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タイの駐夫の人に聞いてみた【後編】

「駐夫」って、聞いたことありますか?
海外に派遣された奥さんに同行して、その地で家庭を支える夫たちのことなんです。

このインタビューはその駐夫ロングインタビューの後編です!
タイで生活するMr.プラーさんに、日本での仕事や生活、そして現在のタイでの暮らしについてお話を伺っています。Mr.プラーさんがどのようにキャリアチェンジをしてきたのか、そして「駐在夫」としての新しい生活の中で見えてきた考え方や価値観の変化の物語を追ってみましょう!

今回ご参加いただいたのは Mr.プラー さんです!

Mr.プラーさんの通常の無名人インタビューはこちら!

こちらのインタビューの前半はこちら!


自分の中では大学って何って言われたら、サークル入った、最初は偶然入った学園祭実行委員会が自分の大学のメインのようになってるかなって思います。

さあや: 
早速、過去のとこ入っていきたいんですけれども、日本ではどんなお仕事されてたんでしょうか?

Mr.プラー:
日本では学習塾で働いてました。学習塾の個別指導っていう部門がありまして生徒1名から2名に対して先生1名っていう形で、そういうのを教える部門の教室担当者とかそういうのを、その教室を複数校管理するエリアマネージャーとか、そういうのをやってました。

さあや: 
実際に教える先生をされつつ?

Mr.プラー:
そうですね、最初の方は教えましたけども、後半はもうあんまり直接自分が教えることは少なかったですね、はい。

さあや: 
そうなんですね。それは学生を終えてもうすぐ学習塾の先生になられたんですか。

Mr.プラー:
えー、そうですね。学生が終わった後1年間営業の仕事をしてましたね。

さあや: 
あ〜、そうなんですね。

Mr.プラー:
はい。

さあや: 
そこから学習塾の先生を選ばれたのってどういうきっかけだったんですか。

Mr.プラー:
営業ですけど、国際電話を売るような営業だったんですね。いろんな法人を回ってアポを取ったりとか、飛び込み営業やったりとかそんな感じで、国際電話使えそうな会社を調べて、そこに「今お使いの電話線をうちの会社に変えたらこんだけ経費が安くなりますよ」っていうのをするような営業会社で、そこがやっぱ1年間やっていくうちに、やっぱりなかなか思ったほど営業成績が上がらなくて。
ただ給料下がるんすね、成績によって下がっていくって感じだったんで。しんどいなと思ったんで、ずっと外行ってるんで、外行かへんでいい仕事したいなと思って。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
たまたま何か転職市みたいなところ行って、転職広場みたいなそういうセミナーみたいな行ったときに昔通ってた塾の先生が出してた塾がありまして。

さあや: 
昔通ってた塾?

Mr.プラー:
そうですね、はい。

さあや: 
うん、はい。

Mr.プラー:
中学校のときに通ってた塾やったんで、ちょっとふらっと寄ったら、知ってる先生とかいて「久しぶりやね」みたいな感じになって、「うち受けてみたらいいやん」みたいな感じで受けて採用されたみたいなそんな感じで学習塾に来ました。

さあや: 
なんか子どもと接したり教えたりみたいなところって、全然抵抗はなかったんですか。

Mr.プラー:
そうですね。大学んときも一応教育実習とかそういうのも行ったりしてたんで、教育に関しては関心は少なからずあったんですけど、そのときは自分の中であんまり公務員とかそういう系の仕事は、自分には向かないなと思って、刺激が少ないなと思ってたんで。
なんかもっといろんな刺激があるような仕事を探してたっていうか、たまたまそれが営業とかの方がいいかなと思っていたけど営業もなんか毎日外行くとかしんどいなと思って。室内でできる仕事と思ったときに塾が室内だったんで、これいいやんってそんな感じですね。

さあや: 
なんで刺激が多い仕事がいいんでしょう。

Mr.プラー:
毎日ルーティンの仕事をするってのがなんか、そのときの自分の中では物足りなく思ってて、なんかもっとルーティンじゃない仕事をした方が、なんか面白いなっていうか、そんな気持ちがあったんですね。理由は特別なかったと思うんですけど。

