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無名人インタビュー:世の中やったモノ勝ちなら、今度はわたしがそれをしてもいいじゃないですかと吠えたい人

皆さんは、自分の感情を正しく言語化できますか? 自分の苦しみを言葉にして、相手に伝えることができますか? 自分の悲しみを文字にして、相手に伝えることができますか?
ネガティブな感情だけではなく、自分の喜びを、楽しい嬉しい大好きを誰かに届けることができますか? と。
けっこうけっこう難しいですよね。感情は、艱難辛苦を乗り越えて、言葉という橋を渡って他人という向こう側に届くのだ、と。
今回ご参加いただいた、ふじたごうらこさんのインタビューをしていて感じたことです。還暦間近のふじたさん(ふじたさんかふじたごさん、か聞き忘れてしまった)は、子どものころから自己卑下感が強かったそうです。バレエが好きでしたが、なかなか自信を持つことができず人前に出ることにも苦手意識があった。でも、あるきっかけでその自己卑下感のこわばりがやわらいで。
バレエ文学という、自分の感情を言語化する方法論にたどりつかれたようです。
続きは本文で。読者の皆さまのやわらかな人生に、新たな感覚の一刺しをくわえられんことを切に願い。


今回ご参加いただいたのは ふじたごうらこ さんです!

現在:自己卑下を突破するためのバレエ文学

qbc:
どのようなインタビューにしていきましょうか?

ふじたごうらこ:
バレエ文学というのを立ち上げますので。それをメインに。
バレエが好きすぎる…ので…

qbc:
バレエ文学とは、いったい? どのようなものでしょうか?

ふじたごうらこ:
バレエを知らなくても気軽に読める短いものです。こんな感じ。

実際にバレエをしなくてもイメージだけでもいいもの。バレエの良さを気軽に味わってもらえたら。
一番の理由は自分が読みたいだけ…かなり利己的かも。

qbc:
なるほど。

ふじたごうらこ:
ショートショートという分野で書いています。
田丸雅智氏のサイトで書いていた時期もあり、そのときに意外とショートショートとバレエは合うなあと思いまして。

でもバレエを書く人って、今のところはわたしだけなので、いやそれ以前にショートショート人口を増やすのが課題ですが。
普段本を読まない人でもつまみぐいできるのがショートショートの良さですね。えーと、話がずれますが、中高生から星新一先生のファンでした。その素地が今に役立っていると思っています。

qbc:
私も星新一好きですよ!

ふじたごうらこ:
よかった。あの人が書いたものは本当におもしろくて。今でも大好き。
で、わたしはバレエが好きだけど踊る才能もなくて、でもバレエにかかわっていきたかったけど、親にもクラスメートもバレエを踊ることが似合わないと言われて。
それでもバレエの何かにかかわっていきたい。
幼いころから何やってもダメな自分という、相当な自己卑下感が根底にあって、それは母のせいでもありますけれど、還暦を前にこのまま人生が終わっちゃうのは嫌だなあと思って。思い切ってバレエ文学を立ち上げることにしました。

qbc:
今のことですが、バレエ文学を書くことと、その他やってらっしゃることとか、ありますか?

ふじたごうらこ:
本職は薬剤師です。
しかし仕事は嫌いではないけれど、聴力低下が近年あってセーブしています。
聴力が悪いと人に迷惑かけるんですよ。補聴器はしてますが万能ではない。

qbc:
なるほど。

ふじたごうらこ:
元々聴力に問題ありな人間なのに、それを母が認めないものだから…。
聴力とバレエは実は自分の中で繋がってます。どちらも自分の努力ではどうにもならなかった。だけど文学はわたしを見捨てない。わたしを世の中の集団の中へと引き上げてはくれないけど

qbc:
聴力とバレエが繋がっている?

