宇野弘恵

公立小学校教員です。著書は『小1担任の極意』『タイプ別でよくわかる! 高学年女子 困っ…

宇野弘恵

公立小学校教員です。著書は『小1担任の極意』『タイプ別でよくわかる! 高学年女子 困った時の指導法60 』『宇野弘恵の道徳授業づくり 生き方を考える! 心に響く道徳授業 (道徳授業改革シリーズ) 』『伝え方で180度変わる!未来志向の『ことばがけ』」(明治図書)他です。

最近の記事

【教師の仕事の入り口って】

勤務校には20代がたくさんいて、いつでも自由に授業参観してねと言ってある。 だから、ふらっと色んな若手が教室にきて授業を見ていく。 先日は若手の他に30代後半の先生も参観にいらしてた。 その時間は学活で、地域の中学校区で取り組んでいる「いじめ標語コンテスト」の標語づくりをしていた。 毎年恒例のことだから、書け―と言ったらそれなりにみんな書く。 でも、それって意味がない。 まあ、この標語の取組自体どうよ?と思うところはあるけど、書く以上、何をどう書くかを指導するのが大事だと思っ

    • 【先手の指導】

       高学年担任が多かったのだけれど、3年間続けて低学年を担任したことがあった。 続けて担任してみて、先手指導の大切さを改めて実感している。 「どうして○○するのですか!」 「○○したらだめでしょう!」という叱責は、後出しじゃんけんと似ている。  活動前に何の指導もせず、教師にとって不適切と見て取れたことについて注意や叱責をする。 それは子どもからすれば、自分で考えたことをダメだしされたこととなり、「叱られるか否か」が判断基準になりかねない。  例えば、生活科の水遊びの指導。

      • 「子どもは騒ぐもの、だから仕方がない」のか?

        これは、数年前の話。 柏森から名古屋までの電車で、明らかに外国籍とわかる親子連れと隣り合わせに座った。 4,5歳くらいの男の子は強烈だった。 まず、結構な声の大きさで歌っていた。 そして電車内の通路を自由に歩き回っては、乗客にちょっかいを出しまくっていた。 立っている男性のズボンを触ったり、女性が持っているかばんにぶら下がろうとしたり。 寝ているおじいさんに「ばあ」と言って脅かしたりもしていた。 私の目をじーっと見ながら、私の脚をつんつんと指でつつきもした(苦笑)。 普段の私

        • 問題の根本はそこじゃない

          授業中にYoutubeを見て遊ぶ。 友だちの写真を勝手に撮って落書き。 授業の様子を動画に収め、 「先生あのときこう言ってましたよね!?」 と詰め寄る。 なんて「困った」話が聞こえてくると、一人一台端末なんて愚策、問題ばかり起きるなら制限しなきゃ的な話になる。 あるいは、教師の指示通りに使わせようと躍起になる。 でも、問題の根本はそこではない。 一人一台の端末が子どもに手渡されるということは、一人一人に委ねられるということだ。 それは、一人一人の人はを管理できないというこ

        【教師の仕事の入り口って】

          【絶対に延ばさない】

          ある年の授業記録から。 今日の5時間目は社会。 とある問いを出したところ大盛り上がり。 はっと時計を見ると5時間目終了時刻。 「ああああ、ごめん!途中だけどもう終わりだ」 と言うと、 「ええええーーー!!!嫌だ、もっと続けたい!あと1時間でも話していたい!」 とブーイング。 授業も途中で終わって尻切れトンボだし、もんのすごい盛り上がってるから、続けたい気持ちはある。 でも、こういうときでも、絶対に授業を続けない。 このときの熱は冷めるかもしれないけど、次時の授業を工夫すれ

          【絶対に延ばさない】

          高学年担任をめいっぱい楽しむために!『スペシャリスト直伝!高学年担任の指導の極意』が発売となりました!

           私は初任でいきなり5年生の担任になりました。高学年担任云々というよりも、担任の仕事って何?というところから始まり、とにかく周りの先輩方に助けられての2年間でした。  その後低学年を担任し、そのとき初めて高学年には高学年の、低学年には低学年の仕事や指導の仕方があることを知りました。また、その違いの大きさも目の当たりにしました。  高学年担任が敬遠されたり、あるいは過度にもてはやされたりする昨今。確かに仕事量も多く生徒指導案件や学級経営で四苦八苦する面もあります。しかし、低学年

          高学年担任をめいっぱい楽しむために!『スペシャリスト直伝!高学年担任の指導の極意』が発売となりました!

          教職の魅力とは何か考えてみませんか?『教職の愉しみ方 授業の愉しみ方』 まえがき

          堀裕嗣先生と共著を書かせていただきました。 現場の教師にしか伝えられない教職の魅力、授業の魅力があります。 これから先生になる学生さんや教職に就いたばかりの若い先生には、その愉しみをぜひお読みいただければと思います。 教職に就いて久しい先生もぜひご一読いただき、改めて教職の愉しみとは何か、授業の愉しみとは何かを考える一助としていただければと思います。 宇野弘恵のまえがき      Twitterで「#教師のバトン」と検索をかければ、教員の働き方に関する膨大な意見や訴えや愚痴

          教職の魅力とは何か考えてみませんか?『教職の愉しみ方 授業の愉しみ方』 まえがき

          子育て世代の先生方に向けた新刊  『あと30分早く帰れる!         子育て教師の超効率仕事術』まえがき

          子育て世代の先生たちに向けた本を書きたいと思い続けて数年。単なるエッセイではなく、乾いた仕事術の本でもなく。大変な思いをしながら働いている子育て世代の先生やこれからお子さんが生まれる先生の不安や悩みに向き合いつつ、育児や仕事への向き合い方や方策を伝えるための本が書けないだろうかと構想に数年を費やしました。もう教師を続けられない、子どもが産まれた仕事をどうしよう、我が子と学校行事のどっちを優先?……、と悩んでいらっしゃる一人でも多くの方のお力になれれば幸甚です。 まえがき