さあや: 
どんなものを刺激だと思いますか。何か人によって違うかなと思うんですけど、こういうのがあると刺激的だなみたいな。

Mr.プラー :
たくさんの人に出会ったりとか、同じ作業を繰り返しやるっていうのが結構飽きっぽいんじゃないかな〜とか思って。
その辺もあって、営業の方がぱっとなんていうかね、成績がわかりやすくて、自分の能力を試せるなみたいなところが自分が感じてて、そのデスクワークとかって自分の能力を発揮して、それによる違いとか、パフォーマンスの違いが発揮できるんかなとか、そういうところも自分の中ではあったのかなと思いますね。

さあや: 
へえ。実際その学習塾に勤め始めてからはどうでした?

Mr.プラー :
パフォーマンスかそういう面ですかね。

さあや:
はい。

Mr.プラー :
そうですね。自分が今まで選んだ理由の杓子、そんなつもりで選んでなかったけど、営業にしても基本自分で仕事するんですね。自分以外の人ももちろん関係するんですけどほとんど自分の裁量というか、自分が頑張って回って、お客さんと商談して契約を取ってくるっていう自分の裁量で。
塾もね、たまたまなんですけど1つの教室を自分に任されて、そこにいる社員は1人だけ、教室にポンと置かれて、マニュアルを守ってたら好きになっていいよみたいなところがあって、そういうのも多分自分の中で惹かれたんかなと思って。
集団行動で何かみんなだから成果を出すっていうんじゃなくて、自分だけで考えてやるっていうのは自分の中では嫌いじゃなかったっていう、そういう感じに思いますね。

さあや: 
学習塾の先生とかそのマネージャー、取りまとめたりとかのお仕事の中で、これは結構やってよかったなとか、達成感があったなとかっていうエピソードありますか。

Mr.プラー:
達成感があったのは、やってよかったなっていうエピソード……多分あるんでしょうけど、あんまり覚えてないんですよ。
逆に言ったらね、これ何やねんと思うことの方が人間不思議なもので覚えてて、もう「頑張ったのにこれちょっとがっかりしたわ」みたいなんとかは、すごく自分の中で覚えてて、今みたいになんかハッピーエピソードって言われたときにいつも「何やったかな」って思い出したり、自分の中でそんな心震えたときもあるはずなんやけど。そんな感じですね。

さあや: 
そうなんですね。うまくいかなかった思い出の方が記憶に残ってるっていうことですかね。

Mr.プラー:
そうだと思うんですけどね。なんか多分幸せってか楽しかったこといっぱいあるでしょうね。子どもとか仕事とかで一緒に話してワッハッハとか、なんか楽しく頑張って成功したこととかはたくさんあったはずなんですけど、そんなに何かこれがもう忘れられへんとかそんなのなくて、もう全部忘れてるっていうか

さあや: 
なんで忘れちゃうんでしょう。

Mr.プラー:
あれじゃないすか、動物的な観点で危険なことに関してやっぱり再現しないようにしようと思って脳に深く刷り込まれるけど、まあまあ楽しかったことやから別にね、覚えとかなくてもいいかなみたいな感じで、あんまりね塾の仕事で良かったよ〜とかっていうのって、そんなに覚えてないですね。
かといって楽しくなかったわけじゃない。なんやかんやでも18年か19年ぐらいやってるんで、楽しくなかったら多分続けてないと思うんですよ。
そのときそのとき楽しかったけど「何が楽しかった?」って言われたら、いつもそう言われたら思い出されへんっていう感じです。

さあや: 
そうなんですね。学習塾ってどういう仕事の進み具合なんですかね。季節によって何か、いついつはこれするとか、そういうイメージがあんまり今湧いてないんですけど。

