まもなく人類滅亡
かの天才物理学者であるアインシュタインに対して、「第三次世界対戦で使用される武器はなんですか?」と聞くと、「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。」と答えたという。つまり、第三次世界大戦で使用される武器によって人類は滅亡・もしくは個体数が激減するということをいっているわけだ。他でもなく、この際に使用される武器とは大量破壊兵器である、核爆弾・水素爆弾のことであろう。
核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずとの非核三原則は、果たして実効性のある原則なのか?日本が非核三原則を遵守したとして、それは世界の秩序維持にどれだけ貢献されるのだろうか?現在も大量破壊兵器を所有している米国・中華人民共和国・ロシア等についてはどうなのか?
ここでは、政治的な主張をいったん置いておいて、今後予測される事態について、人類滅亡までの大雑把な流れを予測してみることにする。
IT・人工知能・量子コンピューター等の情報技術の革新が我々にもたらした恩恵は計り知れない。今こうしてベッドの上でノートパソコンを開いて記事を書いていることも、ここ15年程度の技術進歩がもたらしたものである。シンギュラリティ、とよばれる人知をコンピューターが超越する瞬間は、間も無く訪れるはずだ。養老孟司先生が、シンギュラリティについて尋ねられたときに、「コンピューターに人類が駆逐されるって?そんなときは電源コードを抜いちゃえばいいんですよ」というような発言をされていた。確かにその通りである。私も、AIがまるでターミネーターのように人類を直接殲滅しにくるとは考えていない。おそらく、ターミネーターよりも先に人類は潰えてしまうことになるだろう。それではその原因はなにか。それはおそらく「核」である。
実際、現在米国・中華人民共和国・ロシアの大国がそれぞれ所有している大量破壊兵器は、人類を全滅させうる量をはるかに凌駕している。つまり、少なくともこの三国のいずれかが本気で怒った場合(戦争状態)、人類滅亡の危機が生じるということだ。これまでの歴史を振り返ってみても、こうした大量破壊兵器が登場してからの大きな戦争はこれまで起こっていない。なぜなら、核兵器が生まれてからまだ100年であり、初めて核兵器が使用されてからまだ70年しか経過していないからである。「戦争をやめよう」とか「世界平和」という聞こえの良い言葉ばかりが一人歩きをしているが、戦争はやめられないし、世界平和はおそらく訪れない。なぜなら、人類という生物種間における競争の仕組みは自然由来(種間競争)であるからだ。オリンピックや世界陸上、資本主義のシステム自体も、この競争を人間用に修飾しただけのものである。犯罪者が一向に減らないということや、ヘイトクライムが定期的に発生していることは、いずれ戦争が起こってしまうことを裏付けている。これはシンプルな「悪い人がいるから戦争が起こってしまうんだ」という発想ではなくて、「種間競争はどういう環境においても発生してしまうから(例えば、学校内や職場内におけるいじめ)、その結果として国家間が戦争状態になってしまうことは自然な流れである」ということである。これを、悲観論として捉える人も多くいらっしゃるはずだが、私はこうした将来における人類の行いについてすら、生物の自然現象に過ぎないと考える。つまり、良くも悪くも思わない。
さて、それでは人類滅亡の瞬間はいつになるだろう。これについてはわからない。しかし、直近でいえば米中貿易戦争はその引き金となる可能性がある。例えば、以下の構図は実際に起こる可能性がある。
①米国が中華人民共和国に対し、経済制裁を強化して国際的な締め付けを行う。その結果として中華人民共和国の経済力が弱まる。
②経済力の弱まった中華人民共和国の国民が、中国共産党に対して不信感を抱くようになる。
③中国共産党は、求心力を保持するために祖国統一というテーマを掲げて周辺各国に侵攻する。(ここでは、わかりやすく台湾としよう)
④台湾が中華人民共和国の一部となると、外交問題上の不都合が生じるために米国が反発し、台湾近海へ日本の海上自衛隊の巡視船等を派遣する。
⑤ついに中華人民共和国が日本の巡視船に対して武力行使を行い、日本も自衛権を行使して専守防衛に徹する。
⑥日中間の戦争状態が発生する。
⑦米国はあえて立場を曖昧にし、あくまで日中間の戦争であることから中立的な姿勢をとる。
⑧中華人民共和国が日本国本土に対して軍を派遣する。
⑨???
⑩人類が絶滅危惧種分類(IUCN)における絶滅(EX)認定
実際にはこんなところだろうか。おそらく、米中戦争といえど最初に衝突するのは地理的にも近い米国の同盟国である日本になる可能性が高い。もし、⑧の事態まで進むことなれば、日本には3回目の核爆弾が投下されることになるかもしれない。そして、この爆弾投下をもって中華人民共和国は威圧を終了し、一旦戦争は終結するかもしれない。いずれにしても、手軽に核兵器を使用することができるようになった現代において、話し合いで解決することがより一層困難になったと感じる。そもそも、話し合いで解決できないから大量破壊兵器が生まれ、いまだに各国が大量に所有しているわけだ。
先ほど、シンギュラリティの話を出したが、技術の革新速度に比べて人間の知能はほぼ変わっていない。一説によれば、ホモ・サピエンスが誕生してから20万年の間、知能についてはほとんど変化していないといわれている。歴史は繰り返す、というがそれは当たり前のことかもしれない。さらにいえば、これまでの歴史を一通り学習してきたことで、戦争なんて回避できると思い込んでしまっている人が多く存在している。現在という一点に関して言えば、歴史は一度きりなのである。これまでの日経平均株価のチャートをみて、今後が簡単に予測できるのであればだれでも億万長者になれるはずなのだ。
さて、人類が滅亡するとして、我々に何が出来るのだろうか。いや、何もできないだろう。おそらく、形骸化してしまったアイデンティティのほとんどもたない国家間同士が勝手に喧嘩を始め、それに巻き込まれていつかいきなり死んでしまうんだろう。死なないためにどうするか、ではなくて「死んでからどうするか」ということを考えてみようか。私はその「死んだ後の世界」を知るまではとりあえず生きてみようと思っているだけである。その答えを出すのは人間ではなく、AIや量子コンピューターであるはずだ。