忘れないよ、とそっと送るエール。〜「僕らは友達」石田洋介
先月来、ワイドショーやネットを騒がせている、とあるご当地キャラにまつわるニュースがある。
高知県須崎市の公式キャラクター「しんじょう君」と、コツメカワウソのちぃたんをモチーフにした「ちぃたん☆」との、須崎市と運営会社とで行われている話し合いに基づく騒動である。
この問題はテレビやネットで報道されているような、単純なキャラ同士の「対立」ではないし、商標権争いだけが問題なのでもない。表面に現れているのはごく一部であって、実際にはキャラクター運営に関する「ご当地キャラ」のスタンスと「芸能キャラ」のスタンスとの相違やそれぞれの目的・志向の交錯が産んだ複雑な問題を孕んでいる。
そのこと自体はこの文章の主眼ではないので詳細は割愛するが、関心のない人はどうかうわべだけのニュースには触れずにそのまま「無関心」(無批判)を貫いていただきたいし、関心がある方は須崎市の公式発信や様々な分析記事まで含めて読んでいただいて問題の全容を知っていただきたい。とりあえず作為的に一部だけを面白く取り上げたワイドショーやネットニュース、そしてツイッターなどでの勝手な噂や憶測をうのみにすることだけは避けてほしい、と願う。
少なくとも確実なのは、しんじょう君はぽっと出のキャラクターなんかじゃない、ということだ。
須崎市と、市の担当者としんじょう君との地道な活動の積み重ねによって今がある。
2013年に人間界に姿を現してから6年。人口2万人強、全国の人口ランキングでも下から数えたほうが早いほど小さな、高齢化や人口減少という多くの地方自治体と同じような問題を抱える高知県須崎市。その市の「未来」のためにこつこつと市の魅力をPRし続けてきた日々。
2016年のゆるキャラグランプリ優勝は、昨年問題視されたような「行政のマンパワー・マネーパワー」などで勝ち取ったものではなく、何年もかけて須崎市としんじょう君が掴んできた多くのファンの大きな後押しがあってのことだった。
私も含め、多くのしんじょう君ファンは今、様々に心を揺らしている。
心ない報道、心ない誹謗中傷。争いたいのではなく、解決したいのに。
そんな中、一本の動画がYoutubeにアップされた。
「僕らは友達」石田洋介
もともとは2016年の熊本・大分地震の際に、くまモンを励ましたいという要望で作られた曲だ。
その動画の中で、石田さんはややぶっきらぼうな面持ちでギターを抱え、何も語らずにただ歌っている。
サビの部分、
「Dear My Friend がんばれ」
と歌う部分を、不意にこう歌った。
「須崎市 がんばれ
しんじょう君 がんばれ
モリトキ がんばれ」
(モリトキというのはしんじょう君とともに歩んできた、須崎市の担当者の名前だ。)
歌い終えた石田さんはまたぶっきらぼうな顔で立ち上がり、動画は終わった。
ぶっきらぼうだった。
まっすぐだった。
それだけに胸を打った。
多くのファンが石田さんのツイッターへ感動のメンションを送り、該当のツイートは250以上のRT、600近い「いいね」を獲得している。
◆
そもそもは、前述のとおり2016年の春、熊本・大分地震をきっかけに活動を自粛したくまモンを励ましたい、というご当地キャラクター協会の会長、荒川氏による要望で作られた曲だ。
お披露目は、2016年5月白河市のライブレストラン、Jack&Bettyでのワンマンライブだった。そしてその翌日からの「白河子ども夢フェスタ」というキャラクターイベント。白河では歌う前に「福島のみんなならわかってくれるはず」と小さくつぶやいた、その石田さんの優しい顔を思い出す。
「僕らは友達」
Dear My Friend 忘れないで
僕らがいること
誰かが泣いてたら 君はどうするだろう
僕らは知ってる 君ならきっと
抱えきれない悲しみを前に
君が届けるはずのもの
いつか君がしてくれたように
今度は僕らがそれを届けるよ
