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『ゲーム・オブ・スローンズ』100年語り継がれる物語。

 これから『ゲーム・オブ・スローンズ』を観る人たちへ。

1.『エンドゲーム』と『スカイウォーカーの夜明け』、『ゲーム・オブ・スローンズ』の2019年。

 2010年代を代表する傑作のひとつ『ゲーム・オブ・スローンズ』が、73時間の映像作品になった理由は、現在の私たちには語り継ぐべき物語があまりに多いからだ。それはチェルノブイリ原発事故を描いた『チェルノブイリ』(2019年)が1時間×5エピソードだったことからもわかる。それぞれフィクションと史実の差はあれど、2019年に「灰の降り積もる都市」を描いた両作が、ストーリーテリングに従来の映画のフォーマットを選択しなかったのは、歴史を描くという“物語からの要請”に、たった2時間では応えられないからだ。

 2010年代のアメリカのエンターテインメントを代表する英雄譚が、それぞれの場所やフォーマットで1つの区切りを迎えた2019年、劇場ではスカイウォーカー・サーガの最終作『スター・ウォーズ / スカイウォーカーの夜明け』が時代遅れの3部作というフォーマットに苦戦していたのに対して(※1)、2008年の『アイアンマン』から周到に手を打っていたマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)のインフィニティ・サーガの最終作『アベンジャーズ / エンドゲーム』は堂々たる貫禄で幕を閉じた。アベンジャーズの最大の敵であるサノスとの最終決戦を描いた『エンドゲーム』の公開日が4月26日、そして、ホワイト・ウォーカーたちとの最終決戦を描いた『ゲーム・オブ・スローンズ』の「長き夜」(※2)の放送日が4月28日、このふたつの「最終決戦」が同時期に行われたことも忘れられない。

 『ゲーム・オブ・スローンズ』は完成度や認知度、影響力も含め、すでに「ポップカルチャーの基礎教養」となっており、今後のあらゆるジャンルを読み解く上で重要なパズルの1ピースとして、古典となることも約束されている作品だが、残念なことに、強大なファンダムの壁と73時間という長さから、新しい観客を寄せつけない側面があるのも事実だ。映画は冒頭の数分を観れば、ある程度はその作品の形式やリズムが判断出来るが『ゲーム・オブ・スローンズ』はそうはいかない。そもそも、2時間の映画における3幕構成を73時間に置き換えている時点で、私たちの常識は通用しない。「設定を説明」する1幕目がシーズン1から3、「葛藤や対立」が続く2幕目がシーズン4から6、それらが「解決」される3幕目がシーズン7から8となっており、最後にいけばいくほど異常な(映画では再現不可能な)盛り上がりが待っている。これは従来のドラマではない。もちろん、映画でもない。私は本作を「73時間の完璧な映像作品」としか形容できない。

 その時々で、この作品が描こうとしているテーマの輪郭が見えそうになるのだが、全ては空振りに終わる。どこに向かうかわからないまま、熱狂だけが加速し、ようやく本作の全貌が明らかになるのは最終章の5話目「鐘」である。このエピソードには多くの賛否両論が寄せられているが、どうだろう?このエピソードの監督ミゲル・サポチニクの言葉を借りるなら【「視聴者があれを望んだんですよ。あれこそ、あなたがたが望んだことでしょう。ファンたちは血に飢えていました。復讐や報復のためにね。それを体現したのがあのキャラクターなんです。私は、そのことが実際なにを意味するのか見せたかった」(※3)】なのである。今まで信じていた世界が足元から壊れる瞬間、しかも、それが“私たちの望んだ結果”だとしたらーー数十年後の評価のため、誠実にその風景を描いた本作は優れた芸術作品と言えるだろう。

 たしかに「ポップカルチャーの基礎教養」として、73時間の長さは鑑賞のハードルになるだろう。しかし、本作はファンダム = 内輪で盛り上がるための作品でも、一過性のブームで消費される作品でもない。未鑑賞の人や、これからの時代にこそ開かれている傑作なので、一人でも多くの人に観てもらいたいと願う。では、具体的に本作の魅力を紹介していこう。

