![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/31525325/rectangle_large_type_2_596d5a8ebfe51c22ea6d13a81912ca16.jpeg?width=1200)
時の洗礼を受けた本たち(2)
前回の続き。
この1週間で10冊は読みたいのに5日目にして5冊しか読めてない!これも全部、ぎっしり小さい文字で本を埋め尽くしたジュール・ヴェルヌのこの2冊せい。
ヴェルヌ 『十五少年漂流記』 1888年
SF好きには有名な作家のジュール・ヴェルヌ。彼は当時、相容れないとされていた“文学”と“科学”の融合を成功させた人物で、実際読んでみても、ありえないような設定の中でも物理学の法則で全ての現象を説明している描写が多く、小説を読んでいるというよりは科学の教科書を読んでいる疲労感も味わった。
この話は、無人島に遭難した14歳よりも幼い15人の少年たちが、無事に生還しようと逞しく送る生活を描いたもの。
特に私を夢中にさせたのが、無人島の寒い冬を乗り越える薪を大量に運搬する荷車を作ったり、土地の動物を飼い慣らしてミルクを取ったりしていた姿で、彼らが幼いながらも知恵を使って暮らしを向上させていく描写が私の心を弾ませた。
ヴェルヌ 『地底旅行』 1864年
この作品を原作とした『センター・オブ・ジ・アース』という映画を見たことがあるが、この本を読むとあの映画はファンタジーに見えてしまう。どういうことかと言うと、この本は決して科学に反することは起こさないし、「そこは楽していいじゃん」と思ってしまうほど奇跡や偶然に助けられるような展開にしないということだ。
(C)MMVIII NEW LINE PRODUCTIONS, INC. AND WALDEN MEDIA, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
例えば、“映画” では地底世界にたどり着くのは穴に落ちてウォータースライダーに乗って半日くらいで着いてしまうが、一方、“原作” では火山口から入って何十日間も真っ暗なトンネルを歩き続けたのだ!
途中で道を間違えたことに気づいて来た道を数日かけて引き返すわ、水が無くなって倒れるわ、仲間とはぐれて絶望するわ、とにかくこういう描写が長い!
でもこのような、
“あくまで科学的根拠に基づいた仮想の話である”
というような刷り込みのおかげで、地底世界にたどり着いた時の主人公の高揚感はかなり感情移入できた。
本日は以上。今度ヴェルヌの『海底二万里』や『八十日間世界一周』も読もう。