「いつか」は今ではないけれど
あまり楽しくない話をする。わたしの気持ちの整理のためだ。
わたしはとあるタレントのファンをやっている。規模としてはそれほど大きくなく、本人と直接言葉を交わす機会もそれなりにある。そういうことを何年も続けていると、時々、わたしは誰よりもこの人のことを理解しているはずだ、などと勘違いしそうになる。今よりも知名度が低いころからずっと応援してきたんだから。あのときああ言っていたんだから、今回もきっとこう思っているはず。長年見てきたわたしにはわかる! しかしどれだけ熱心であろうといちファンにすぎないわたしは、さまざまな関係者のフィルターの加わった完成品として「タレント」というコンテンツを享受しているだけだ。どんなに素っぽい発言や行動をしていたとしても、それは必ず誰かの手で編集されている。編集しているのはマネージャーかもしれないし、本人かもしれない。タレントとして世に出るというのは、そういうものだ。それなりに長くファンを続けていたとしても、プライベートで会ったことすらない相手の人間性のなにがわかるものか。勘違いしそうになるたびにそうやって客観性を取り戻す。
ファンなんて、と卑下するつもりはまったくなく、わたしはただの構造の話をしている。ファンとしてタレントに接している限り、……つまり提示された価格を支払っている限り、ある範囲において、一定以上の水準の体験が提供されることが約束される。営利目的の事業すべてに共通する構造の話だ。
なにかにお金と時間を費やそうと思うとき、購入しているのは商品だけではなくて、周辺の体験も含まれている。たとえば通販でなにかを購入する場合、商品そのもの以外にも、通販サイトで商品を見る楽しさ、届くまでのわくわくした気持ち、開封の瞬間、そんなものも含んだ体験にわたしはお金を払う意志決定をしている。
舞台のチケットを買う場合、作品を見られる権利だけを買っているのではなく、その作品の運営スタッフによるSNSでの告知であったり、当日の劇場内の居心地であったり、座席の見やすさや座りやすさ、そんなものも含めての一連の体験を買っている。
映画、本、音楽、アーティストやタレント、イベント、スポーツ観戦みたいに、ざっくり「コンテンツ」として括られるものについてはほぼ共通して同じことが言える。いちユーザーとしてそのコンテンツを楽しもうとした際に必ず一緒に発生する体験は、ユーザー側からしてみたらコンテンツの一部なのだ。たとえそれぞれの管轄が異なっていて、一貫して管理をしている人がいなかったのだとしても、ユーザーにとってそれはあまり関係のないことだ。
わたしは仕事においてはコンテンツを売る側の立場にいるから、この一連の体験のすべてをあるていどの水準に保ち、連携をもたせることの難しさについても身をもって理解している。理解した上で、それを実現した先にしか未来はないとも思っている。あまたあるコンテンツの中から、限りある自分のお金をどこに使うか、それを決めるときに、「いかにストレスのない体験ができるか」はかなり重要なファクターになる。ユーザーとしての自分が常にそう思っているからだ。
さて、その前提で冒頭の話に戻る。
わたしはとあるタレントのファンをやっている。スタッフをはじめとしたたくさんの人の手が加えられた、公開してもいいとGOを出された完成品としての「タレント」の情報を見て、お金と時間を使うことを判断し、その活動を見に行ったり、なにかしらのサービスを受けたりする。それが、すこしずつストレスになってきている。
いくつかの理由はあるが、ひとつ明確に言えることがある。そのタレントに関する情報を発信したり、管理をしたりするスタッフ(おそらくはマネージャー)の気配が、かなり強くなってきているということだ。SNSアカウントにもスタッフ本人の人格がだいぶ見えるし、タレントの話の中にもよく出てくる。ようするにわたしは、どうしてもそのスタッフの人格に好意を持てずにいるのだ。
なんだ、こんなことを書くためにだらだら前置きをしたのかと思うかもしれない。くだらない話で申し訳ない。愚痴を愚痴のまま吐き出すことをしたくなく、自分が何に価値を感じ、何に価値を感じないかをあらためて整理したかった。
スタッフ抜きでの体験が絶対にできない以上、つまりそのスタッフはタレントの一部だ。スタッフの問題であって本人は悪くない、なんて思うのには限界がある。前半で書いたように、そもそもわたしは本人のことなんて何も知らないのだから。このままストレスが高まっていったら、わたしはいつかファンをやめるかもしれない。たぶんその方がいいだろうと思う。しかしその決断はわたしにとって、割と悲しいことなのだ。
残念だが、タレントというものの構造上、それも仕方のないことだと思う。スタッフに辞めろなどという権利は当然わたしにはない。わたしがこのストレスとうまく折り合いをつけられなければ、このまま静かに去るしかないのだろう。タレント、スタッフの体制や関係性を詳しくは存じ上げないし、きっと気心知れた同士で気安くやっているのだとも思う。しかしそれは、いちファンであるわたしには関係がないことなのだ。たとえばタレントのことを公の場でからかったり弄ったり、貶めたりする発言がスタッフから出ることについて、わたしはどうしても受け入れがたい。そういう身内の話にファンには立ち入ることができないかわりに、身内の事情はファンに対する正当な説明にはなりえないと、わたしは思っている。