「薬師寺奉納歌舞伎」2010.8.3(再録)
初出2010.8.6:https://ameblo.jp/uno0530/entry-10611497535.html
薬師寺奉納歌舞伎。
奈良県・薬師寺大講堂前にて遷都1300年祭行事の一貫として、奉納歌舞伎が上演された。2010年8月2日、3日。
その3日の回を見てきた。
猛暑の奈良。
西ノ京に18時半に着いた時には日中の暑さはかなり和らいでいた。
誘導に従い進む先に大講堂。大きさに圧倒される。
講堂前には約30列に左右が100強のパイプ椅子が並ぶ。本来はかなり広い会場のはずだが、大講堂の大きさの前にコンパクトな印象すら持った。すでにかなりの観客が着席している。
今回はクラブツーリズム主催のため団体客が中心のようだ。
私は前方中央ブロックやや下手。本舞台下手端、名乗りの弁慶が目の前に来るあたり。
講堂の表扉は開けてあり、中の仏像がうっすらと見えている。その前に緋毛氈の長唄連中の台。脇には松羽目。舞台から下手先に橋がかり風の舞台、突き当たりに能がかりの五色の揚幕。
さらに講堂正面から下手にかけて短い花道が斜めに少しだけしつらえてある。先に仮ごしらえの鳥屋。
講堂側から見ると凸字形の舞台。凸の突起の部分が本舞台で中央には階段、周囲は欄干で囲まれている。観客からはやや視界を塞がれる格好。
舞台下には四本の篝火が置かれている。
陽が落ち掛かる頃、空は講堂の真上にだけ雲がない。篝火に火が入れられ、開幕。
一調一管「大和」 傳十郎の笛が空間を切り裂くように鋭く鳴り、傳左衛門の鼓が固く澄んだ響きを空に放つ。緊張感ある演奏に客席がぐっと集中する。奉納歌舞伎に相応しい引き締まった空間を作った一曲が終わると辺りは暗くなっていた。
やまない蝉の声、遠くに響く電車の音、風、暑さ、と、コンディションとしてはけしてよくない中での傳左衛門、傳十郎の演奏に心から拍手。幕間は10分。
この頃、会場の上空に厚い雲が。風が強く、松明の炎がボボボボッと時折唸る。船弁慶には相応しい何かをはらむような妖しい空気。
船弁慶が始まる頃には真暗に。講堂には灯は入らず、舞台からの光を受け薄暗い中に仏像達が浮かび上がる(角度によってこの仏像の見え方はまるで違ったようだ。正面から見たかった)。
それを見ながらこれは奉納歌舞伎で、私達はお裾分けをいただいているのだと気づき厳粛な気持ちになる。
「船弁慶」
勘太郎の弁慶は初役とは思えない存在感。
声に力が漲り、第一声から引き込まれる。静への同情は強くは現さず、知盛への調伏にも容赦がない、動きも鋭く、強く厳しく、逞しい弁慶だった。
七之助は凛とした、涼やかな義経。気品ある佇まいで貴種そのもの。静への愛情を強くは表現しなかったが、舞を所望する「堀川の御所で舞った都名所」の台詞の時に一瞬見せた、2人の日々懐かしむ、優しい表情が忘れられない。
勘三郎の静も緊張感を保ち、前段は終始「美しさ」のある舞台だった。
勘三郎の静御前。衣装は六代目のもの。コンディションを維持するのが大変なはずで野外には使わないかと思ったが、それだけ大切な舞台ということだろうか。あるいは1000年を越える薬師寺の空間によりマッチすると考えたか。実際に、鄙びた色合が素晴らしかった。
暑さ、風、音響(ピンマイク使用)で舞うのはかなり難しかったのではないかと推察する。
観客も集中力を維持しづらかった。
正直、前シテは勘三郎にしては情景の豊かさが不足したように思う(それでも眼前に次々に都の四季は浮かんだのだが…)。
余談だが。
中村屋の静御前は情景がくっきりと浮かび上がる、語る力の強さが私には魅力的だ。