ふじたごうらこ:
はい。聴力が悪いことを認めない母に洗脳されていたので、幼い頃は聴力が悪いと自覚がなかった。必然的にいじめられますよね? 母からはバレエも似合わないって言われましたし。
どうにもならないけれど、読書をすることでわたしは救われた。
バレエも、上達しないけれど踊ることで自分を表現することができた。
舞台でもセンターでなく(聴力に問題があったら先生だって配置に困るよね)、すみっこで踊るだけでもわたしは幸せだった。でも、皆の前で認められて踊ったり書いたりしたいかといえば、そうでもない。
先にも書きましたが、自尊心ゼロの状態でしたので、バカにされても俯くだけの自分。小中高全部ソレ。すごく後悔している。母を恨んでいます。

qbc:
自尊心ゼロですか。

ふじたごうらこ:
「補聴器を隠せ」と。「補聴器を使っているのを、わからないように使え」と言う母ですよ?
小学生のころから、聴力が低下しても周囲にそれを伝えるようにわたしに教えるべきだったと思う。わたしは母に逆らえず、社会人になっても周囲に何も言えず、耳が悪いよねと問われてはじめて、ハイと言ってました。大迷惑な人間ですよ。
感音性といって聞こえる音と聞こえない音が極端なので、ある人との会話は成立するが別の人とは成立しない。

qbc:
なるほど。人単位で、聞こえ方が違うんですね。

ふじたごうらこ:
バレエも実はそうです。
聞こえにくい音がある。また音楽が流れている時に先生の声が混ざるともういけません。
社会人になってからバレエを再開しましたが、舞台に出ることはあっても母には絶対に言いませんでした。全部内緒でやりました。
母は森下洋子さんのファンだったのでわたしをバレエに通わせてくれたけれど、そのうちに才能がない、似合わないと言い出すようになってつらかった。
29歳になってやっと念願の一人暮らしで舞台にも立つようになりました。

qbc:
なるほどなるほど。

ふじたごうらこ:
文章を書くのも好きだったので、仕事が休みだとそれこそ朝から晩まで書いていました。モノにはなりませんでしたが書くのって純粋に面白かった。
バレエの人間関係が嫌になってやめたことがあります。フラメンコやジャズダンスに走ったりしましたが、どこの世界でもバレエやってましたねと見破られて。でも役立ちました。バレエは舞踊の基本がつまっていますね。
バレエが役立たなかった舞踊はブレイクダンスぐらいですね。あれは根本から違う。軸の取り方という概念すらない。それも面白かったな。
それぞれ良いものがあったけれど、結局バレエがいいなあと思ってバレエに戻りました。

過去:母親母親母親母親母親母親

qbc:
一部、話していただいていますが、過去のことについてお伺いしたいです。
どのようなお子さんでしたか?

ふじたごうらこ:
母の言いなりで、自分というものが一切なかった。成績だけは不思議と良かったので自慢の娘でした。過剰に自慢する。しかし、わたしの聴力の悪さや耳鼻科通いはいっさい伝えない。わたしは、その母しか知らなかったので比べようがなかった。
過去のことを覚えてなさすぎるのでそれが不思議で、ヒプノセラピーを受けました。結果、母の無意識の攻撃から己を守るために無表情で無感動を貫いていたというのがわかって、すごくショックを受けました。
わたしはわたしの子供時代や青春時代、すべて母の人形で過ごしました。
金銭的には恵まれても精神的には幸せではなかった。しかもその自覚がなかった。聴力が悪いのは前世の行いが悪かったから、バチが当たってるという。わたしはそれを信じていた。聴力のせいでいじめられるのもわたしが悪いからと思い込んでいた。その母はもう老いた。
だからこそ、今こそ自分を表現する場を創れる。
バレエが好きすぎるので、文学も好きすぎるので、それを掛け合わせたのがバレエ文学。
がん検診に毎年ひっかかって精密検査を受けています。自動車事故も。幸い今のところは無事です。自己表現が、できてないうちにこのまま人生を終わりたくない。
今日より若い日はない。
この格言を胸にやりたいことをやっていきたい。

qbc:
「思い切ってバレエ文学を立ち上げることにしました。」とおっしゃっていましたが、何か具体的な出来事があったのでしょうか?