Mr.プラー:
なるほど。僕がいたのは個別指導っていうところなんで、どの時期からでも生徒は入ってくるんですね。クラス、集団指導とかだったらやっぱりそのカリキュラムが年間に決まってるんで、やっぱり学校が始まる1ヶ月前の3月ぐらいに募集してそのカリキュラムやりますよって入ってくるケースが多いんですけど、個別指導は、いつどのタイミングでもその人個人のカリキュラムを組むんで、別に4月でも5月でも6月でも7月でも8月でも10月でも1月でも入ってくるので。
大きな流れで言ったらメインターゲットが中学生なんで、あと高校生かな、小学生が割合で言ったら1割から2割弱ぐらいで中学生が4割5分から6割ぐらいで、高校生が残り3割から4割ぐらい、そんな感じだったんですね構成比率が。全学年を対応するみたいな感じだったんで。

さあや: 
へえ。何人ぐらいの先生を1つの拠点で、取りまとめるというか。

Mr.プラー :
生徒数が一番多いときで264名ぐらいの個別指導の子どもがいて、先生は大方60人ぐらいいました。

さあや: 
そんなにいるんですね。

Mr.プラー:
そうですね、大きかったですねそこは。

さあや: 
思ったより大きなチームなんだなって思ったんですけど、先生としてでも、マネジメントっていう観点からでもこういう工夫をしてたとか、プラーさんならではみたいな仕事のスタイルとかってあったんですか。

Mr.プラー:
ならではっていうことはあんまなかったんですけど、基本のモチベーションっていうか、そういうのを保つようにはしてましたよ。
子どもにしても、その先生にしても人間やから良いときもあれば悪いときもあるんで、どうモチベーション上げていくかっていうのと、この先生を使ったら全体のモチベーションが上がるから今ここで使おうとか、そういうことをよく考えてましたね。

さあや: 
へえ。シチュエーションに合わせてトランプとかで出すカードを変えるみたいな感じですかね。

Mr.プラー:
そうですね。個別指導の面白いところは、カリキュラムも自由やし、教える先生も生徒によってそれぞれ1人1人選べるし、逆にその手配をするのが自分の仕事なんですけど、そこにすごいいろんな組み合わせがあるじゃないですか。

さあや: 
うんうんうん。

Mr.プラー:
そこを、生徒もそうやし先生もお互い良いモチベーションに持っていって、その何なんですかね、求められる目標、中学生やったら定期テストとか、高校生だったら大学受験とかなんかそういうのに向けて大きなプランを練っていくんです。
そういうのを練った後日々の進捗管理を聞いて、ちょっとここをこう変えた方がいいなとか、今はこの先生じゃなくてこっちの先生に変えた方がいいかなとか、いろんなことを考えていって、そうするとうまくいったら向こうも喜んでくれるんで週1回来てる子が週2回の講座数を増やしたりとか、あと友達を呼んできてくれたりとか目に見えて成果が出るんで、面白かったですよね。
でもなんかこれが面白かったって言われたらもう覚えてないです。(笑)

さあや: 
そうなんですね。前のインタビューで、学生時代哲学を学ばれてたっていう話があったと思うんですけど、大学ではどんなことを勉強されてたんですか。

Mr.プラー:
どんなこと。正直言うとあんまり大学生のときにその勉強してないんですよ。結構適当な学生やったから大学行きたいと思って行って勉強したけど、僕は大学1浪して入ってるんですけど、1浪して入って入った大学がもう滑り止めの大学やって、もうすごい行くん嫌で親に「2浪さしてくれ」って言って。
そしたら親もさすがに入学金と1学期の授業料払ってるから、「せめてもう1学期は行ってくれ」って、「その後はもう自分で金出していくんやったらかまへんから、せめて1学期は行け」って言われたけど「そうやな、お金出してもらってるし」ってそれを渋々承服して行ったんです。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
もう大学も入学式も行ったんですけど、俺なんか全然その晴れやかな気持ち持ってないんです。仕方なく来た大学に嫌々来てるからみんなスーツは来てるけど俺普通の私服で行って、なんか別に俺は全然めでたくないよみたいな感じで。
大学のその最初の集まりとかもどうせ俺辞めるし友達作る気もいっこもないよみたいな感じで、結構ツンケンしてて。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
でも人間って不思議なもんで、行ったらなんかどうしてもやっぱね、喋ってくる人と仲良くなるし、友達ができたらどっか遊びに行くし、楽しくなって1学期終わった頃にはすごい大学に馴染んでしまって、もう大学辞めるっていう気もなくなったんですよ。