          子育て世代の先生方に向けた新刊  『あと30分早く帰れる!         子育て教師の超効率仕事術』まえがき

          謙虚であるという姿

          腰が低い。 にこにこしている。 自分から声をかける。 自慢しない。 いばらない。 否定しない。 褒められても否定する。 自分はまだまだと言う。 自分より他者のすばらしさを認める、称賛する、広める。 ……。 これが謙虚な姿、なのではない。 と、今日思った。 謙虚とは、自分の誠心誠意に対し否定的批評を受けた時に、感情的にならず、卑屈にならず、盲目的に受け入れず、冷静に再度自分の実践をメタ的に分析できることを言うのではないか。 やはり、その前提には、精いっぱいやれているかどうか

          謙虚であるという姿

          女子の人間関係指導って……

          「Aちゃんが、Bちゃんのことムカつくって言っていたよ」 と、いちいち教えてあげる子の存在について。 大人から見れば、この子が場をひっかきまわし問題をややこしくしている、あるいは問題を引き起こしているのは一目瞭然。 いちいちBさんに告げ口しなければ、BさんはAさんがどう思っているかなんて知らずに済み波紋は起きないのに。 知らぬが仏って諺があるように、世の中には知らない方が幸せなことってたくさんあるんです。 知らなければ悩むことも怒ることもないし、また私のことを悪く言っているんじ

          女子の人間関係指導って……

          【生まれたときと、死んだときくらいなものだと思っている】

          「ハロウィン楽しみ!!」 と子どもたちが言うから、 「先生は1ミリも楽しみじゃないけど」 と言うと、驚かれた。 どうやら今日はおうちで仮装したりおやつ交換をしたりするらしい。 ハロウィンは、もうすっかり日本の家庭行事になったのだなあとしみじみ思った。 昨日あるニュースで、ハロウィンは仮装して自分が主役になるイベント、それが既存の日本行事とは決定的な違いというようなことを言っていたのをきいた。 なるほどと思った。 「世界はあんた中心に回っていないよ」ということを散々言われ続けた

          【生まれたときと、死んだときくらいなものだと思っている】

          「行事が終わると学級は荒れる」は本当か

          むかし、むかし。 行事にバカみたいに時数をかけていた時代があった。 例えば学芸会の劇発表に20時間とか。 いかに素晴らしい発表を見せるかが目的。 「素晴らしい」とは、演技がうまいとか気持ちがこもってるとかセリフを間違えないとか声が大きいとか、そういうこと。 演じている子どもたちが劇に入り込んでいたら、それはすごいと高評価。 そうなるように時間をかけて練習し、教師があれこれ指示を出し、その通りになるように何度もさせる。 そうやって猛烈に学芸会に心を燃やさせるから、

          「行事が終わると学級は荒れる」は本当か

          舞台と日常生活の往還

          「行事は通過点であってゴールではない」 「行事が終わった後は荒れる」 と言われる。 あるいは、 「行事を成功させよう。そして、子どもたちに自信をつけさせよう」 「行事を通して個や集団を育てよう」 とも言われる。 その通りだと思う。 では、行事が通過点であるとは一体どういうことなのか。 なぜ行事が終わった後は荒れるのか。 行事を成功させなくては、自信がもてないのか。 あるいは、自信とは何に対するどんなものを指すのか。 はたまた、個や集団の何を育てるのか。

          舞台と日常生活の往還

          何だかすごいな、子どもって

          けんか。 机をこっちに寄せて、いやこっちだ、っていうやつ。どっちもまっすぐしたいけど、意見が合わない。黙ってみてたら、周りも巻き込んで結構なけんかになった。一方が怒って怒鳴って泣いた。 基本、こういうタイプのけんかに介入しない。 周りの子が訴えてきても、暴力が振るわれていない限り介入しない。好きなようにさせておく。もちろん怒ったり、後で説教したりもしない。当人たちが話を聞いてくれと言ってきたときは、聞く。 で、事情を聞き、どちらも教室のためにきれいに机を並べたかっただ

          何だかすごいな、子どもって

          あたって砕けて次のを探せ

          高校生のころ大好きな人がいました。男子情報で向こうもどうやら私のことを気に入ってくれているよう。私はずっと「早く告白してくれないかなあ」なんて思っていました。(自分から告白するなんてこと絶対にできない怖がりの私でした) 当時の親友・美子ちゃんは教えてくれました。「あのさ、あたって砕けろだよ。砕けたら次のを探せばいいの」と。地球上に人は五万といるんだし,きっとまた好きになれる人だっているんだからと。 なるほど……。向こうももしかしたら私から告白するのを待ってるのかもと思い一

          あたって砕けて次のを探せ

          見守ること、待つこと、そして見取ることも支援

          教室で一斉指導をしている時、T2や支援で入っている先生が、座り方のだらしない子や話を聴けていない子にそばでぼそぼそ指導することがある。ちゃんと座る、きちんと話を聴くことは大事な指導だ。だから、その指導が必要ないとは思わない。 あるいは、グループ活動などにうまく入れない子や、作業が手間取っている子のそばに行って手助けすることがある。場と状況にもよるから一概には言えないけど、これも善意の指導だ。 あるいは、子どもが活動しているときに、活動について話しかけたり褒めことばをかけま

          見守ること、待つこと、そして見取ることも支援