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【バトンインタビュー佐世保編④】取材の原動力は「偏愛」が見えるとき フリーライター山本千尋さん

 どのように「まち」を自分事として捉え、何に価値を見出して取り組んでいるのだろう―。そんな疑問を長崎や佐世保を中心に活動する人にぶつけ、価値感を探るバトンインタビュー。

 佐世保市編第4回目は、佐世保を拠点にフリーライターとして活動する山本千尋さん。「させぼの読書会」主宰の稗田憲太郎さんからのご紹介。

 千尋さんは地元佐世保をテーマに、ユニークな記事を書く。例えば、廃バス公民館佐世保の遊郭の記事。千尋さんが発信する記事を読んで、佐世保のあらゆることを知った…気になるくらい、情報量が多い。
 「文章を書くのは自信がなくて、嫌いだったんですよ」。千尋さんから発せられたその言葉は、意外だった。記者の仕事を選び、地元について書き続けるのはなぜだろう。その理由を探った。


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 生まれも育ちも佐世保だが、佐世保のことは正直、好きではなかった。すぐ噂が出回ることやすぐ東京や福岡と比べてしまうところ…。「地方あるある」かもしれないが、そんな地元にちょっとだけ嫌気がさしていた。
 だが、「フリーライター」という肩書きになって、少しだけ佐世保に対する眼差しが変わってきた。その肩書きがまだご年配には通じないこともあるが、「よう分からんけど、よかよ」と言って、取材を受けてくれる佐世保の人たちはあたたかい。「亡くなった祖父母なんて、私のことを新聞記者と思っていました」とクシャッと笑う。
 千尋さんは現在、ウェブメディア「デイリーポータルZ」や長崎県東彼杵郡東彼杵町の情報サイト「くじらの髭」、長崎のタウン情報誌「ながさきプレス」などにそれぞれ毎月1〜2本出稿し、県北の情報を中心に伝える記者として活躍している。だが、幼い頃は記者なんて、目指してはいなかった。

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  幼少期は月刊少女漫画雑誌の「なかよし」や「りぼん」、少女漫画「ふしぎ遊戯」を”教科書”代わりにして、絵を描くのが好きだった。中学では、部活動の新入生歓迎イベントで先輩たちのお芝居に惹かれ、演劇部の扉を叩いた。いつしか、描くことや表現することに夢中になっていた。「人前に立つのは苦手。だけど、何かになりきって出るんだったら、気にならなくなって。それで知りました。私、目立ちたがりやなんだって」。高校でも演劇部に所属。友情をテーマにした脚本を手掛け、全国高校演劇コンクールの地区大会で入賞した。


 演劇関係の道に進むつもりで、演劇活動が盛んな佐賀県の大学に進学した。だが、エアライフル競技に興味が湧き、劇団には入らず、大学4年間をエアライフルに捧げた。卒業後は、福岡の中国雑貨店に勤務。福岡での生活が4年ほど過ぎたころ、「原点に戻ろう」と思い、佐世保に帰った。
 佐世保ではホームセンターでアルバイトを経験。30歳手前という年齢に差し掛かり、「このままじゃだめだ」と少し焦りも感じていた。そして、程なく決心した。「今まで流されるような生活だったから、自分を叩き直そう。苦手なものと真っ向から向き合おう」。頭に浮かんだのは、地元週刊紙の編集記者になることだった。

 記者を希望したのは、週刊紙の取り上げる内容に惹かれたから。何か熱量を持って取り組んでいる人や、佐世保出身でも知らないお祭りや行事…。千尋さんの目には新鮮にうつった。
 求人募集が出たタイミングで、晴れて就職。一から取材方法を学び、慣れない仕事に食らいついた。趣味で木工をしているおじいちゃんや、ひたすら裸婦の絵を描くおばあちゃん、コレクター、鉄道マニア、パフォーマー…。人見知りでもあったが、徐々に取材先を開拓していった。「そういう人たちと話していると面白いんですよね。うちの母は人形作家で、40年くらい人形を作り続けているんですけど、ものづくりをしている人は異常な熱量を持っている。聞いているだけで、刺激を受けるんです」。
 約3年ほど続けた末、結婚を機に退社。子供が生まれ、在宅でできる仕事として記者の経験を生かそうと、2018年にフリーライターになった。

