ごあいさつ
私は、人生の大半をラボ教育センターというところで過ごしました。そこは英語や日本語などのことばを習得する過程を通して、子どもの全人格的成長を応援する会社です。
その中心に物語を使った表現活動がありました。私はその物語を研究し制作していく立場にありました。いまは定年退職をして、少し実社会とは距離を置いたところからこの文章を書いています。
いまという時代は様々なメディアが乱立し、子どもは強烈な刺激の中で日々を過ごしています。その中で、もう一度「児童文学」というものを見つめたいと思い、ノートに執筆を開始することにいたしました。
私は児童文学の専門家ではありません。まだまだ未熟ですし、語るほどのこともないかもしれませんが、自分の勉強の備忘録として記録していきたいと思います。その中で皆様のお役に立つようなことがあれば幸いです。
■子どもにとっての児童文学、おとなのための児童文学
子どもにとって物語はとてもたいせつなもので、それはおとなが受ける恩恵をはるかに超える影響をもたらします。この頃に触れた物語は、その後の子どもの一生を決めるほどのものだと思うのです。
たとえば幼児の頃にお父さんやお母さんが、絵本を片手に語りかけてくれた読みきかせは、どんなに困難な時でも強い心を保つ力を与えてくれます。世界の全ての人が自分にそっぽを向いても、両親は自分の味方、自分を理解してくれる人だということを理屈抜きに信じられるようになるからです。
また、まだ経験の少ない子どもにとっての毎日は、すべてが好奇心の対象になりますが、その好奇心を満足させてくれる物語は、外の世界を美しいものとして見る目を与え、いつでも笑顔でいられる楽しい時間を提供し、ワクワクするような冒険に連れて行ってくれます。
そして、子どもの頃に見た美しい絵本の挿絵、お話のプロット、そこに流れる作者の考え方は、いいか悪いか、美しいか美しくないかといった物事を考える基準になります。それは人生を豊かにします。
ところで「児童文学」などといっていますが、このジャンルは子どものためだけのものではありません。おとなにとっても考えさせられる作品はたくさんあります。いやむしろおとなをうならせるような作品でなければ、子どもに与える価値もないという人もいます。
おとなになる過程で身にまとってきたよろいを脱ぎ捨てて「児童文学」を読むとき、意外に胸を突かれてハッとすることがあります。
そんな、おとなの文学と同等かそれ以上の感動をもたらす力を秘めた作品をご紹介したり、作品にまつわる背景をひもといたりしながら、「児童文学」について考えてみたいと思います。