紙一重の向こう側
表裏一体に存在するもの
あんまりこの言葉を使うことは好まない。
それはきっとボクがその境地に立つことがないことの嫉妬に他ならない。
その存在はなかなか理解されることがなくて、一見するとただの変わり者して扱われてしまうことも多々あるようです。
かのエジソンは分かりやすくこう言っていた。
「1%の閃きと99%の努力」
つまり、努力をなくしてそれは成し遂げられない。その努力をなくても具現化された存在がそれなような気もしている。
だんだん難しくなってきたので、方向性を変えていこう(笑)
スラムダンクの1031
↑漫画「スラムダンク」の中にあるワンシーン。
「1031」と褒められている桜木花道。
主人公で桜木花道の性格を理解して、上手に調子に乗らせる宮城リョータ。
それに困惑する相手チームのエース沢北。
この試合のフィナーレには主人公の努力が結実したすごい有名なシーンがある。
それも努力があったからこそ、映えるシーンであり、突然そのシーンだけを見ても味も素っ気もないわけなのだ。
毎日毎日積み重ねて、積み重ねて、積み重ね続けてやっとたどり着けるのが、その向こう側。
漫画は31巻まで出版されているが、ストーリーはわずか4ヶ月しか進んでいないことを考えると、主人公は天才という言葉だけでは片付けられないすごさがありますよね。
話を軌道修正
話はここで戻るのだが、努力の積み重ねが天才を作り出すというが、実際はそれを凌駕してしまう才能は存在する。
努力などせずとも、いとも容易く難題を解決してみたり、凡人が思い付きもしないような突拍子のない発想を1+1を説明するが如くに口にしてみたりするのだから、それは理解されるわけがないし、理解されるような発想では天才という領域には、到達してないのだ。
初めにこの言葉を使うことを好まないと書いたのは、安易に口にすることすらも烏滸がましいと感じているからだ。
言葉にしてしまった時点で、その才能が安くなってしまって、指の隙間をすり抜けて消えてしまうのは嫌なのだ。
言いたいことは山ほどあるのだが、それを言葉にすることが出来ない語彙力がボクにはない。
ということで、この記事はそろそろ終わらせよう。
紙一重のオモテウラ、それはどちらも簡単に理解されないし、パッと見で判断することが出来ない。
だからこそ、理解できないことを否定するのはなく、肯定的に見る目が必要なのかもしれない。
というわけで、本日、10月31日は天才の日です。
自分の才能に気付き、天才の1人であるということを感じる1日だというので、今日は自分の能力を存分に発揮してみるのはいかがですか?