さあや: 
そうなんですね。

Mr.プラー:
だから結局それで大学も楽しくって、そのときサークル活動とかをやろうと思ってボランティアサークルっていうのに入ったんです。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
何で入ったかって言ったら、そこのボランティアサークルは何をするかって言ったら、知的障害者、身障者のところ行って、一緒にヘルパーさんみたいな介護を手伝う仕事をしたりとか、身障者の何かお世話したりとかそういうのをするボランティアだったんですけども。
実際「なんでそのボランティアするんやろう」っていうその気持ちは俺にはなくて、それがわからへんから、その気持ちがわからへんから知りたいなと思ってボランティアサークル入ったんです。

さあや: 
なんでボランティアをするか、そのしてる人の気持ちがわかんなかったっていうことですか。

Mr.プラー:
わからなくて、そうそれをちょっと知りたいなと思ってボランティアサークル入りました。

さあや: 
してみてどうでした?

Mr.プラー:
してみて、やっぱ気持ちはわかんなかったんですね。(笑)

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
でもその仕事としての必要性ってのは、こういう仕事があるんだなっていうのと、どうしたらその向こうに喜ばれるとかあるんかなとか、そういうのをいろいろ考えるきっかけになって。
特に身障者でやっぱコミュニケーション取りにくかったりするんで、そこに対しては何か察するっていうか「相手の気持ちはどうなんだろう」っていうふうに慮って考える力とかそんなんは少しだけ身についたかな。
でもなんでしなあかんかっつったら「俺がやらなあかん理由にはならへんな」みたいな感じがあって。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
誰かがやればいいけど自分じゃないとあかん理由はないなと思って。なんかちょっと足が遠のいたときに、何か各サークルからね、実行委員って言って、何か学園祭とか大学内でイベントがあったらイベントに対してサークル員を派遣するっていう派遣制度ってのがありまして、それで学園祭実行委員会っていうのに派遣してもらったんです。
もうちょっとボランティアに入ったけどそんなに面白くないし、ボランティアの人と友達あんまできんかったから、気が合わへんし。でも辞めるにも辞めにくいなって言って、なんか派遣制度があるよって言われて「俺派遣行きますよ」って「俺、ちょうど行きたいです」って言って手挙げたら、派遣でいけて。
そういう学園祭実行委員会に入って。期間限定の半年間ぐらいですね、6月ぐらいに作られて11月の学園祭で解散するような、そんなところに入って、そこがすごく性に合ってて楽しくて、そっから何か大学が楽しくなって、4年間卒業するまでいるっていう感じでなったんですけど。

さあや: 
サークルとかって結構「それがやりたい」って言って選ぶ人もいると思うんですけどそういう「やりたい」っていう候補はなかったんですか。

Mr.プラー:
多分なかったと思いますね。なんか、何かやらな面白くないやろなと思って。そうそう、たまたま高校のときの友達が同じ大学に入った子がいて、そいつに「ボランティアサークルがあるから一緒に行かへん?」って言われて行ったんがきっかけだと思いますね。でも結局そいつはボランティア入ってないんですよ、俺だけ入ったんです。

さあや: 
そうなんですか。

Mr.プラー:
それだけは覚えてます。

さあや: 
そうなんですね。

Mr.プラー:
はい。

さあや: 
学園祭の実行委員に4年間派遣され続けた感じですか?

