「それはハンデではなくて、その状況の中で楽しみを見出す、素晴らしいチャンスだと思うのです。」と言っていた。
腎臓病の人の接客をさせて頂きました、昨晩。
去年辺りから来てくださるお客様が、また新しいお友達を連れてきてくださって。
基本的にはおひとりなのだけれど、お連れになるお友達はどなたも
人としてとても豊かな、ステキな方々ばかり。
今回は「彼は腎臓が弱いので」お酒は飲めないのと、塩分気にしなければならなくて、と。
酒を出す店、酒飲ませる店、として「うのすけ」を捉えられていると
え?請けるの?と思われるかもしれないのですが、
卯乃助本人としては、「枠に囚われないで使って欲しい」のが結論
メシ食いたい、でもいい。お酒中心でも、もちろんウェルカム
(流石に飲み頃をとっくに過ぎたロングカクテルの氷水啜りながら、長居されるのはお断り致しますが…)
お酒の他にも、国産の厳選したお茶たちのご用意もありますし(隠しネタも各種…
調味料に関しても厳選していますし
先日は「調味料を一切使わない」ラーメンにもチャレンジ致しましたので
素材からのナトリウムと旨味でお召し上がりになる料理も誂えられます
お連れさまから
「すみませんね。いろいろ面倒で」と言われてました
身体的ハンデがある人って、所謂「健常者」とおぼしき人と比べて
「違う対応を相手にお願い「せざるを得ない立場」という自覚を持つのか
すぐ謝っちゃったり、萎縮しちゃったり、する人、多いと思います
お気持ちはわからなくはないです
ですが。
「楽しむ」ことに、ハンデの垣根ってない。と思うんですよ。
美味しい食事を楽しみたいのも
友人と楽しい時間を過ごしたいのも
カラダや、果てはココロが、元気か、元気じゃないかって
ソコ、関係ないと思うんです。
みんな等しく、今日を、今を、めいっぱい楽しむ権利はある。
だからつい、こう言っちゃったんです。
「それはハンデではなくて、その状況の中で楽しみを見出す、
素晴らしいチャンスだと思うんです。
むしろ、制限がある中で「こんな楽しみもあるんだ!」って気付けるって
制限がない人よりラッキーな部分もある、と思いますよ。」
(たまにヲレは、こーいうなんかヘンなことを、突発的に言う……)
お連れさま、ポカーン。として「そうか。……そうだね。」
ハンデ、という劣勢ではなく、アドバンテージに捉えてみたら?と
多分瞬時に思ったんだと思います
(人生の先輩くらいの年齢の方に、なんてこと言ってんだ。と今になって思う……)
逆に。
コッチもワクワクするんですよね。(って言ったら失礼かなぁ)
「そうきたか!」
「それでもココまで楽しめるんだ、って世界を用意したろやないか!」
むしろ、燃えます。
手段や素材、範囲が制限されることで寧ろ
新たな発想や戦術が出せることは多くて
逆に「なんでもある」「どれでもいい」ってほんとは
「なんにもない」ことなのかな、と考えたりもします
悩みがないこと、不自由でないこと、も同じようなことかな
「うのすけ」は経営が厳しい状況入ってからの方が
考えを深めたり、お客様への熱量上がったと思います
古くからのお客様に見限られ、うまくいかないことが多くなり、不都合も増えてからやっと
自分を見直すことが出来て、店のあり方を熟考するようになり、
淡々と丁寧に、物事に当たれるようになったかと
だからやっぱり、ハンデはチャンス。ラッキーの前触れ。って考えたいです。
追記
昨日の接客で出したもの、備忘録
千葉産本ハマグリと白ハマグリから引いた出汁「だけ」のお椀
強めに取った昆布出汁と、熟成黒酢、有機りんご酢で味をつけたもってのほか(食用菊)の酢の物
野生種のなめ茸とえのきの和え物(コレがいちばん、味が強いかな)
東京産金時草と添加物なしの出汁煮ツナ缶和え
ワタナベファームの初産卵と親鶏の出汁で仕上げた茶碗蒸し
「うのすけ」の料理は、真っ当な素性の素材の風味に概ね助けられているだけ、なので
彼等を活かす最小限の仕事(だけど、初動対応と下準備が大切)だけです
リクエストがあれば、出来ること、つくれるものはつくります。
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