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「好き」→「大好き」はいつやってくるのか?〜きっと「ゆっくり」が大切


「好き」であふれかえる日々

5月下旬から6月頭にかけて「好き」で溢れかえってる毎日です。
5月半ばに今さら妖精になって我慢していた反動が一気に来た!!って感じです(笑)

ちなみに、妖精になった顛末はこちら。

平井のこーたくん
船橋のふなごろーさん
同じく船橋のふにゃっしーさん
シゲさんHBD! 敬吾バンド最高でした
アートリオン人。聞間さんの歌に泣かされた
EASY DIVERS! 抑制の効いた大人のバンドサウンド最高
大介さんのギターはほんっとにカッコいいのだ


こーたには体調を心配され、ふにゃっしーには秋田に来い来いって招かれ、ごろーさんには成田のイベントになんでいなかったのー!と拗ねられ、供給が強すぎて、尊すぎてありがとうの気持ち。
この、好きな存在からの「なんで来なかったの?」という拗ねの攻撃は、喰らうとキュンとします。来てくれてありがとうより、キュン度は高い、実は。
無理しないでね、来られるときだけでいいからね、も嬉しいし、ホッとするけど「いなくてさみしいと思われてるんだな、というときめき」という一点だけで破壊力が強いワードです。ごろーさん、無自覚のプレイボーイ。

キャラクターという存在を、私がなんでこんなに好きかというと、かわいいというのはもちろんあるんだけど、人間よりはるかに使命感が強く、人間よりはるかに心の透明度が高くやさしく、あたたかいからです。
性質上、当たり前なんだけど、悪い言葉を使わないんです。
人間も見習いたいですよね。
(まれに、自虐的に悪いことや暗いことを言うキャラクターもいます。私はそういう子たちが苦手で近寄らないことにしています…)

この間、愛らしいキャラさんともたくさん逢えたけれど、実は、一番逢っていたのは、kurosawadaisukeさんでした(素敵なシンガー、かつめちゃくちゃカッコいいギタリストなのでぜひ機会があれば現場来てねっ!)。

札幌コーチャンポー、小樽A.LIVE、そして、月末の関東ツアー3日間。さすがに月に5回も大介さんのライブに行ったのは初かも…初だな! 新記録!
6月も4回もライブに行けます。わいわい。

ごろーさんも、大介さんも、続くと飽きない?って聴くんですが、会うたびに違う瞬間があるのに飽きるはずはなく、そこは心配しないでほしい。
逆にすいません、同じ顔ばっか見せて…と思うこともあるので、お互いにほどほどが大事ってことでしょう(もろもろ贔屓の多い人間なので、バランス考えつつスケジューリングしてるんですけどね)。

いやわかんない、やっぱりミュージシャンなりキャラさんなり「演じ手」の側としてはとにかくたくさん来てくれる方がいいのかな、そこの感覚は人によるんでしょうか。
でもこう、どこの現場でも見ていると、急激にスピード感を上げて没入していく人はいつの間にかいなくなってることが多いと感じます。
太く長く、がベストだけど、せめて、長く細く、でありたいと思います。細く短く、太く短くにならぬよう。

客観性を喪わない程度に、どの贔屓との愛も程よく深めていければいいな。そう、程度、つまり「程」は大事なんだと思うのです。

程が大事

昔、浅草文扇堂の荒井修さん(故人)がインタビューで答えていて(ソースはもはや定かではないけれど、歌舞伎関連の雑誌だったと思う)、ほんとになあと思って肝に銘じていることがあります。
最近の人は、ハマる、とか言って急激に深めすぎるのが心配だ、といわく。一気に好きになって、遠征などと称して遠くまですぐに行ってしまう。それはそのスピードの分だけ無理が重なってしまいがちだと。急激に堕ちたものは急激に醒める。分に応じたリズムが必要なんだと。そんなような趣旨でした。
その頃は勘三郎さんにどっぷりでしたが、遠征は全部は行かなかったし、特に海外は自分に禁じていてバンバン行ってる人に引け目を感じることもあったんですが、この修さんの言葉で、そうよな、自分のペースで長く続けられるほうがいいよな、と思い直したのでした。
それで12年、悔いなく追いかけられた(ご存命なら今も間違いなく追いかけている)ので、あのときの修さんの言葉に出逢えたことはありがたいと思っています。

