謙虚になるためにも遠慮や妥協するのはやめよう。
遠慮することや妥協することって
謙虚なことだと思っていた。
誰かのことを思って遠慮して
誰かのことを思って妥協して
そうやって何かを選択して
生きていたんだけれど
気づいたら謙虚とは程遠い存在に
なっていた。
遠慮や妥協して本物の選択肢を
選ばないということは
本当は願っていない嘘の選択肢を
選ぶということ。
嘘の選択肢って、選ぶと必ず
"これじゃないんだよな"
"本当はあれの方がいいんだけど"
といった思いが生じてきて
欠乏感を感じることになる。
本物の選択肢を選ばない限りは
本物の選択肢を選んでいる人を鏡として
心は嫉妬心となり訴えかけてくる。
嘘の選択肢を選ぶことは自ら欠乏感を
感じに行き自ら嫉妬心に苦しみに行く
ようなもの。
遠慮や妥協して何かを選んで
謙虚で欲深くない善人のつもりで
生きていたけれど
遠慮も妥協も本物の選択肢を選ぶ勇気のない
臆病な自分を正当化するための形であって
謙虚で欲深くない善人という姿は
嫉妬心と不平不満にまみれた本当の自分を
覆い隠すための仮面でしかなかったのだ。
誰かのことを思って、なんてのは
ただの言い訳でしかなかった。
遠慮して妥協して
欠乏感を感じるために
沢山の何かをやって
様々な何かを食べて
あらゆる場所に行くよりも
たとえ一つであっても
本当に望んでいる何かをやって
本当に望んでいる何かを食べて
本当に望んでいる所へ行こう。
本物の選択肢に敵う選択肢なんて
ないのだ。
本物を選んだ時にこそ
扉が開かれていくのだから。
いつまでも心を満たしてくれることのない
沢山の何かを集めるよりも
たとえ一つであったとしても
心を満たしてくれる本物の何かを
手にしていこう。
本物を選んでいくからこそ心が満たされて
必要以上に求めなくなり
嫉妬に狂うこともなくなり
感謝の気持ちが生まれて
どんどん謙虚になっていく。
勇気や覚悟が必要なこともあるけれど
一つずつできる範囲から嘘の選択を
本物の選択に切り替えていこう。
本物の選択肢は嘘の選択肢と同じで
いつだって目の前にあって
自由に選ぶことができるもの。
沢山の要らないものを選ぶぐらいなら
たった一つの本当に欲しいものを選ぼう。
本当に欲しいものは、
たった一つでも欠乏感しか感じていなかった
心を一瞬で喜びや幸せで満たしてくれて
自分の世界の見え方だって
変えてくれるから。
それは沢山の要らないものには
決してできないこと。
もう遠慮や妥協して謙虚なフリをして
いつまでもやってこない満足と幸せを求めて
遠回りをするのはやめよう。