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元・非当事者のセクマイサークル幹事長③

(その3:活動継続とセクマイサークルの意義)

Arco Irisの活動とMEIJI ALLY WEEKの頓挫

面談の楽しさを知った私でしたが、サークル内での活動は不安定なものでした。

具体的な内容としては学内でのランチ会や食事会などを開いていたのですが、何せ私が幹部の仕事を全面的に引き受けていたので、ほとんど全ての企画が私による独断で行われていました。そのため、私が忙しい時期などはサークルの活動が少なくなったりして、メンバーの参加意欲も低下も深刻でした。

〈セクマイサークル向けのアドバイス〉
幹部を務めると分かっていただけると思いますが、ドタキャンしたり突然連絡が取れなくなったりする人っていますよね。当サークルでもかつては頻繁に発生していました。
その度に幹部がキャンセル料を負担するのは納得がいかないので、飲み放題やコースを使わない、席だけの予約が出来るお店を活用しましょう!
居酒屋で席だけの予約をすると料理がなかなか出てこなかったりするので、個室が使える中華料理屋などがオススメです。


当時は活動について考えるのが精一杯で長期的な運営目線など全然持ち合わせておりませんでした。

その活動が一年続き、私も大学三年になりましたが、まだ三年だからという理由で幹事長は続投ということになります。学年も切り替わり、少し心を入れ替えて何か取り組もうと思った時、ふと脳裏に浮かんだのは2015年と2017年に明治大学で開催された「MEIJI ALLY WEEK」でした。


最初は「今まで二年おきでやってきているから、次やるなら2019年だろう」という安易な考えでしたが、毎年5〜6月にやっているサークルの新メンバー向けの勉強会でこの話題を出したところ、参加希望になんと7人も手を挙げてくれたので正式にチームとして企画することにしました。しかし、当時はオンラインでのコミュニケーション手段にも慣れていませんでしたし、メンバー同士の仲もそこまで良い訳ではなかったので、1ヶ月に一回くらいミーティングをするような頻度でしか顔を合わせていませんでした。企画は私がスケジュールなどを立ててメンバーで相談したりしていたもののあまり現実的な企画も思い浮かばず、はっきり言ってプロジェクトチームとして成り立っている状況ではなかったのです。


こうして頓挫したプロジェクトでしたが、このチームは巡り巡ってSMUAに繋がっていきます。ただ、ここではそちらの経緯は割愛します。(↓のnoteに書いてあります)


私が驚いたのは、サークル内にも活動をしたいと思っている人が思ったより沢山いるということでした。普段はあまり実感できなくても、機会があれば活用したいと考えている人たちがいる以上は場所を提供することを止めるべきではない、と考え、それまで以上に面談で新メンバーと深く話をすることや定期的なミーティングの場を積極的に設けることでメンバーと仲良くなろうと試みました。するとその内「佐藤さんには何でも話せる」と言ってもらえることが多くなり、色々な相談を受けることも増えてきました。その中には家族の問題だったり恋人との関係だったりといった「重い」話も多かったのですが、私は立場としても一人の人間としてもそれらを無下にすることは出来ず、自分なりに考えたことを述べつつ相談者を肯定する形で対応するようにしていました。多少は役に立つ話が出来たと思いますし、そうでなくても人に話すことが悩みの解決に繋がることもあるので少しは私も役割を果たせたと思っています。

自身の当事者性について

ただ、その中で考えていたのは、「自分はここで何をしているのか」という疑念でした。セクシュアルマイノリティの当事者でも無ければ、心理士やカウンセラーを目指している訳でもない、即ちサークルの中では私自身がマイノリティだった訳です。話を聞くのが楽しいから、とは言うものの、自分なんかが話し相手でいいのだろうか、と不安に思ったのでした。

そんな時、大学で三橋順子先生の「ジェンダー論」という授業に出席して、改めてセクシュアリティの4要素について学びました。身体的性、性自認、性的指向、性表現という4つに関しては今までも勉強会で使ってはいたのですが、それぞれが独立して存在していることを授業で理解した時、私のセクシュアリティに関するマイノリティ性への考え方が少し変化しました。それまで、私の中でセクシュアリティはその人の性質を決める大きな要因で、そのマイノリティ性はその人全体に関わってくるものであるという意識が少なからずありました。しかし、要素別に多様性が存在することを考えれば、そのどれか一つにおいてマイノリティであってもそれ以外との関わりは無いと考えてよく、どんな性質を持っていたとしてもその性質によって本質的にその人自身を区別することは出来ないはずです。細かく分析していけば、恐らく多くの人がどこかの部分でマイノリティ性を持っているでしょう。その事を考えれば、「自分は当事者ではないから」という枕詞を使うこと自体があまり意味を成さないのではないかと思ったのです。