ふじたごうらこ:
だって、この世の中、やったもの勝ちではないですか。犯罪もいじめもなにもかも。
バレエ文学ぐらいいいじゃないですか。わたしが世の中に「どうでしょうかコレ」っていえるの、それぐらいしかない。
尊敬する人に大屋政子さんがいますが、彼女のようにバレリーナを応援するほど金持ちだったらと思います。だけど、金持ちではないけれどわたしの心も満たされて、バレリーナも間接的に応援できるものって、これぐらいしか思いつかなくて。
本来はもっと若いうちからベストセラー飛ばして、印税でバレエ公演をしたかったのですが……一度限りならやれそうなので計画中です。
まだ子どもが未成年なので彼らが成人してからと決めてますけど。

qbc:
「思い切ってバレエ文学を立ち上げることにしました。」というこの部分、しつこいですが、具体的! な、きっかけは何もなかったのですか?

ふじたごうらこ:
わたしもしつこく書きますね。いつ死ぬかわからない。コレです。
わたしは本当に取り柄が無くて目立たない。そんな女でも名前を残したい、それだけです。
母親が認知症になったのも大きいかも。重しが取れたというか。
結局母のいいようにされてきた人生を取り戻したいというのもあります。それとバレエへの応援。
ひいきのバレリーナやバレエ団がいるわけではなくて、純粋にバレエそのものが好き。この執着が我ながら恐ろしいけど幸せです。昔は意地悪なバレリーナがいて言い返しもできなくて……無視をするしかなかったですが小説のネタにもなってくれて、今では感謝しているぐらい。
バレエと文学相性いいですね

qbc:
なるほど。

ふじたごうらこ:
バレエが好きすぎる。多分思いっきり踊らせてもらえなかったのがコンプレックスこじらせてここまで来たと自己分析していますが。
聴力が悪いのとバレエと文学、この3つが結びついてますね。なかなか理解してもらえないかもしれませんが。こういうところも大きい賞をもらえぬ所以でしょう。

qbc:
「聴力が悪い」「バレエ」と「文学」、と「お母さま」ですよね?

ふじたごうらこ:
そう。母親は自分がわたしや私の妹からなぜ嫌われるか理解できてない。もう認知症になっているので、どうしようもないけど母親はいつでも「被害者」になる立ち位置で安穏と暮らしていた。娘であるわたしは「被害者」の「被害者」でした。
バカバカしい人生だわ。
聴力に障碍があってもちゃんと理解者はいたはずなのに、こんなのだからわたしは担任の先生にも意地悪されたわ……ごめんなさい。脱線しましたね。

qbc:
いえいえ。

ふじたごうらこ:
バレエは一部の人だけのものではなく、誰がやっても楽しめるものです。
文学もそう。

qbc:
お母さまが認知症になった時に、どんなお気持ちでしたか?

ふじたごうらこ:
複雑です。
でも母は妹に死ねと言われてお金を取られていた。わたしが引き取りましたが、今は施設に入ってもらってます。母は今でも自分の住んでいた地域に帰りたいと騒ぎます。わたしに恨んでやるといいます。母は大阪から出たことがないから仕方ないけれどね。
父が亡くなってからおかしくなって…。
それと病気で倒れた母を引き取ったときは貯金ゼロでした。貯金通帳を見たときは呆然とした。その時に叔母の不正もわかって世の中どうなってんだと思いました。

qbc:
おお。

ふじたごうらこ:
精神的につらいことがあっても、わたしにはバレエと文学がある。それが支えでしたね。
そうです。支えです。有り難い。
母が倒れてから洗脳から完全に目覚めて母が毒だったと理解しました。それと叔母のやったこと…。同時期に子どもがいじめにあって不登校になりましたが、この時のいじめっ子とその親の態度がどうにもならなくて、この時世の中やったモノ勝ちなんだと自覚しました。神仏も結局は利己的なものよ。
だったら今度はわたしの方から新しいことを立ち上げたってバチ当たらんのじゃない? どうせやるなら大きくでよう。それで、バレエ文学と。

