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死刑制度を看護学生と議論した話

最近、夕方まで残っていると看護学科の学生2名がフラフラと研究室にやってきて、好き勝手なことを話して帰っていく時がある。ぶっちゃけ楽しい。笑

先週は「先生、死刑制度には賛成ですか?反対ですか?」っていきなり質問してきて面食らったのだけれど、そこから小1時間くらいワイワイ議論して、有意義な時間を過ごした。

学生曰く、死刑制度には反対だそうで、死ぬということで責任を果たしたということになるのか?そうでなければ、死ぬより辛い義務(労役とか)を経験させ、死ぬまでその責任を果たしてもらうほうが死刑より責任を果たしたことになるのではないか、とのことだった。

確かに一理あるなあと思いつつ、もしも自分が被害者になった際(死刑になるほどの重罪なのでおそらく身内が殺害されたというほどの被害を想定)、加害者が生き続けていることが心理的に許容できそうにないな~と素直に伝えてみると、もう一人の学生もそれに賛同。

ただし、それは加害者がどれほど反省しているかや、事件の残虐性なども考慮に入れなければならない。要はケースバイケースである。

また、別の観点に立つと、死刑執行官もしんどいよな~~と(しんどいとかいうレベルではないけど、学生との会話なのでフランクに話してます)。死刑が執行されるたびに、それを決断する法務大臣、そして実行する執行官がいることを忘れてはいけないよね、なんて議論にもなった。

そもそも学生たち、なんで死刑制度に関心が出たのか聞いてみると、授業で少し習ったとか、近接の尊厳死とか安楽死について考えるようになったとか、いろいろな理由があるようだ。

どんな要因であれ、20歳そこそこの学生がそうやって「死」について考え、教員と議論したい、という気持ちになったことを本当に尊く思うし、いつでも議論相手になってやるぜ、という気持ちでいる。

看護という学問は「死」ということに逃げずに向き合うことが必要になることもある。そんな時に自分事として真剣に考えられる人は、きっと対象者に良いケアをもたらすだろうな、という風に考えるなどした。


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