人弁護士が「法は生きものだから、その時代に生きる人と共に変わっていく。変えていかなければいけない」と言っていた。法の判断が被害の実情に少しでも寄り添うよう、これからも変わっていってほしい。

宮崎県教育委員会、延岡市教育委員会の「加害行為への公正で適切な判断」と警察署や労働基準監督署と同じような「配慮ある対応」があれば、受けた被害がなかったことにはならずとも気持ちに区切りをつけることができたはずだ。

私が被害を申告した後も加害者の行為を認めながら管理職に留め置き、定年まで雇用し続けた一方で、契約期間10日前に被害を申告した私に対して「原告は期間満了により退職しており、被告らは原告が「労働者」であることを前提とする義務を負わない」と裁判で主張した宮崎県教委委員会と延岡市教育委員会。

教職員間で発生した性暴力の問題をうやむやにし、ねじ伏せようとした教育委員会からの二次被害によって7年も8年も心身の不調に悩まされ、病院にかかりながら非正規で転々と働き、こうやって自分の被害について声を上げ続けなければならない。

正規職員、非正規職員の誰もが安心して働ける環境を教育委員会が整えなければ、教員不足はますます深刻になる。一番その悪影響、しわよせを受けるのは子どもたちだ。

このnoteに記した私の記録が、必要とする人に届き、その人が「すべてを一人で頑張らなくていい」と思えて、問題を解決するための参考にしてもらうことができたら、それ以上にうれしいことはない。そして、私の経験をnoteに掲載し続けることが私の今の闘い方の一つでもある気がしている。

昨日は久しぶりにハルと会った。
いつものように色々と報告し合い、色々と意見を言い合い、たくさん笑って、またねと別れた。
学生時代も、私が苦しんでいたあの時も、今も、変わらずそばにいてくれて、いつも味方でいてくれる彼女からたくさん元気をもらったので、今日はnoteに記録を記そうと思った。

「あなたは絶対に悪くない」という思いと共に、必要とするあなたに届きますように。

いいなと思ったら応援しよう!