日本という島国における、「仲がいい」という善意の顔をした悪意。或いは、(以下次回)
たまにお客様から聞かれるのですが、
「この街ってみんな仲がいいんですって?」
結論を先にいうと、答えようがありません。
それに、
「みんな」っていう、主語デカ過ぎだし。
「みんな」って、どこ規模?
富士山の上でおにぎり一緒に食べる100人?
たぶん、自分が知らない人のほうが圧倒的に多いだろうし
何を考え、何を想い、此処で商売してるか、なんてハナシ
したの、片手くらい
それも、実際のオーナー店主はそこから更に減る
知らんもんは知らんし
伝聞、推測で物事いいたくないし
「みんなそういうよ」的、主語デカいので迷惑してきた人生なので
(それは後述)
あんまり人付き合いが得意なわけではなく
愛嬌、愛想がいいわけではないです
けれど、
表裏はない、嘘はいやだ、言うことは言う
これが、「仲がいい」に所属出来ない原因らしい。よ
少しアプローチ変えて。
そもそも、
「仲がいい」って、なに?
わかりやすく「仲がいい」を使うときもあるにはあります
ですが、その時の根拠は、
その方がどういう考えでお店をやられているか
そのお店のウリが何なのか
店主、オーナーの仕事がすごいな、考えに敬意を抱いている
ということがまず、大前提です
なので、補足説明として
「こういう仕事をするところを尊敬しているんですよ」
そう「関係性」を説明しています
人生いっかいこっきり、なので
中身が空っぽの繋がりをつくっている隙は1秒もない
と、考えているのですが
「そういう付き合い」が出来ないと
「仲がいい」ではない、と扱われ
「仲がいい」わけではないので、何かあれば攻撃の対象になる
イリーガルでも、約束を破っても、
「仲がいい」間では赦され
「仲がいい」ではない相手側が非難の対象となる
「仲がいい」わけではないから、攻撃していい対象、となる
ずっとなくならない
「いじめ」の構造と同じなんですよね
「いじめ」の対象になりたくないから
自分は小学校高学年から、一番酷い時は中学一年、ときですかね
今の「いじめ」報道観ていると
「ああ、もしかしたらヲレも死んでたかな。」
ってくらいの、毎日毎日一寸の隙も逃げ場もないくらい喰らってました
担任がよかったのと、筋の通ったヤクザ並みのスケバンがいたから
なんとかギリギリ助かったけど、シロートとチンピラがどんだけくだらないけど暴徒になって怖いか
さんっざん、味あわせて頂きましたよ。ありがとう、K森中学
「仲がいい」なんて、一瞬で裏切られるのを味わい、見てきた
相手に対して敬意を持って、自分は何が出来るのか
それしか信頼も、関係性もないのでは
重ねて、重ねて、そこに辿り着いた現在
だから「仲がいい」という気持ち悪い幻想に、吐き気がする
そして、「仲がいい」といいつつ
見えないところで陰口叩くのを聞かされなが酒を飲むことになったり
論拠のないスゴいヲレの噂を、うちのお客様が拾ってきたのを聞いて
稚拙さと信念のなさは、時として罪。とすら感じる
故、
フェアで常に闘えると思うな。
アンフェアの中で生き残れるチカラ持て。
コレしかないのかな、と。最近考えたこと
「仲がいい」って、なんか信仰か、宗教みたいだね
人は弱い。確かに
だけど、
すがったら、「すがらない」人を攻撃できるくらいの原動力になる
なんか、ね。一向一揆の静かver.にすら感じるよ
映画「楽園」の原作を読んで、改めてそんなことを思ったことも
後程、書いてみようと思います
いじめで苦しんできたり、今そうだったりしたら、survivorとして話聞きます
一緒に生き残る道を探すお手伝いが出来たら、と考えています
この世の中、殊日本は、いろんな意味で熾烈な状態だと思っています
酒を出す店ですが、10代でももっと年齢下でも受け入れます(絶対飲ませないからね)
そういう意味では、真っ当なメシを出している店としての自信はあります
お客様の品位もよく、人生経験豊かな方が集まります、酒での荒れ事は無い方です
まぁ、そんなことも実はやってたりすることを、少し書き添えておきます