Dear My Friend がんばれ
今は会えないけど
Dear My Friend 思い出して
僕らは友達
Dear My Friend がんばれ
今は会えないけど
Dear My Friend 忘れないで
僕らがいること
ストレートな歌詞がその分だけ心にまっすぐに深く届く。
発表以来3年、ライブハウスはもちろん、さまざまなイベントで、全国各地で、さらには海外でも歌われてきた。
石田さん自身も大切にしている曲だと思う。
この曲にとってのエポックを振り返ってみる。
お披露目から4ヶ月後の2016年9月。
台風の近づく熊本城二の丸広場で、天候を危ぶみながら1日だけ開催された熊本キャラフェス。
現場に復帰していたくまモンはもちろん、九州、西日本、東日本、さまざまな地域からご当地キャラクターが集まって、熊本の復興を応援するイベントだった。
石田さんは「僕らは友達」を公開直後からiTunes等で配信しており、その収益からの寄付目録を熊本県や熊本市に渡す目的での来熊。
そのキャラフェスのステージで歌われた「僕らは友達」。
熊本の空に大きなエールが響いた。
くまモンとはステージでは一緒ではなかったけれど、きっとどこかで聴いていてくれたはずだ。
翌年2017年2月には、岡崎でのキャラクターイベント「ともだち101人プロジェクト」で今度こそ、くまモンと一緒のステージでの披露。
石田さんも感慨深げだった。
5月にはアルバム「MOSAIQUE」に配信とは異なるバンド(THE GOT KNEED STONE)バージョンが収録され、CDとして新たにファンの手元に届けられた。沢山の人が今も聴いてくれていることだろう。
さらに、2017年8月、台湾。
Touch The Japanという台日交流イベントで歌われたときに大きくこの曲の役割は膨らんだと思う。
現地の人々の歓声。日本からのファンの声援。
「僕らは友達」が歌われたステージも含め、石田さんがGCB47(じーしーびーよんじゅうなな。GCBはご当地キャラバンドの略。ご当地キャラがガチで楽器を演奏するロックバンド)を率いて行った現地パフォーマンスはベストパフォーマンス賞を受賞した。
現場にはいられなかったが、動画を見ながら、この歌がぐっとスケールアップしたのを実感した。国内に留まらない、言葉は違っても、より広い世界で通じる力がこの曲にはあることが証明されたのだ。
2018年3月のくまモン誕生祭では、東日本大震災から7年目に当たる3/11に、東北へのエールとして歌われた。
時間が経つほど報道は減り、人々の関心も下がっていく。おそらく東北でも熊本でもその想いは同じだろう。
忘れないよ、そばにいるよ。
熊本から東北に届けられた想いに現場では多くの人が涙したと聴く。東北へ想いを馳せながら東京にいた私も、そのニュースを聴いて嬉しかった。
2018年7月。
二子玉川での自身のライブのアンコールに「僕らは友達」を選んだ石田さん。
その2年前、同じ場所(元KIWA)で勤めたステージでもラストに「僕らは友達」を歌った。それは、熊本地震に寄せてこの曲ができたばかりのころ。
それから2年が経ち、今度は北摂の震災、そして集中豪雨が西日本を襲っていた。
そんな風にいつでもどこでも誰かが闘っている。
そのことを憂えての選曲だった。
その前日が自分の誕生日だった石田さんだが、現状を思うと浮かれてる場合じゃない、できることをやらなきゃ、と強い眼差しで語っていた。
「今、ぽちっと簡単に募金もできるしね?」
できる手助けをできる人がすること。
輪を繋いでいくこと。
聴きながら、それに尽きると思う夜だった。
そして今。2019年。
つい先日のステージでも、石田さんはこの歌を大きな声で歌った。
しんじょう君、がんばれ、と。
忘れないで、僕らがいるよ、僕らは友達だよ、と。
それを聴いて涙ぐむファンもいた。
みんなも一緒に歌った。
がんばれ、と。
◆