そのように認識するようになると、「LGBT」という区分がどうも誤った使い方をされているように感じるようになります。まずそもそも「LGB」が性的指向に関する話であるのに対し「T」は性自認や性表現に関わる部分ですから性質が異なりますので、一緒くたにしていいものか分かりません。しかも、本来被ることのない複数のセクシュアリティをまとめて「LGBTの人」などと表現することはセクシュアルマイノリティを社会から外部化することに繋がってしまいます。寧ろそれを狙っているとすら考えたりもします。

 そこで私が勉強会などで使うようになったのは「SOGI」という言葉でした。Sexual-Orientation(性的指向)とGender-Identity(性自認)の二つからなるセクシュアリティについての考え方として、SOGIは非常に有用だと考えています。それは、「SOGI」が「LGBT」のようにセクシュアルマイノリティをまとめて指すことばではなく、全ての人に関わるセクシュアリティの在り方を指す言葉だと感じているからです。「全ての人に関わる」という部分に関して、それらを持たない人もいる、という意見は頂いたことがあります。ただ、私としては「持たない」という事もあり方の一つではないかと考えています。もちろんセクシュアリティは他人が押し付けるものではありませんので、SOGIで自分のセクシュアリティが説明出来ないと感じる人を否定することはしません。それでも、セクシュアリティを社会から分断されたマイノリティだけの問題とするのではないという部分にSOGIの考え方の意義はあると思っています。

SOGIの考え方に依拠すれば、ストレートと自称してきた私自身もヘテロセクシュアル・シスジェンダーというセクシュアリティを持った存在であると捉えられるようになり、他のセクシュアリティを持った人との概念上の垣根は無くなったように感じられました。それまでセクシュアルマイノリティについて「そういう人もいる」「みんな違ってみんな良い」のような理解であったのが、「自分と同じ」と考えるようになったのです。社会的な不都合が様々に存在する以上「同じ」と言い切ってしまうことは些か乱暴ですが、この考え方が広まればマイノリティを蔑視することの根拠は失われていくと考えています。

このnoteのタイトルに付けた「元・非当事者」は、この捉え方に基づいてのものです。私はセクシュアルマイノリティの当事者ではないかもしれない。しかし、誰しもがセクシュアリティの当事者であり、私にとってもそれは例外ではない。だからこそ、私は自分を「非当事者」とすることをやめました。Arco Irisは、自身のセクシュアリティに向き合って何かしらの感情を持ち、それを共有しようとする人のためのサークルです。そのため、サークルの加入条件をマイノリティ当事者限定とせず、公式の活動内容を「セクシュアルマイノリティ及びSOGIの多様性に、関心のある人たちの交流」としています。

Arco Irisの存在意義とは

とはいえ、セクマイ同士の繋がりを作ることがこれまでの活動の中心であった以上、その活動意義を失ってはいけないとも考えました。そこで、私が次期幹部向けに書いたサークルの意義に関する文章を、以下に引用したいと思います。

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活動意義について
サークル活動継続書類に記載された活動内容については、「セクシュアルマイノリティ及びSOGIの多様性に、関心のある人たちの交流」という言葉で合意を得ました。

当事者と非当事者の分断は可能な限り避けたい部分ではあるのですが、Arco Irisがあくまで当事者のコミュニティの場となるという存在意義を持っていることや、現在の参加メンバーもそれを目的として認識しているということから、「セクシュアルマイノリティ」という言葉を入れる必要性を感じています。そこで、「セクシュアルマイノリティ」と「SOGIの多様性に関心のある人」との間に分断があるという解釈を避けるため、「セクシュアルマイノリティとSOGIの多様性」のあとに読点を打つ表記を採用することにしました。

私は、Arco Irisの活動の意義は「お互いのセクシュアリティを理解し合える場所」であるということだけでなく、「当事者としての意識や悩み、経験などを共有し共感し合える場所」であるということだと考えています。また、「LGBTQ」という作られた枠組みではなく、性自認・性的指向(「SOGI」)という誰もが当事者となる切り口からセクシュアリティという現象を考えていきたいという意向があります。

当事者同士がお互いに共感し合いお互いの理解を深められる場所であることと、マイノリティとしての当事者・非当事者に関わらず自分自身のセクシュアリティについて考える場所であることは、サークルとして両立出来ることが理想だと考えます。

セクシュアルマイノリティに対する認知を広めることや、啓蒙活動を行うことよりも、「居場所」としての役割を果たしていくことがArco Irisの持つ価値だと思っています。メンバーが過ごしやすい「実家のような安心感」を目指して活動を継続することが、Arco Irisの活動意義を守る最も重要な手段です。

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 セクマイサークルが、それぞれのメンバーの大学生活における中心となることは多くないかもしれません。それでも、何かあれば相談できる場所、悩みを共有できる場所があることは重要なことではないでしょうか。いつも過ごす場所という訳ではないけれど、時折戻って来られる場所。その喩えとして、「実家のような安心感」という言葉を使いました。