Mr.プラー:
1年間だけ派遣で、2年生になる前にボランティアを辞めて、実行委員だけを本業でやるみたいなそんな感じになりました。

さあや:
そこで学んだとか、培ったみたいな考え方とかってありますか。

Mr.プラー:
まあ培ったのは人間関係とかですね。先輩と後輩とかそういうのはすごく培いましたね。自分の中の大学生活語るって何かあったら勉強したかった哲学でもなくて、結局は友達関係、上下関係、人間関係を培ったなっていう4年間でした。

さあや: 
へえ。

Mr.プラー:
40(歳)超えた今でも、先輩とかと会うこともありますし、後輩とかとも会うことありますし、今、同級生の子は今でもタイに遊びに来てくれたとか、そんなんは結構ありますよ。

さあや: 
へえ、すごいですね。

Mr.プラー:
そうですね。

さあや: 
へえ〜。

Mr.プラー:
結構自分の中では大学って何って言われたら、サークル入った、最初は偶然入った学園祭実行委員会が自分の大学のメインのようになってるかなって思います。

さあや:
学園祭実行委員の経験をしてなかったら、そこに入ってなかったら、今どんな生活になってそうですか。

Mr.プラー:
そうですね。多分、良くない方向に行ってたんじゃないかなって。その社会に対して荒んでるじゃないけど、斜に構えるような。
やっぱり自分の中で大学受験の失敗が大きい内容だったかなと思って。これが何て言うかな、うまく消化できないまま、もし大学辞めたりとかなんかになってたら、恨みつらみの多い人生なってたかもしれないな。今は何もないですけど。

さあや: 
恨みつらみが多い。

Mr.プラー:
別にね全部、大学受験の失敗は全部自分に原因があって、誰かが悪いわけじゃないんですけど、すごくそれを感じる人だったので。ちょっと人間が変わってるところがあったんで。
全然話変わるんすけど、国立とかも普通に受けて、1浪したからやっぱり何か勉強科目出そうと思って国公立受けて、結構センター良くて、めっちゃいい点数取れたんですセンターが。
センターリサーチみたいなAからEとかの判定出るじゃないですか。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
僕それでA判定取れて、わ〜もうめっちゃいけるやんって言って、1月の15日ぐらいから有頂天なってそっから、僕関西やから私立が2月1日から始まるんですけど、そこまで2週間ぐらい全然勉強せんくなって、軒並みだからその最後2週間追い込むところを追い込めへんままいって、軒並み落ちていって「どうしよう」と思っても周りが「いや、いいやんお前国公立あるんやから」ってそうやなと思って、後期日程でやったからもうなんかAやったから、で小論文だけ良かったです。センターの内容と小論文だけやから、そんなんで小論文でそんな逆転喰らうことってまずないなと思って、それでやっぱ遊んでしまって3月上旬ぐらいまでずっと遊んでて。
そのとき滑り止めの1校しか受かってなくて、でも滑り止めやけど、とりあえずお金入れといてもらってあかんかったら2浪しようと思ったんで親が「入れとく」って言って入れておいてもらってね、国公立の後期入試で受かるやろと思って行って、小論文を書いたんですけどもう僕小論文得意やったから全然いけると思ってたんですけど、小論文って普段練習を全部縦書きでやってたんですよ。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
原稿用紙も縦に使うっていうような感じで。たまたま初めて、そこの入試が横書きの原稿用紙やったんです。

さあや: 
へえ。

Mr.プラー:
て、横書きの原稿用紙、今でも覚えてるんですけどB4サイズの原稿用紙が、普通はその横方向に置いて縦で書くイメージだったんすけどそれが横に置かれて、それ何かわからへんけど本当横書きで書けばよかったんですけど、僕やっぱ縦書きしか書くことがなかったからそれを縦書きに直して書いたんですよ。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
そしたら途中、90分ぐらいある小論文の時間の中で、僕の前でやけに試験監督が立ち止まるんですよ。3回か4回立ち止まってて「なんやねん」と思ってて、そんときはね、結構自信もあって、原稿用紙B4やから、いや、僕だけ横になってて他の人が縦になってるから多分それを見て試験監督が止まってたんやと思うんすけど、横の人が見てないじゃないですか。
テスト終わって「終了です」ってぱっと横の人見たら、みんな縦になってて紙が。僕だけ横になってて。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
そしたらもうさすがに小論文の失格条件に当てはまってて、横書きを縦書きで書くやつなんておらへんから。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
それであっけなく落ちて、そっからやっぱり自分の中でやっぱり、何か自分の実力で落ちたんじゃなくてなんか、もちろん実力なんですけど、なんやろう「条件が俺は合わへんかった」というかたまたま何かその土俵に乗れんかったみたいな不完全燃焼的な自分の大学受験の終わり方したんで。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
だから、なんかすごく2浪したかったです。それを今思い出しました。