春はあけぼの、で大きく両腕を開いて天を仰ぐと、うっすらと霧に覆われた初春の山の冬景色、日の出の光景が浮かぶ。その日の光の神々しさ。
揺れる扇が描き出す爛漫の桜に酔う心地。夏木立、でぱっ、と両腕を開くと一瞬にして訪れる新緑の木々と陽射し。ホトトギスのつーっ、と飛ぶ様を静の瞳に感じる。糺の森、の静かな舞に浮かぶのは紅葉のカサカサと風に舞う音。
義経と過ごした日々を一つひとつの景色に重ねながら舞う静が最後に別れを嘆きながらゆっくりと烏帽子の紐を解く。解いた紐をゆっくりとたたむ(少しでも別れを遅らせたいかのように)、その指先に悲しみが溢れていて涙を誘う。
都の情景、静の心、ともにつぶさで、漫然と見るのを許さない濃さがある。
詞章の描く世界が瞬時に立体化するのが中村屋の踊りだと思う。
余談終わり。
「渡口の遊船」の謡は地に近い高さだった。高い裏声は使わず。裏声を使う方が女らしくはあるが、細くなりすぎて頼りないので、ここは地のほうが好きだ。
舟長は彌十郎。舟人は新悟、鶴松。私は鶴松の月代頭は初めてちょっと不思議。軽妙さは控えめ、律儀さの強い真面目な舟長だった。アイとしては少々弱かったか?
後シテ。
知盛の霊の出の前に舞台照明が一旦落とされる。やがて講堂に灯が入って、仏像達が暗闇から浮かび上がった。何体もの仏像の見守る中、知盛の霊が登場。
震えた。
普段、中村屋の船弁慶は前シテの豊かさが大好きな私だが、今回は後シテの圧倒的なパワーに強く惹かれた。
隈は昨年と同じく髭の部分を藍で。背後の闇に白塗りが映え、明るい歌舞伎座で見るより古怪。
正面舞台は高く足元が見えなかったが、逆に花道は低めでよく見えた。波の上を滑るがごとき足取り。上体をやや傾け本舞台に迫る知盛。妄執が風に乗って押し寄せてる。
「アラ珍しや、いかに義経」の呼びかけには己を殺し一門を滅ぼす義経への恨み以上に、再び闘える喜びが満ちていた。そのパワーが見守る仏像達によってかつてないほど増幅されたように私は感じた。
仏達も中村屋を媒介して語られる物語を楽しんでいたのではないか。
花道に入る時には正面舞台から花道に差し掛かる幅が狭くもたついたり、花道が短かったり、義経一行を隠す都合、知盛が花外に残る時間がやや長かったり、空間的にスムーズとは行かない場面が多かった。
波乗り六法も、鳥屋の前でぐるぐると回るなど一工夫必要だった。
だが、客席が静まるのをじぃっと待っていた中村屋が見せた幽霊手の見得は凄まじく恐ろしく、身震いした。
ぐうっと伸び上がって、ふっ、と突然落ちる、あの間…。様々な外的阻害要因を乗り越え、仏の加護を得ながら見せてくれた、素晴らしい舞台だった。あの空間に居合わせられた幸せ。
カーテンコールはあったが、舞台に戻ってお辞儀のみ。観客への礼とともに、勘三郎が大講堂を振り返って弥勒如来に向かって深々と一礼し、また、金堂を見上げて手を合わせて礼をした姿に感じ入った。
まさにこの日の舞台は「奉納」だった、と思う。
それにつけても薬師寺である。
義経、弁慶、知盛の物語よりも「場」の力が圧倒的にでかかった。ずっと大きな空気に包まれていて、薬師寺という場が見守ってきた歴史の長さにただただ圧倒される。
知盛らの物語は特別ではなく彼らの前後にも連綿と続いてきた歴史の一点に過ぎない。そしてまたその一点は「今」と地続きであるという実感。刃を交わす義経と知盛、調伏する弁慶を見ていて不意に涙が。過去でありながら現在であるような、不思議な感覚に襲われた。これは終演後まで続いた。
終演後の大講堂前。弥勒如来。真ん中に座らないと見えなかった景色。私はかろうじて光背が見えた。
なお、長唄は勝国・勝四郎の杵屋社中に傳左衛門さんの社中。中村屋は贔屓にしてるからよくある組み合わせとは言え、絶品であった。