「ゆっくり」好きになる

5/30は勘三郎さんの、生きてらしたら69歳の誕生日でした(みんなで古稀をお祝いしたかったね…)。
ちゃんとカレンダーに入れているし、その日の朝も覚えていたんだけれど、当日は見に行っていたライブが楽しすぎて、あっ!と思い出したのは翌日でした。そんな風に忘れちゃうくらいの楽しい時間を過ごせる出逢いが、亡くなられたあとの12年の中にあったということ、悲しんでばかりでなかったことの幸せに思いを馳せています。

勘三郎さんのことは「ゆっくり」好きになりました。
実は、最初に好きになったのは今の團十郎白猿でした(新之助時代の初役の「助六」で雷に打たれたみたいに好きになった)。そこから歌舞伎をどんどん見るようになり、同時期の勘三郎(当時は勘九郎)さんの舞台もいくつも見て、凄い人だなあ、って思ってはいて。
好きだけど、一番の贔屓ではない、という状況が数年続きました。
最初に書いた手紙には「新之助のファンです」って書いてたから、長いこと勘三郎さんは私のことを成田屋のファンとして扱ってました。だいぶ経ってから、俺のファンって認識を変えてたはずです。いつ頃だったっけな。

で、じゃあいつ、自分の中で順位が変わって勘三郎さんが一番になったかっていうとあんまり覚えてないんですよね…襲名前の最後のコクーンの「夏祭」が決定的な「どぼん」だったような気がする。
ちなみに、中村屋の後援会に入ったのは、襲名の前の年で2004年。2001年に手紙を書いて、2004年だから3年かかってる。そして亡くなる2012年まで追いかけて、気づけば親より大切に思うほど、大好きな、大切な存在になっていました。
こうして書いてると逢いたくなるなあ…。

「大好き」の沼に溺れないように

この「好き」→「大好き」への心のレベルアップはいつどうやって起きるんだろうな~と言うことを最近よく考えます。

最初からずぼっ!と穴に落ちるみたいに大好きになるケースもあるし。
最初はそうでもないんだけど、接触面積が大きくなるにつれてじわじわっと好きが深まるケースもあるし。
むしろ苦手だったものが、大きなきっかけを受けて一気に反転するケースもあるし。

人の心ってのは不思議ちゃんですね。勝手ですね。

どちらにしても何か理由があるはずなんだけど、たいていはふと気づくとそうなっていて「大好き」の沼に胸まで漬かってる。
あれ!?なんで!?いつの間に!??ってなる。
そんな感じじゃないかと思います。

なろうとしてなるものじゃなくて、なってしまってるもの。

…なんてことをグダグダ考えてるってことはつまり、「好き」が「大好き」になっちゃってる自分を自覚したってことでもありまして…。

「大好き」を自覚すると沼の深いとこにざぶざぶと向かっていきがちな自分の性格を知っているので(そしてそれがゆえにしんどい数年を送ってしまった苦い思い出もあるので…書けないけど…)、待て待てもちつけ、と自分に言い聞かせているここしばらくでもあるのでした。

振り返れば勘三郎さんに限らず、長く好きでいられている存在とはみんな「ゆっくり」です。10代で出逢った佐野元春。20代で出逢った花組芝居。30代で出逢った勘三郎さん。40代で出逢ったふなっしーはじめご当地キャラ達(ふなっしーファンになって、もう10年なのかー!)。
逆に最初にどかん!とハマったものからは気づけば離れてしまってます。私にとっては時間をかけることがきっと必要なんだろうなあ…。

今、芽生えた「大好き」は、ずっと守っていけるように、大切に。

ゆっくり行こう、ゆっくり!な!!
(たぶんできないからこそ、しつこく言う)。


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うのじ。
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