qbc:
なるほど。

ふじたごうらこ:
大屋政子さんもバレエの舞台を主催することで散々いじめられたけど、ちゃんとバレエ界にも名前を残した。
結局いいことなら、やったモノ勝ちでいいんじゃない?
いじめっ子がどうどうと生きていられるこの世の中ですよ?
お金はないけどバレエ文学でわたしが読みたいもの、見てみたい。

qbc:
はい。

ふじたごうらこ:
今まで母や他人の後ろにいた人生だから、今からでも好きなことをして前に出たい。
わたしにはその権利がある。いや、だれにでもその権利はある。後悔したくない。
自己表現ができない娘が、婆になってやっとじぶんを表現できる場を得て、それから他人を巻き込んで読みたいものを集めて、後世に残して、ずっと読み継がれていきたい。
特に子どもがいじめのPTSDで精神疾患になってから、数回の自殺未遂をしてから、文体が変わりましたよ。怒りで攻撃的になり、いじめられっ子の親が復讐する話ばかり書いてね、公募では落選続き。
それでも納得いかない思いを書くことで、自分を宥めていました。多分書き方が悪いのでまた工夫して挑戦します。SF仕立てにしても、落選しましたけど。

未来:生首バレエのような誰も観たことがない舞台をやりたい

qbc:
ここからは未来のことをお伺いします!
お母さまとの関係、難聴、バレエや文学へのお気持ち。そして今、自分の好きなこと、バレエ文学をスタートさせたと。そういった中で、これから5年後10年後、または死ぬ時にどう思われていたいかなど、イメージはおありでしょうか?

ふじたごうらこ:
死ぬまでに舞台を創りたい。一度でいい。
舞台をやると観客の分だけその記憶が共有できる。それがいい。たとえばわたしの作品に生首バレエがありますが、これを実際にやるなら見に行くという人がいて、じゃやろうって思っています。

qbc:
うん。生首バレエ。なるほど。

ふじたごうらこ:
プロジェクトマッピングと顔芸のできるバレエダンサーがいればできる。それと既存にない振り付けがあれば。
バレエには歌舞伎と一緒でマイム、約束事がありますが、それを抜いて、誰が見ても、ナニナニしてると分かればバレエの舞台はもっとみられるはず。ブロードウェイの舞台はその既存を壊す場でもあり、男性同士のパドドウもアリ。こういうのをやりたい。

qbc:
めっちゃおもしろいですね。
すみません、バレエ文学と聞いて、勝手にきれいな世界観を描かれているのかと思ってました。凄絶な感じがする、良いショートショートですね。

ふじたごうらこ:
ありがとうございます!
金銭的な問題があるのですが、一生に一度だけならやれる。令和13年をめどに。
qbcさまもぜひ観に来てほしい。

qbc:
ぜひ! 見に行ってみたいです。
バレエの公演って、金額はどれくらいかかるものなんでしょうか?

ふじたごうらこ:
世の中、性根の汚い人が横行していますけど、わたしのバレエではそういうのはナシで勧善懲悪でやる。えーと舞台ですが金額はかなりかかります。
バレエダンサーさんの応援もかねてちゃんとした報酬をあげたいんです。プロでも毎日踊っていて給料が月10万あるかないかの人も多いので……だからバレリーナは実家が金持ちだから続けられるというイメージがあるのは仕方がない面もある。

qbc:
なるほど。

ふじたごうらこ:
著名なプロだと、ワンステージ50万くらいですね。ごく一部の恵まれた人です。海外の方が待遇がいいのとバレエの観客が多い→踊れる機会が日本より多い。だから才能ある人は皆海外に行きます。
わたしはダンサーの人数を抑えて、300万ぐらいで見積もっています。ごく短期間、小さな劇場で公演する。そのぐらいならやりくりできる。
わたしは投資詐欺に引っかかっちゃって、株もダメだし、金儲けの才能はないけど、夢見る才能はあるみたい。

qbc:
ちなみに、いかなごお好きなんですか?

