【完全解決】バカの見つけ方
バカは見つけづらい
おっぱいの大きい人が目の前を歩いていたら、「おっぱいが大きいなあ」と思う。電車内で体臭が臭い人が隣にいたら、「臭いなあ、どっかいってほしいなあ」と思う。これは、特徴が目に見えるからである。いっぽうで、「バカな人」は一見するとよくわからない。しかし、バカな人は必ず存在している。例えば、同じ失敗を繰り返す人はバカな人に含まれる。(似た失敗を繰り返すことで社会的に良い影響を与える、ロケット開発や基礎科学分野においては例外であることを付け加えておく。)
バカな人、というのは社会がつけた名であり、バカなことが良いこと・悪いことという論点の話はしない。それは、人を殺すことは悪いことなのか?というテーマに似ていて、あえてその良し悪しを考えることは差し控えたい。しかし、実際に社会生活を送っていく上で、一定のバカな人と付き合わざるを得ない状況は数多く存在する。例えば、バカな人と仕事をしたり、街中で遭遇することがある。このときに、バカな人を正しく見極め、対処していかなくてはならない。そうしないと、自分自身が騙されたり、自分の生活を妨害される可能性がある。
バカな人とは
バカな人というのはどういう人か、という定義を考えることから始めなくてはならない。脳科学的に言えば、バカな人とは「大脳新皮質のはたらきが弱いことを無自覚な声の大きい人(①)」ということができるだろう。人を考える葦であるとするならば、考えるはたらき(理性的行動)の原点となっているのは大脳新皮質である。ここで、大脳新皮質のはたらきが弱いことを自認し、謙虚に生きている人がいるが、これは例外である。①の定義のうち、バカな人を決定づけているのはその後半部分の「無自覚な声の大きい人」という部分であると私は考えている。それでは、この「無自覚な声の大きい人」とはどういう状況だろうか。それは、物事を客観視できていないという点に集約できるだろう。声が大きいということも、相手がどう捉えるかという考慮が不十分という点において、客観性に欠ける。
物事を客観視する、とは難しく考えることもできるが、その実はそこまで複雑ではない。例えば、「相手の気持ちになって考える」ということも、物事を客観視できている証拠となる。自分がされて嫌なことは、相手にしないということは、とても重要な視点である。ここで、自分の目の前に何か問題があり、その問題解決のためにどうしなければならないか、ということを考える状況があるとする。これは、仕事における重要な判断や、家庭における子育てや教育の場面においてもよく出現する状況である。そのとき、その問題解決を図る上で重要なのは、自分の置かれている状況を客観的に判断する力である。なぜなら、問題には必ず原因となる事象があり、まずはその事象を正しく見極める必要性があるからだ。だから、裏を返せば「物事を客観視できない人は、問題解決能力が乏しい」ともいえる。
バカの見つけ方
物事を正確に客観視できているかどうか、そしてその判断基準はなんだろうか、ということを考えてみたい。まず、対象となる人を見つめるだけでは絶対にわからないため、会話をしてみる必要がある。このとき、見た目や学歴・仕事で大雑把に判断してしまう人がいるが、これはよくない。精度が低いからだ。学歴・仕事はもっともらしいが、そもそもその情報が嘘かもしれないし、良いとされている大学・会社に在籍していることが本当であったとしても、大学の学部や仕事内容によっては評価に値しない場合もある。だから、つまるところ一番大切なのは会話である。そのときに、話す内容を抽象的なものしてみるとわかりやすいかもしれない。例えば、「最近鬼滅が流行ってるみたいですけど、みました〜?」というような質問は、私がよく他人に対してしているものだ。それに対して、「みました!炭治郎が主役というよりは、毒が強かったっていう話ですよね〜w」みたいに答える人は客観視できている人だと感じる。なぜなら、鬼滅の話題を出した時に「おもしろかった」というありきたりな回答ではなく自分の言葉で、そして物語を冷静に分析できていることがよくわかるからだ。更にいえば、「毒が強かった」という独自の視点を相手に投げかけることで、その共感が得られても・得られなかったとしても話題が広がる余地を作っていることだ。普段、ここまで考えて会話をしている人というのはそう多く無いし、大抵の場合はここまで的確な回答を得られるとは限らない。会話の得意な人もいれば、寡黙だが思慮に富んでいる人もいる。大切なことは、まがりなりにも自分(もしくは対象)を客観視できているかという視点である。相手がコミュ障であっても、話題を変えて相手のフィールドで会話をすることで、その人の考え方に触れることはできるはずだ。
恋愛バラエティ番組のつまらなさ
