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"自分を愛する"ということを馬鹿にできない理由。

苦しいと思えるような状況が続いていて
その状況を改善したいと思っていた。

でも何をしても生きる場所を変えてみても
状況は少しも改善されなかった。

それもそのはずだ。

口では

"改善したい"
"何とかしたい"

とかって言っていたけれど

愛に飢えていた私は本音では

"状況が改善されない方が都合が良い"

と思っていたのだから。

状況が改善されない方がいつまでも
周りが私のことを気にかけてくれて
構ってくれる。

だからたとえ苦痛を感じるような状況
だったとしてもその状況が改善されない
方が都合が良いと思っている。

それが本音なわけだから何をやっても
どこに行っても面白いぐらいに同じような
状況になりその状況が改善されなかったのだ。

たとえ状況を改善するための画期的な方法を
見つけ出したり状況を改善するための
強力な助っ人が現れたりしたとしても

本音で状況が改善されることを願って
いないのならその状況が改善されない
ように行動してしまう。

だからこそどんなに画期的な方法も
どんなに有能な人も何の役にも立たない。

私は状況を改善するためにお金や時間や
労力を費やしているつもりだったのに

本当は状況を維持するためにお金や時間や
労力を費やしていたのだ。

でもこの負のループの終焉は
あまりにも呆気ないものだったよ。

愛に飢えた私の心がいつまでも満たされ
なかったのは私が自分のこと認めて
愛してあげていなかったから。

自分以外の誰かに愛を与えてもらえば
いつか心が満たされて幸せになることが
できると思っていたのに

自分のことを認めて愛していく
ということを徹底してやっていったら

いつの間にか心が満たされていて
愛を求めなくなっていた。

すると喉から手が出るほどに欲しいと思って
いた愛がそこら中にあるということに
気づくことができるようになった。

愛に飢えていた時にはそこら中にある愛を
愛だと認識できていなかったから

"愛が無い"と思い込んで愛を求めることを
やめられないなんてことになって
いたみたい。

これまで本当に多くの人達が苦しい状況
の中にいる私のことを助けてきて
くれていた。

でもどれだけ誰かが私に手を差し伸べて
きてくれたとしても苦しい状況が改善
されない方が都合が良いと思っているから
そのような状況を作り出す。

すると助けてもらっても状況が改善されず
苦痛が緩和されないわけだから
助けてもらったとは思えていなかったのだ。

だから愛を与えてもらっているのに
それを愛だとは認識できていなかったのだ。

私は喉から手が出るほどに欲しいと
思っている愛を与えてもらっているのに

それを愛だと認識できずに愛を集めるために
うまくいかない状況を作り出し続ける
なんてことをしていたのだ。

でも自分のことを認めて愛することが
できるようになったら苦しくてうまくいかない
状況を選び続ける必要が無くなって

やっとうまくいく状況を望んで
創り出していくことができるようになった。


愛に飢えている時に愛を外側に求めて
しまうと愛に翻弄されて負のループに
ハマっていってしまうことになる。

愛に飢えている時にはとにかく自分自身に
目を向けて自分自身に愛を投入し続けよう。

そうすればそのうち満腹になって目が覚めて
そこら中に愛があることに気づくことが
できるようになり

愛を求めて愛に翻弄されて自分自身や
自分の人生を見失うなんてことは
なくなるから。

愛って、何かを犠牲にすることで得たり
何かと引き換えに得たりするものじゃなくて

いつもそこら中にあってただ生きている
だけで感じることができるもの。

愛を感じるのに特別な才能や能力や
お金なんて必要ない。

自分自身に愛を投入するなんてことは
いつでもどこでも誰にだってできること
なのだから。


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