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UNOBITOコラム⑬~散歩行者の行進~

お疲れ様です。UNOBITOのピッピです。
UNOBITOコラム⑪で書かせてもらった「百日散歩行」を開始して、今日までで、12回目が終わった。

百日散歩行とは、私が無能者と表現するマウントを取る人間、通称『マ人』(詳細はUNOBITOコラム⑪を読んでください)について、私自身に許す心、認める心がないのではないかという自分疑問から、
1時間以上の散歩
1回の散歩行で神社仏閣を1参拝以上する事
散歩行を100回実施

というルールを決め、百日散歩行達成後に、マ人を許し認めれるか否かという個人企画をスタートさせた。

現在(2025年2月5日)で、12回11ヵ所の神社仏閣へ参拝をした中で、感じている現心境について、報告を兼ねたコラムを書いている。

百日散歩行を実行するまで、神社仏閣というものは、初詣やその界隈の行事でしか行く機会がなく、神社仏閣の知識や経験が少なかったこともあり、感じる事が色々ありかなり収穫を得ている。

それは、
神社仏閣のほとんどには、階段が多い
ということ。

階段が多い理由としては、無知識のピッピが考えるに、神社仏閣は、神様、仏様、開祖した聖人、歴史上の人物などを祀っているため、神格化する意味でも人や街よりも高めに設定されているという意味と高台まで上がり、参拝をするという行動が修行であり、目的を明確化する行為ではないかと思っている。

高台にそびえ立つ神社仏閣はある意味では、私は神社仏閣の下で生きて、神社仏閣は上から私を見る構図となっている。
そこには、物理的な上下関係が既に生まれており、拝む方と拝まれる方の関係(参拝関係)が成立している。
成立している参拝関係に、私は何の違和感も疑問の生まれない関係であり、私が自ら赴いて実施していることであるから当たり前とすら思う。

そんなことを考えていると、ふと思う事が出てきてくる。
『なぜ、私はマ人に違和感を感じ、嫌悪感を覚えるのか?』

参拝関係とマウントを取る方と取られる方のマ人関係は同じ構図なのに、肯定的と否定的という真逆の現象が生じている。
私は、この真逆現象は2つのマ人特徴が原因であると考える。

一つ目は、私の今まで生きてきた経験から、マ人に対し、高台にそびえ立つ人間力はないと瞬時に判断をし、同等もしくは下に見ているという事。
二つ目は、マ人がたとえば、大富豪や事業成功者などに対し、同じようなスタンスでマウントを取るかと言えば、明らかにヘコヘコしたり、迎合するのは間違いなく、お調子者となるという事。

この2つの理由が、同時に感じ判断した時に、マ人認定をして、急激な嫌悪感が生じ、マ人認定者を人間の底辺であると判断していたことが分かった。

私は、マ人のように、大富豪や事業成功者に対し、過度なヘコヘコや迎合は一切する人間ではなく、自分たちが崇高で強者であると思っているような群れを作ることや群れに誘われることを拒絶する人間で、今まで来てしまった(それはそれで問題があり、もっと出来ていれば人生が変わったいたのかもしれない)のが、マ人認定をしてしまう原因なのではないか。

12回の百日散歩行で、マ人の構図とマ認定原因を身体で感じながら自分自身で解釈をする事が出来た。
残りの88回はさらに、百日散歩行に精進し、対マ人改造仕様『シン・ピッピ』となれるように実行していきたい。

そして、12回目が終わって、今思う事は、
『マ人は、無能者の最底辺の人間であり害でしかない』
『1時間のウォーキングは長く、30分ルールにしておけば良かった』
である。

ピッピの修行はまだまだ続きそうだ・・・。

今までの百日散歩行については、Instagram、Facebook「UNOBITO JAPAN」で投稿中。フォロー登録宜しくお願いします。

第1回 糟嶺神社(東京都調布市)
第2回 昌翁寺(東京都調布市)
第3回 金龍禅寺(東京都調布市)
第4回 水の郷神社(神奈川県清川村・宮ケ瀬)
第5回 深大寺(東京都調布市)
第6回 大國魂神社(東京都府中市)
第8回 国領神社(東京都調布市)


第9回 富士阿祖山太神宮(山梨県富士吉田市)
第10回 妙長寺(神奈川県鎌倉市)
第7回・11回 喜多見不動堂・玉姫稲荷神社(東京都世田谷区)
第12回 穴澤天神社(東京都稲城市)

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