さあや: 
その大学に入るっていうことは、プラーさんの中ではどういう意味があったんですかね。すごく執着されてるのかなって聞きながら思ったんですけど。

Mr.プラー:
でもなんか自分の中ではなんかすごい勝手なイメージで言うんですけど、大学には入りたかったんだけど大学は中退しようと思って行ってて。
僕は早稲田目指してて、早稲田の文学部目指してて、例えば文学部のやっぱなんで来た方が作家、小説家になる人が多くて。早稲田文学部の中で中退一流、留年二流
、卒業三流って言葉があって、そんなんに憧れて大学入ったら中退しようと思ってたんです。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
なんか今思ったら頭おかしいですし、何のために努力してるか全くわからへんけど、多分そうすることが自分の中でのかっこよさみたいなの持ってて。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
なんか別に多分本当に大学に何かこだわってたかって言ったら、俺はこだわり持ってなかった。そのときはそういう考え方しかなかったみたいな、そんなところですね。

さあや:
大学はその小説家になるための過程っていう感じだったんですね。

Mr.プラー:
そうですね、薄付けみたいなイメージでしたね。
でも小説なんて全然書いたこともないんですけどね。

さあや:
そうなんですね。(笑)

Mr.プラー:
だからそう思ってただけで、やってないから別に多分中退したところで小説家にもなってないし、多分そういう世界。思いつきやったんです、そのときの。

さあや: 
今も小説家になりたいっていう気持ちはあるんですか。

Mr.プラー:
全然ないです。

さあや: 
あ、ないんですね。(笑)

Mr.プラー:
はい。

さあや:
結局大学は卒業されたんですか。

Mr.プラー:
はい、卒業しました。普通に。

さあや: 
そうなんですね。

Mr.プラー:
だから別に何も留年も何もしてないし、中退もしてないから別に普通のことなんです。なんかそういう気持ちを持ってたっていうだけで、でもちょっと変わってたんですね。


「そこに思い悩む理由に何がある?」みたいな、「悩んだからって、何がいいの?」っていうのは僕の価値観なんでしょうね、多分。

さあや: 
日本での仕事とか生活とか、今のタイの生活で一番大きな違いって何ですか。

Mr.プラー:
違い。うーん。何かな。でもやっぱり時間に追われることがないってことが大きな違いです。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
日本にいるときはやっぱり時間が足りないっていうか、睡眠時間にしても、テレビ見るにしても何かしたいことに対してやる時間が24時間で足りないよね、みたいな感じで暮らしてましたけど。

さあや: 
うんうんうん。

Mr.プラー:
こっち側は結構ね、時間が余ってて、何日間使ったら時間過ぎるかなぐらいの感じです。

さあや: 
日本では何か、どうして時間に追われてたんでしょう。

Mr.プラー:
やっぱり仕事をしたりとか、家庭でも共働きだったりとか、やっぱりしないといけないことに対して、やっぱり自分の時間を割いていくんでやっぱり自分自身のことに対する時間が割けなかったっていうところが大きいかなと思いますね、はい。

さあや: 
今のタイでの生活は、感情的にはどういう気持ちで捉えてますか。

Mr.プラー:
感情的な、そうですね、まあ平穏、のほほんとした気持ちで捉えてますよね。はい。

さあや: 
のほほんとした気持ち。

Mr.プラー:
はい。本当に日本でいるときはやっぱりやっぱ切羽詰まってるじゃないけど、やっぱあくせくっていうか、なんかやっぱりなんかちょっともっと頑張らなあかん、今これ次もこれ頑張ろう、まあ仕事の面だったりとか何かやっぱりなんか「これいやちょっと今のままやと満足できない」みたいなそんな気持ちがすごくあったけど。
こっち来て、いや別に金銭的ゆとりはないんですよ、全然。お金とかもないんですけど別に欲しいものとか別にそんなにないし、お金で買えんかったら作ればいいじゃないっていう感じの、できる時間があるので、だからその辺でそんなに何かあくせくすることがなくなったっていうか、お金のことを考えなくって良くなったってのがすごく大きいかもしれない。
仕事してないイコールお金のことを考えてない、そういう感じなんではい。

