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ただの愚痴

久しぶりに出かけると、地元の一番大きな駅がすっかり変わってしまっていた。バスターミナルは駅直結、雨や雪に降られなくていいのだろうけど、わたしは昔の青空が見えるバス停が好きだった。木のベンチも間抜けな停留所のサインも消えて、電光掲示板が次のバスが来る時間を映し出す。
駅ビルも様変わりして、真っ白な壁と真っ白な蛍光灯がギラギラ光っている。便利を追求すると全てこの色形姿になるのだろうか。情緒は失われてしまった。100年後はこのバスターミナルさえ古く懐かしいものになるのだろうけど、20歳の頃まで住んでいた、わたしの青春時代の風景は跡形もなく消えて見る影もない。

実家の周りも新しいマンションや戸建てが次々に建って、15年前とでは景色が様変わりしている。本当に日本は貧しいのか、この国に貧しい人はいるのかと不思議な気持ちになる。小さな商店街のような通りにあった魚屋さん、肉屋さん、文房具屋さん、スーパーマーケットは軒並み潰れ、シャッター街になった。その寂れた窓の埃には中学生達が書いたのであろう落書きがびっしりと残る。

変わってしまった、なにもかも。
わたしすら、変わってしまった。

若い頃から今に至るまで、同期ができたことがない。いや、一度だけ、カフェで働いていた頃の仲間は同い年で同期だったけど、わたしが今のような働き方をし始めた2013年から今に至るまで、一度も同期ができたことがない。

若い頃はそれでもよかった。
仕事のできる先輩達に囲まれて、何も困ることはなかった。

歳をとると今度は逆になった。20代の子達がいて、全員に指導する立場になってしまった。

そうなって思うのは、下の立場である方が絶対に楽だ。
自分のことは顧みずただ職場と仕事の文句を言い、言われたことだけやっている。(言われたことすらやりたくないと駄々をこねている)
わたしもこんな感じだったのだろうか。

母に愚痴ると、「あら、ついにあなたもこちら側?」と言われて、
「最近の若い子はって言い出したらそうだよね」と答えた。

もうこれから先ずっとこうだろう。
どこも少子化で人手不足、仕事を辞めても辞めても仕事で溢れている。
売り手市場になり、人手不足で潰れる企業も後を経たないだろうなと予測する。
福利厚生がきちんとしていて、離職率の低い会社しか生き残れない。
業務を仕事のできる人に依存せず、誰でもできる仕事に細かく細分化するしかない。

その中で人が求めるものが「楽でお金が稼げる」になるのも致し方ない。
そんなんそうだよな、誰だってそうだよなーと思ったりもする。

古い人間になってしまった。
若い頃自分が忌み嫌っていたような人間だろうか。

誰かが、「アスリートは自分のことにだけ集中している。そうすることで結果他者に勝つ。」と言っていて、みんなが「自分の人生」に集中すれば世界がよくなるのにな、と思った。

だけど今自分にだけ集中する訳にいかなくて、全部を見ないといけない。
相手を責めることは無意味で、自分が変わるしかない。諦めるところは諦めるしかない。

辛いなぁという気持ちが湧く。

こんな時、同年代の仲間がいたら愚痴れるのに。
そう思いながら、今日も若い子達の前で微笑んだりしている。

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