「がんばれ」にもいろんな色があって、言われると辛いガンバレもある。
この曲の「がんばれ」はそっと寄り添う「がんばれ」だと思う。
石田洋介というアーティストは、常に強さの裏にある弱いもの、光の裏にある影、笑顔の下に刻まれた涙や傷みを掬い取る、繊細な歌詞を書くアーティストなのだが、この曲にも石田さんらしい、押し付けない優しさが溢れている。
無理に鼓舞したり立ち上がらせたりするのではなく、そっと寄り添う言葉達。
がまだせ熊本、というキャッチフレーズは熊本の震災直後によく聴いた。「がまだせ」とは「がんばれ」という意味。
県内の被害を受けた方々がお互いを励ましあう意味で使われてきたのだと思うが、安易に外からその言葉が使われることへの批判もちらほらと目にする。
がんばれという言葉の強さ、きつさへの抵抗感は東日本の震災の際もたくさんの人から聴いた。
もう頑張ってるのにこれ以上、何を頑張ればいいの? という嘆き。
私自身は「頑張る」という言葉は嫌いではない。励まされるのも。
ただ、人がこの言葉に抵抗するのはそこに発した人の無責任さ、無関心さを感じてなのではなかろうか。
この曲における「がんばれ」は優しい。
いつもそばにいるから忘れないで。
いつだって駆け付けるから思い出して。
僕らは友達なのだから、と背中に添えられた手の温もり。
けして忘れないよ、とそっと送るエール。
そんな「がんばれ」だ。
サビの歌詞はもともとは白河で歌ったように「くまモン がんばれ」だったらしいのだが、最終的には「Dear My Friend がんばれ」となった。それがかえってこの歌に普遍性を与えたと思う。
今、隣にいる友達にも、遠くにいる友達にも、どんな友達にも、辛い想いをしてる全ての人に等しく送るエール。
そして、もらった心をもらった以上に届けようという想いの増幅。
「いつか君がしてくれたように
今度は僕らがそれを届けるよ」
エールの交換。優しさ、想いの循環。
優しさがスパイラルしていくこと。
石田さんが曲に込めた願い、思いは歌われるたびにどんどんと遠くに届くようになっていく。歌われるたびにその力を増している。
石田さんにはこれからも長く強く歌い続けてほしい。たくさんの場所にその優しいエールを送り続けてほしい。
いつだって誰だってどんな風にどんな事態に遭遇するかわからない。
0.1秒だって未来は見通せない。
いつ終わるとも知れない命だ。
だからこそ、好きなことをし、好きなものを好きだと言い、他に優しくすることを惜しまないでいたい。
僕らは友達。どんなに離れていても。
そう言い続けていたい。
そんな想いに強く重なり合い、みんなの喉から唄声を、エールを自然に引っ張り出す。
「僕らは友達」はそんな力を持った曲だ。
この夏、須崎では例年どおりであれば「須崎キャラまつり」というご当地キャライベントが開催される。その会場で、石田さんのでっかい声とともに、ファンもみんな笑顔で、がんばったね!という喜びとともにこの歌を歌えることを願っている。
「Dear My Friend 思い出して 僕らは友達」
タイトル写真撮影:著者(2017.4 大田原与一くんお誕生会にて)
※昨年春に書いた下記記事を再構成
「熊本地震から2年経った今、思うこと」
https://ameblo.jp/uno0530/entry-12368280429.html
※実はロッキンオンの音楽文に投稿したら不掲載になった(よほどのことがないと不掲載はないと思ってたら…理由は教えてもらえないので、前半の内容が理由なのか、音楽が主ではないと判断されたのか、歌詞が引用を超えたと判断されたのか、そのあたりかなーとは思うけど不明である)もの。気持ちが浮かばれないのでこちらに載せてみるの巻!
いただいたサポートは私の血肉になっていずれ言葉になって還っていくと思います(いや特に「活動費」とかないから)。でも、そのサポート分をあなたの血肉にしてもらった方がきっといいと思うのでどうぞお気遣いなく。