さあや: 
そうなんですね。仕事してると収入があるじゃないですか。仕事されてないってことは個人での収入っていうのはそんなに大きくない、仕事からの収入はないっていうことだと思うんですけど。
単純に聞いてると仕事をしてない、仕事からの収入がないっていう方がお金の心配ってする人もいるのかなと思うんですけど、それはないっていうことでしょうか。

Mr.プラー:
それはないですね。妻が働いてくれてるから。(笑)
2人とも働いてなかったら多分今言われたお金の心配をするんでしょうけど。妻が働いてくれてて「こんだけであの1ヶ月食費をやってね」っていうお金を渡されて、その中で食費をご飯何しようとか献立作ってとか、安くしてちょっと浮いた分のお金で遊びに行くみたいなそんなイメージですよね。

さあや: 
お小遣いをもらって、それをどう配分するか考えてるっていう感じですかね。

Mr.プラー:
なんかびっくりするくらい配分はもう考えてないです。(笑)
なんかもうそのときっていうようなレベルで任してるから。もらう日からの次もらうまでの間の期間が大体一定じゃないすか。使うタイミングは何かその不規則やから、四苦八苦はするんですけど、何かそれなりになるから。何も考えてないです。もうその辺は楽しいです。

さあや: 
なんか聞いてるとちょっと年金みたいですね。

Mr.プラー:
でもそれに近いと思いますね。最低限困ることがない。

さあや: 
(笑)。
タイにいらっしゃって2年とか3年とかだと思うんですけど、そのときはあんまり友達とかもすぐはできなくてってことだったと思うんですが、今は駐夫の繋がりもできて、大人になってあんまりお友達とか知り合いがいないとか同じ属性の人がいないっていう経験って、あんまりする人多くないかなと思うんですけど、その経験は何か今の考え方とか、意思決定とかにどういうふうに影響してますか。そもそも影響してるかっていうところもあるんですけど。

Mr.プラー:
多分自分の今置かれてる属性とかが考え方とかに影響を及ぼしてるかって言ったら、及ぼしてるんでしょうけどなんやろな、やっぱ生活、そうですね何か仕事のために何かしてる感じじゃないんで、なんかそんなに何ですか、深く真剣になる計算しなあかんとか、判断力を要するようなことが少なくなってるとかは、その生活面から自分の考え方にすごく影響を及ぼしてると思うんですけど。
自分が「これはしなあかん」とか考えるときに、今の自分の属性が関係することはあまり関係しない、そんな感じはしますね。

さあや: 
そうなんですね。うん。

Mr.プラー:
そうですね。もうなんか最初はね結構駐夫っていう存在が珍しいから友達を探さなとか、なんか思ってたんで最近なんかもう前も言ったんですけど12人ぐらいいるんすよ。僕以外にも10人最近見つかってきてて、なんかそう見つかるなと思ったら、誰もそんなに思わなくなってきて。
前はなんかすごい貴重性があるもんやと思ってたけど、今はそんなにレアな存在ではあるけど、人に会ったときには説明を要する存在ではあるけど、そこまでじゃないかなみたいな感じになってくるし。

さあや: 
そうなんですね。

Mr.プラー:
はい。

さあや: 
家族でその海外移住するとかも自分が働かないで駐夫とっていう立場になるとかって、何か決断するまで葛藤とかなかったですか。

Mr.プラー:
葛藤。そんなね、でもね、元々の性格もあると思うんですけど、そんなに葛藤する人ではないんです。
だから自分がね、どうしようこれからとかそんなんを深く考える、考えてないわけじゃないけど考えて、「考えて何なんねん」っていう気持ちを持ってるから「もう別にいいんちゃう、なるようになる」っていう。