「実家」を守るためには、誰かが活動を維持していかなければなりません。私がいる内は私がその役割を務めれば良かったのですが、大学のサークルである以上私の仕事も期限付きです。そこで私は、3年生の半ば頃からメンバーに企画の発案から実行までを担当してもらいつつ幹部がそれをサポートするオンラインサロンのような形を作ろうとしました。一度「カレーを作る会」を企画・実行してもらった時は上手くいったのですが、それ以降はメンバーからの発案も少なく、またしても私の計画は頓挫します。

結局、活動はサークル維持のための日常的なランチ会などに落ち着いていきました。メンバーの意欲を喚起することの出来なかった私がいけないのですが、私はもはやメンバーの自発性には期待しないようになってしまっていたのです。そこで、私は幹部主導の活動への舵切りをすることにしました。メンバーそれぞれの参加目的が異なるサークルであるため、幹部のメンバーは出来るだけ多い方が良いだろうと、普段のランチ会などに参加してくれていた顔なじみのメンバーを全員幹部にしました。二十数名しかいないサークルに幹部が7人も8人もいるというおかしな状況でしたが、幹部メンバーは引き続き活動にも参加してくれて、サークルは維持されていきました。

オンライン活動下での引き継ぎとサークルの目標

 4年になって引き継ぎの時期になり、私は一旦幹事長を2個下の後輩に譲りました。新2年生を幹事長にしたのは、幹部主導の形で進めていくなら私自身と同様に新2年生を幹事長にして長く務めてもらった方が好都合だと考えたからです。しかし、ちょうどその時期に新しい幹事長は明治大学ではない新たな道へと進むことを決意し、幹部の仕事を続けることが出来なくなってしまいました。そこで、留学を挟んで1年間サークルから離脱していた新2年生を幹事長とすることにし、私自身も可能な限り幹事長としての仕事をしながら新幹事長のサポートをすることにしました。

 同時期に活動を本格化したSMUAにも助けられながら、新たな体制のArco Irisは活動を継続していきました。しかし、このコロナ禍でサークル活動もオンラインで行わざるを得ず、当初はプライバシーを守りやすいということにメリットを感じたものの、クローズドにしているメンバーは実家では声を出しての会話をしづらかったり、直接話すよりもお互いに距離感を覚えてしまったりと課題は様々ありました。今もまだまだ模索中の部分が多くあります。

 それでも、今は以前よりもサークルとしての安定感があるような気がしています。それは、メンバーでしっかり話し合い、サークルの意義を明確にしたからかもしれません。自分たちのサークルが何のために存在し、何故維持していく必要があるのかを共有することで、メンバーの貢献意欲も向上する部分があるはずです。

その①)で述べたセクマイサークルの類型別に、サークルの意義は色々あると思います。サークルの存在が必要なくなることが目標だ、と考えるサークルさんもあるのではないでしょうか。私も一時期そのように考えていたことがありました。しかし、「理解」を超えた「共感」は、社会の中でそう簡単に得られるものではありません。セクシュアリティについて本気で考えたことがあり、かつ大学という同じバックグラウンドを持った者同士が集える場所は、世の中に存在して良いと思います。そうした意味で、私たちは場を維持することを一番の目標としています。その点、ある意味、維持の形にはあまりこだわりません。世代ごとに幹事長が自分の居やすい空間を作ろうとすれば良いと思いますし、それに異議のある人は幹部と議論して皆が過ごしやすい空間を作ることに積極的に努めれば良いのではないかと思います。

 もちろん、サークル運営に正解はありません。個性を重視するセクマイサークルなら尚のことです。だからこそ、それぞれのサークルさんには、改めてサークルの存在意義について議論してほしいのです。困ったら、他のサークルやSMUAに相談するのも有効です。サークルの意義がはっきりしていればサークル承継も上手くいきやすいはずです。大学にセクマイサークルがあることの重要性を自覚しましょう。

 さて、すっかり長くなってしまいました。こんな考えに至りつつ、私は大学を卒業してサークルを後輩に引き継ぐことになりました。これからのArco Irisがどうなっていくかは、私には分かりません。それでもいいのです。様々な個性があって、それを受け容れる場所としてこのサークルが機能していれば、変容も当然の流れですから。今後も、Arco Irisをどうぞ宜しくお願いします。

 もしこれを読んでくださっている中でサークルへの加入やコラボ企画などを検討している方がいましたら、以下の連絡先まで!!ぜひ貴方の手でサークルに変容をもたらしてください。

Twitter : @meiji_arcoiris

E-mail : meiji.arcoiris@gmail.com

 それでは、またどこかで。

2021年3月27日
明治大学Arco Iris 元幹事長
佐藤匠

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