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 これまで取材した中で佐世保のおすすめスポットは、太平洋戦争の口火が切られた暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」を中継したとされる「針尾無線塔」(針尾東町)と、軍港の安全を守るために造られた要塞「丸出山観測所跡」(俵ケ浦町)の二ヶ所。当時の技術が結集された建築的な面白さを見られると同時に、平和についても考えられ、いろんな感情がない混ぜになる場所だという。
 福井洞窟もお気に入りだ。4月に完成した博物館「福井洞窟ミュージアム」では、地元住民の保存活動が博物館設立に実を結んだとのストーリーを聞き、さらにファンになった。西海国立公園に指定されている九十九島でも、ゴミ拾いなどのボランティア活動を地元の人が精力的に取り組んでいると聞く。「それは愛情なんだなと。そこに胸打たれる部分はある。表には現れない情報に惹かれて、まちが好きになる。何か偏った愛情を持って、毎日を一生懸命生きている人もいるのが愛おしい」。

 だからこそ「書きたい」と思う原動力は「愛情や偏愛が見えたとき」と明かす。それを最近実感したのが、「デイリーポータルZ」の企画で、グーグルのストリートビューを使った「超地元案内」。千尋さんが案内人となり、通学路や地元の思い出話を語った。佐世保の魅力を話そうとすると、九十九島や佐世保バーガーの名前が上がりがちだが、人の営みが感じられる情報に心が躍っていることに気づいた。「取材先で『こんな話聞いて、何が面白いの。こんな写真とってどうするの』と言われることもある。確かに、観光スポットのようには目立ってはいないが、実際、まちの歴史が積み重なっているから無視できない。A面が観光だとしたら、マニアックな情報はB面。A面の発信が盛んな佐世保だからこそ、B面がより魅力的に感じる」。佐世保に対する思いは特別なものになっていった。

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 では、千尋さんが妄想する佐世保の将来像はなんだろう。それは「人の営みが感じられる面白い情報をみんなが共有できるような場があること」という。郷土史を研究している人もいれば、インスタ重視のお洒落でキラキラした情報を発信している人もいる。いろんな側面の佐世保が見える情報が一箇所に集まり、混沌とした場所があれば、より刺激が受けられそうだと考えるからだ。

 何か面白さを発見しようと取り組んでいたり、地域愛を持って魅力を伝えようとしていたり…。様々な環境で育った人たちが佐世保をつくり、暮らしている。
 西の果てにある佐世保でも大型ビルやチェーン店が立ち並び、まちの均質化は進んでいくだろう。だが、人々が抱いている「偏愛」を表現できる場があれば、ゆくゆくは、まちの個性に繋がるのかもしれない。

 今後の展望は、本を作ること。これまでのデイリーポータルZで書きためた記事を一冊にまとめるという。千尋さんが集めた「偏愛」を手に取れる日が待ち遠しい。

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【編集後記】

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 私が佐世保に移り住む前に始めたのは、もちろん情報収集だった。ネットで検索して、クリックして、記事を読む、を繰り返していると、あることに気がついた。私が読む記事のほとんどが、千尋さんが執筆していた。その時から、この記者さんはどんな人なんだろうと、思いを巡らしていた。
 2年のときを経て、ようやく千尋さんを取材する機会を得た。ご自宅の窓からは、佐世保の街並みや港などの景色が一望できる。取材の際は快晴で、なんだかまちが輝いて見えてしまい、圧倒されてしまった。そして、この景色を日常的に眺めている千尋さんが「このまちに、どんな人が生きているんだろう」と好奇心が湧くのも不思議ではないな、と妙にふに落ちた。
 取材で本の出版の話題になった時、千尋さんがこう言った。「私とこけさんが書く記事は違う。みんなも本をつくっちゃえばいい」。私は、思わずそうだそうだ!と大きく頷いてしまった。価値観や視点が違うと、まちを見る景色は変わるし、まちを面白がるポイントはそれぞれ異なるだろう。そして、言語化したり、表現したりして、各々が感じていることを共有すれば、まちの新しい発見につながるのかも。多面的にまちを面白がれる人を増やしたい。千尋さんの取材を通し、そんな思いを新たにした。

文:こけ
写真:さおりん
イラスト:hoNika

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