2.『ゲーム・オブ・スローンズ』の魅力。

①冬来る - Winter Is Coming

 2011年に始まった『ゲーム・オブ・スローンズ』の1話目のタイトルは「冬来る(Winter Is Coming)」である。本作の舞台はウェスタロスとエッソスという2つの架空大陸。ウェスタロスには私たちの世界のような季節の移り変わりはなく、夏と冬が不規則にやってくる設定。物語は「10年続いた夏」が終わり、恐ろしい冬の到来が予感されるところから始まる。私たちの世界において、気候変動への警鐘や働きかけを訴える活動家の言葉を無視し、資本主義の競争が止まらないように、『ゲーム・オブ・スローンズ』でも「冬に備えて対策するべき!」と声を挙げるキャラクターの声は無視され、ウェスタロスは王座争奪戦に突入する。人間による王座争奪戦=資本主義と、人間の力が及ばない冬の訪れ=気候変動(※4)の対比は、現代の寓話として機能している。

②王座争奪戦 - Game of Thrones

https://www.star-ch.jp/gameofthrones/chart/chart_s7.php

 「記憶は結果ではなく過程」である。しかし、歴史は時に結果として語られることが多い。マーティン・スコセッシ監督の言葉を借りれば【「TVシリーズはキャラクターとプロットのラインを展開させ、世界の再構築に向いている」】。この特性を活かして『ゲーム・オブ・スローンズ』は、ウェスタロスが王座争奪戦と冬の驚異に見舞われた激動の期間を「結果ではなく過程」として見せていく。1エピソードごとに、映画の文脈では不自然な回数の場面転換が繰り返され、様々な場所にいる膨大なキャラクターのドラマが同時に展開していく。受け手が混乱しないように、台詞や映像のモチーフが次の場面と連動していたり、そもそもロケ地を北アイルランド、クロアチア、マルタ、スペインなどに変えることで、映像一発でどの場所で展開されている物語かわかるような工夫が施されている。そのため、王座争奪戦の戦局のみならず、世界全体が動いていく様子が手に取るようにわかるのだ。この興奮は2時間の映画では絶対に味わえない。と思いきや、後半のシーズン5から最終章にかけての合戦シーンでは、戦争映画史の文脈に連なるような、フレッシュでダイナミックなショットも頻出するのだから驚きである。

③世界設定

 トールキンが『指輪物語』を舞台となる「中つ国」の地図や架空言語から作り始めたように、世界設定の作り込みは作品の方向性を決定付ける点において重要だ。その点も『ゲーム・オブ・スローンズ』は抜かりなく、15世紀イングランドの「薔薇戦争」をモチーフに、【彼らの服にはボタンがない。実は、GoT世界にはハサミもない。正確に言うと、握りバサミ(糸切りはさみ)はあるが、洋バサミがない。もちろん火薬もなく、大量破壊兵器もない(※5)】という、中世ヨーロッパを参考にした「あるモノとないモノ」の設定が緻密だ。その上で「魔法や架空生物」といったファンタジー要素も挿入されるのだが、それらが「忘れさられたモノ」として、登場人物たちの大半が「信じていない」のも面白い。そして、ファンタジー要素を引き立てるために中世ヨーロッパの猥雑さーーつまり、セックスとバイオレンスも誠実に描かれていく。セックスとバイオレンス、ファンタジーが入り乱れる架空の大陸、架空の中世ヨーロッパは誰にとっても残酷な世界だが、そんな混沌とした『ゲーム・オブ・スローンズ』の世界は、私たちの生きる世界の写し鏡になるのである。

3.100年語り継がれる物語。

【「私がどんなに残酷な設定を思いついても、現実の歴史には負ける」】原作者ジョージ・R・R・マーティンより。

 第一次世界大戦の頃、大砲の運搬に馬が使用されていたり、そこには「かつての戦争」の名残もあったが、新兵器の登場により、1914年から1918年にかけて戦争の形は急速に変化していった。終戦後、今からちょうど100年前の1919年、ドイツではナチスの前身となるドイツ労働者党が設立され、イタリアではムッソリーニが後のファシスト党となる組織を設立する。同じ頃、アメリカでは白馬に乗った活動家のアイネズ・ミルホランドが大統領に問いかける。「あと、どれくらい待てば、女性は自由を得られるのでしょうか?」。1920年、アメリカ連邦議会が可決した合衆国憲法修正第19条が批准され、女性の参政権が認められるーー馬と近代化、英雄と独裁者、そして民衆の熱狂、私が『ゲーム・オブ・スローンズ』に見たのは100年前の風景だった。もちろん、第二次世界大戦のドレスデン大空襲や原爆投下を重ねてもいいのだがーー本作は人類の暴力と進歩の歴史を広い射程で捉え、20世紀を総括していた。

