嫌な現実を変えたいと思う時にするといいと思うこと。
時計周りがうまくいって
発展拡大していく方向で
反時計周りが停滞し
衰退していく方向だとする。
反時計周りの渦の流れに乗ったままでは
何をやっても同じ向きの流れを
加速させることになるだけ。
今の現実が嫌だと思う時
当然現実を変えたいと思う。
でも
"今の現実が嫌だから変えたい"
という思いから動くと罠にハマってしまう。
"今の現実が嫌だから変えたい"
という思いからとる行動は反時計周りの渦の
流れを加速させることにしかならないから。
だからこそ現実を変えるための
行動をしているつもりなのに
現実が益々嫌だと言いたくなるようなものに
なってくるとかいつまでも嫌な現実が
変わらないといったことが起こってくる。
"今の現実が嫌だから変えたい"
という思いから動くような時って
自分の好きなこととか自分の本当の願い
なんてよく分からないような状態だから
"自分に合っているものなのか"
"自分が心から望んでいるものなのか"
なんてことは考えずに
誰かや何かが良いとか言っていたり
うまくいって幸せそうな人達がやっている
ようないかにも現実を変えてくれそうな
何かに飛びついてしまう。
そして飛びついた何かが自分の好きなこと
であったり本当に願っていることなのだと
勘違いしたりする。
飛びついた時には希望を抱いていても
やっていることは反時計周りの流れを
加速させているだけのことなわけだから
嫌な現実は何も変わらなくて
現実を変えることなんて不可能なのだと思い
絶望や怒りや悲しみの気持ちに呑み込まれる
なんてことになってしまう。
嫌な現実を変えたいと思うなら
"嫌な現実を変えようとする"
のではなくて
"日常の中から嫌を無くしていくこと"
が大切だ。
現実から嫌を無くしていけば
"現実を変えたい"
という思いがなくなってきて
反時計周りの流れが止まってくる。
するとこのあたりから嫌なことを続ける
ことで分からなかった自分の本当の願いが
出てき始める。
この願いを叶えるために動いていくことで
今度は時計周りの流れが作り出されていく。
嫌だと思う現実が続いている時って
誰かや何かのせいにして言っていないことや
やっていないことや惰性で続けていること
などが必ずある。
日常の中から嫌を無くしていくためには
ずっと避けてきたことを行動に移して
いかなければならない。
大体そういったことを行動に移そうとすると
罪悪感や自己否定や嫌われたり怒られたり
することへの恐怖といったものが出てくる。
結局はこれらを避けたいがために
自分自身が嫌な現実を選び続けているのだ。
本当の意味で嫌な現実が変わっていくのは
日常の中に嫌を残したまま嫌な現実を変えて
くれそうな何かに飛びついた時ではなくて
ずっと避けてきたことを行動に移して
日常の中から嫌を無くしていった時。
同じことをやっていても
時計周りの流れに乗っている人と
反時計周りの流れに乗っている人とでは
結果も満足度も異なってくる。
やっていることだけを見ていると
分からないけれど流れの向きは
誤魔化せない。
やっていることだけを見て判断すると
うまくいかなかったり幸せになれなかったり
するのは才能や能力なんかのせいだと
勘違いしてしまうことにもなりかねない。
現実を変えようとすれば
現実を変えてくれそうな何かに
振り回されることになる。
現実なんて変えようとしなくても
いいんだよ。
嫌な現実が続いていてそれを腹立たしい
誰かや何かのせいだとしか思えなくて
自分の本当の願いも分からなくて
とにかく混乱している時には
つい現実を無理矢理変えようとして
"今の現実が嫌だから変えたい"
という思いから動いてしまいがちだけど
慌てず落ち着いてまずは勇気を出して
反時計周りの流れを止めるための
行動をしていこう。
反時計周りの流れを加速させることをやって
何も変わらない現実に苛立ち絶望して
時計周りの流れを加速させてうまくいって
幸せになり続けている誰かを眺めて羨む
なんてことをして自分を苦しめるのは
もうやめよう。
都合よくひとっ飛びに嫌な現実を
変えてくれそうな何かに飛びつくよりも
順を追ってやるべきことを一つ一つ
こなしていって確実に現実を変えていって
更には自分の本当の願いを知って
叶えていこう。