私は恋愛バラエティ番組が好きではない。恋愛における出会いというのが重要な瞬間であることは間違い無いが、出会い以上に本当に大切な瞬間は、付き合った後に問題が発生した瞬間であると考えているからだ。恋愛バラエティにおいてもいろんなトラブルが発生するじゃないか!という人がいるだろう。しかし、バラエティ内の各種トラブルは出会いの瞬間のなかのものであり(現在付き合っているカップルが喧嘩して、どう仲直りしたのかというテーマの番組があったとして、それはそれで、見ていて何が楽しいのか分からないが)、いわゆる恋愛マジックの一部に過ぎないからである。
実際の恋愛において、一旦バカな人と付き合ってしまったら大変な未来になることを覚悟しなくてはならない。バカな人と付き合うと、物事を客観視できないが故に、相手のわがままを押し付けられたり、自分の主張を受け入れてくれないなどのリスクが想定される。そして厄介なことに、この状況を変えようとしても簡単には変えられないのである。客観性に欠けているということは、相手の立場よりも自分の立場(利益)を優先するということでもある。だから、自分に不都合な客観的事実があったときに、素直にそれを認めて改善すれば良いものを、それを相手のせいだとして受け入れられない可能性がある。恋愛における具体例としては、相手がイライラしている状況において、自分にやつあたりで暴言を浴びせてくる時を挙げる。このとき、イライラしている相手は、その状態によって自分に不利益を与えているという点において客観性に欠けている。やつあたりをやめるように相手に注意したが、当の相手は「イライラしている内容が悪いのだ」として自分にやつあたりしていることを正当化するかもしれない。
これはミクロな恋愛という状況に限ったことでは無い。例えば世界最大の経済大国である米国のトランプ元大統領もその一人であったといえる。彼は、僅差により大統領選挙で負けてしまったのだが、最後まで負けたことを認めなかったばかりか、相手陣営であるバイデン側に不正があったということを主張し続けた。つまり、彼自身も自分の置かれている不利な客観的状況を認めなかったということだ。
客観性の重要性
他にも、列挙したいバカの例は後を絶たない。今回の自民党総裁選不出馬表明をした菅首相が行った政策「携帯料金の値下げ」もその一例だっただろう。彼は携帯電話の月額料金が高いと考え、総務省を通じてNTT等携帯会社に対して圧力をかけた。その結果、各社は大幅な値下げを行うことになったが、各社の大幅な収益減により市場の寡占化が進み、結果として将来的な値上げを助長することになりかねない状況となっている。目に見えている問題を、そのままわかりやすい形で解決することがベストな方法ではないこともある。例えば、国民の携帯料金の負担を抑えたいのであれば、独立系の通信会社が参入しやすい環境(税制優遇など)にして市場競争を活性化させることも考えられたはずだ。現在の瞬間だけをよくすることで、その反動として過去に負のレガシーを残すようなやり方をとるようでは、最初から何もやらない方がマシであると私は考えている。時の菅首相でさえ、物事を大局的に考える「客観性」に欠けていたと言わざるを得ない。
追記
小学校・中学校・高校・そして大学に至るまで、私たちは様々な文献を通して社会について学んできた。例えば、中学校の社会科の授業で民主主義についてを学んだときは、封建社会や参政権の歴史及びポイントとなる人物の人物像・主義や主張についてを活字ベースで学習してきた。高校生くらいまでの私は、とても頭の良い人たちが世界中にあふれているんだな、と思っていた。これは、自分自身に謙虚さ(無知の知)を与えるという意味では良い瞬間だったといえるかもしれない。
しかし世界中には、頭の良い人たちはむしろ少数派で、大半はバカな人たちであるということが判明した。しかも、バカな人たちは一見してもよくわからない。でも、話をしてみるとよくわかる。その共通項が「客観性の欠如」であることもわかった。
客観性に欠ける人間をどうコントロールしていくか、ということを考えることは、世の中の諸問題を解決する手がかりとなる。
さんざんなことを言ってきたが、最後に「世の中バカが多いから、なんでもやってみればなんとかなるよ」という明るい視点を以て締め括りたい。例えば隣の席の友達が「この前スノボ始めたんだけどおもしろいよ」と自分に対して話しかけてきたとする。そうすると「こいつでもスノボできるんだったら、俺がやったらもっとうまくできるかもしれない」と考える人は多いだろう。即ち、「社会にはとてもすごい人がいて、そのすごい人がすごいことをやっているから自分には到底できないだろう」という負のモチベーションを捨てて、「実際にやってみたら俺の方がうまくできるんじゃないか?」と皆が考えれば、世の中がより良くなっていく気がする。
ただ、ここでいう「皆」というもののなかにバカが含まれていると、話が厄介になってしまうのだが。
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