 『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章で描かれるふたつの大戦は、それぞれ舞台となる時間が夜と昼に分かれている。夜の大戦は火を希望の象徴として、戦局の変化、希望と絶望の行き来を「灯りと暗闇」のコントラストで見せることで、エンターテインメントとしての戦争を描いていた。その一方で、昼の大戦はすべての暴力を日の光にさらすことで、戦争がもたらす残虐性をハッキリと可視化していた。「戦争」を相対的に描いたこのふたつの大戦は、争いを望み、ヒーローを消費し、本を燃やし、歴史を忘れ、文化を破壊し続けてきた人類史に対する告発であった。

【捕食的な暴力や道具的な暴力と同様に、イデオロギー的な暴力も目的のための手段である。しかしイデオロギーの場合、その目的が理想主義的なものーーすなわち、より善きものという概念なのだ。(中略)たとえば十字軍もそうだし、ヨーロッパでの宗教戦争、フランス革命とナポレオン戦争、ロシア内戦や中国の国共内戦、ベトナム戦争、ホロコースト、そしてスターリンや毛沢東やポル・ポトによるジェノサイドも、また然りだ。イデオロギーが危険なものとなりうる理由はいくつかある。イデオロギーが約束する無限の善は、それを心から信じている人びとに取引をさせない。ユートピアのオムレツを作るために何個の卵を割ろうと、イデオロギーはそれを許す。そしてイデオロギーはそれに反対する者を無限の悪と見なし、したがって無限の罰を与えられて当然のものとする。】

スティーブン・ピンカー著『暴力の人類史 下巻』より引用。

 この世界に物語ほど強力なものはない。そして、大いなる力には大いなる責任が伴う。物語は語り手にとっても、受け手にとっても、責任が伴う大きな力だ。人類史における数々の暴力と過ちの傍らには、いつも無数の物語があった。私たちは『ゲーム・オブ・スローンズ』をどう受け止めようか?この作品にはそれを考え続ける価値がある。現行の『スパイダーマン』関連作すべてのプロデュースを務めるエイミー・パスカルは【「元来、人々はサーガを、終わらない物語を、人生に寄り添い続ける物語を求めている】と語る。私たちの終わらない物語への欲求は、終わりゆく世界で生きる生物の宿命なのかもしれない。私は『ゲーム・オブ・スローンズ』に100年前の世界をみた。それは100年後の世界を考えるということだ。100年後の人々が私たちの過ちを責める時、『ゲーム・オブ・スローンズ』という物語を創造し、受け止めようとした人々がいたことは、救いのひとつになるだろう。(了)

【私たちの胸に、わずかとはいえ、それなりの慈悲心が注入されていることに議論の余地はない。それは、人類に対するひとかけらの友情であり、狼や蛇の要素とともに私たちの骨格に練り混ぜられている、ほんのわずかの鳩の部分である。そうした寛大な気持ちが、とてつもなく弱かったとしよう。そして、その弱い気持ちでは、私たちの体を手一つ、指一本でも動かせなかったとしよう。それでもその気持ちは、私たちの心がどこへ向かうかを決める導きとなっているに違いない。そして、ほかのすべての条件が等しいなら、人類にとって有害で危険なものよりも、有益で便利なものを選ばせる冷静さを、その気持ちが生じさせるに違いないのである。】

デイヴィッド・ヒューム著『道徳原理研究』より引用

(※1)時代遅れの3部作・・・ジョン・ファヴロー制作のドラマシリーズ『マンダロリアン』の方が作品としての完成度が高いのは必然的。
(※2)「長き夜」・・・このエピソードで描かれた「ウィンターフェルの戦い」は、映画とドラマの歴史上もっとも長い時間の合戦シーンとなっている。さらに、ドキュメンタリー作品『ラスト・ウォッチ』には、この戦いが物語内に留まらず、撮影に関わったキャストやスタッフにとっても過酷な戦いだったことが記録されている。なぜなら、11週間にもわたる夜間撮影も、映画やドラマの歴史上最長撮影記録かもしれないと言われているからだ。
(※3)視聴者があれを望んだんですよ・・・こちらの記事から引用。本作が社会に与えた影響を的確に記している記事→『ゲーム・オブ・スローンズ』はなぜTV史上初のグローバル大作となったのか 
https://realsound.jp/movie/2019/06/post-380492.html 
(※4)冬の訪れ=気候変動・・・『ゲーム・オブ・スローンズ』では冬=気候変動と物理的に剣で戦わないといけなくなるが面白い。さらに、その原因が「12000年前の“最初の人々”によるウェスタロス侵攻」という人為的なものに起因しているのも象徴的。
(※5)丸屋九兵衛さんの『ゲーム・オブ・スローンズ』連載から引用→丸屋九兵衛の七王国まで何マイル?全14回
https://block.fm/news/gameofthrones7_8

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