ふじたごうらこ:
いかなご! ご視聴ありがとうございます
いかなごは春の風物詩。土ショウガを利かせたいかなごが好きですよ。
伍魚福主催のいかなご文学賞の受賞作です。魔王魂さまに作曲していただいて、光栄でした。今でも本当に有り難い。

qbc:
最後に、もしもの質問です。
もしも、お母さまと難聴、どちらかが自分の人生になかったとしたら。どちらがないほうが良かったと思いますか?

ふじたごうらこ:
聴力の悪さでコミュニケーションが取れない。しかも聴力が悪いと言えない。ために人間関係には恵まれなかったし、わたしの性格もある。
母親が毒親っていうのは、それがわかったのは母が倒れてからなので、50過ぎてですよ
難聴は母の教えが「難聴であることを隠せ」で。なかったら、わたしの人生は確実に変わっていた。
でも、返答はどちらも今のわたしを創ったものなので、どちらも必要だったとしか思えない。
それと世の中やったモノ勝ちなら、今度はわたしがそれをしてもいいじゃないですかと吠えたい。

qbc:
なるほど。今、ご自分は幸せだと思われますか?

ふじたごうらこ:
バレエ文学、どこまでやれるかわかりませんが、何人かに声をかけて寄稿をお願いしています。qbcさまもぜひ。
バレエを知らなくてもいいので。持っておられるイメージを文章に。
わたしは多分今が一番しあわせなはず。自分の意志でやっと表現できるから、ネット社会にも感謝しています。見知らぬ読者様にも。これからもバレエ文学やバレエの舞台をみてくださるであろう未来の読者と観客にも。
もうすぐ終わりですね、インタビューしていただけて光栄です。

qbc:
こちらこそ、お会いできて私も嬉しいです。光栄に思います。
最後に、言い残したことがあれば。

ふじたごうらこ:
どなたにも親しまれるバレエ文学、バレエイラストが集う場所にしたいです。
どなたでも歓迎しますのでぜひご寄稿ください。
ハッシュタグに、
#バレエ文学
#バレエ文学に寄稿
と書いていただけたらうれしいです。
文章でも絵でもなんでも歓迎します。

バレエも死ぬまでやると思う。
いや、レッスンの参加だけですけども。加齢と骨折、プラスサイズの体型でポワントも履けなくなった。それでもバレエレッスンはできる。マイペースでやっています。うーん、バレエが好きすぎて困るぐらいだな。やっぱりわたしは幸せです。ありがとう。

qbc:
こちらこそ、ありがとうございました!

ふじたごうらこ:
本当にありがとう!!!! 思い切り書いちゃいました!!
おやすみなさい、良い夢を。

qbc:
はい! お互いに良い夢を。

あとがき

生首バレエ。ちょっと、これは、おもしろそう。
私、ふじたさんのお話を聞いていて、きっときらきらきらびや華やかなバレエの世界を描いたショートショートを書かれているんだろうな、って思ってたんですよね。なので、だから、生首バレエという、一度聞いただけで心に爪あとを残すような作品を書かれているとは思わなかったんですよね。凄絶だよと。面白い。
人生には様々があり、その様々はインタビューの経緯の中に描きました。人それぞれの感情の物語があり、ふじたさんの場合は、そのうちに秘めた心のエネルギーが人生の(おそらく)半ばも過ぎて溢れでてきたようです。前半若くして開花するか、晩年花開くか、咲き方も人それぞれですね。他人に咲く花を愛することのできる人になりたいものです。
ひさしぶりに本格的に無名人インタビューを再開しまして、ちょっと文章が情緒的。
読者の皆さまにおかれましては、この他人という筆舌尽くしがたく鬱陶しく辞められない無限飴玉のような存在である他人、を辿るツーリズムの第2章に、お付き合いいただければもっけの幸い。
あなたはこのインタビューを読んで、どう思いましたか?
ぜひぜひ、感想をコメントに残していってくださいね。

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