さあや: 
もう決断をすぐしたっていう感じですか。

Mr.プラー:
そうですね。決断はでも、なんかそうですね、どういうことが計算かって難しいかもしんないすけど、妻が大学院に行ってその段階で将来海外で働きたいっていうことは明確になってたんですよ。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
そしたら海外に行くって言ったら家族別々で行くかって言ったら一緒に行きたいよねとは思ってたんで、それは妻が2年間大学院に行ってる間もずっとわかってたことで、それが大学院卒業するタイミングで、就職先が決まってそのままタイに行くってのはわかったんですけど。
でもそのときも途中で試験を受けていく段階で1次選考とか2次選考を通っていったら、だんだんリアリティが増してきて、いよいよこれは海外に行かなあかんかなっていう気持ちになってきたら、嫁さんはやっぱりね、行く気満々に行ってるわけじゃないですか。そこに「いや待ってくれ、俺仕事辞めるわけにはいかへんわ」っていうのが、何やろう、言うタイミングがなかったみたいなそんな感じですかね。

さあや: 
海外に行くかもしれないっていうアイディアっていうのは、(奥様が)大学院に行くあたりからもう何年間かかけて発生してたんですか。

Mr.プラー:
そうですね、はい。

さあや: 
そうなんですね。

Mr.プラー:
自分も何か軽く考えてて、なんかいいんちゃうってね、俺も1回海外暮らしみたいしみたいなそんな感じで思ってましたね。

さあや: 
そうなんですね。

Mr.プラー:
多分その根底には、今言われてなんでかなと思ったんですけど、根底には自分はサラリーマンやったけど、「別に将来サラリーマン辞めて独立してもいいやん」っていうそういう気持ちは持ってて。

さあや: 
うんうん。

Mr.プラー:
多分親が魚屋やってたんですよ。だから自営業だったんで、なんか別に年取ったっていうか、ある程度自分で何か「金稼げるわ」って思ったら、独立したらいいやって。別に「会社のために何かしたろう」っていう気持ちはサラリーマン時代は一切なくて、なんで、「会社ののれんで自分が儲けれるスキルを身につけたら独立しよう」ぐらいの気持ちで塾やってたから、将来独立したいなと思ってたから、別にそんなに未練はなかったですね。

さあや: 
将来起業っていうんですかね、独立っていうのも考えてるんですか。

Mr.プラー:
そうですね。状況が許せば。

さあや: 
うんうんうんうん。

Mr.プラー:
絶対しないといけないわけじゃなくて、してもしなくてもいいし、別にその状況が許さんかったらやらんかったらいいんちゃうっていう、そんな感じなんすね。
そんなこと言ったら妻に「そんな適当な気持ちでやって絶対あかんやん」っていろいろ怒られたりして喧嘩になるから何も言わないようにしてるんです。

さあや:
(笑)。

Mr.プラー:
思いが強かったからって成功するわけでもないし、思いが弱かったからって成功しないわけでもないし、それはそんときのパフォーマンスの問題もあるから、関係はないかなと思ってて、そこにあんまり力入れて喋る必要ないんかなと思ってます。

さあや: 
気持ちじゃなかったらどこにプラーさんは重きを置いてるんですか。

Mr.プラー:
もう1回言ってください。

さあや: 
その気持ちとか思いの強さは気にしなくていいっていうことかなと認識したんですけど、逆にこだわってるところとか、こういうのはちゃんとやりたいとか、プラーさんが重きを置いてるもの、ことっていうのは何ですか。

Mr.プラー:
重きを置いてるもの。別に気持ちを大事にすればとか、そういうわけではないんでしょうけど。人生がその自分のやりたい行動予定にならんかったときに、「うわ残念だ、失敗した」って気持ちには元々あんまりならないたちやっていうのと、どっちかっていうとそのときの気持ちを優先するところがあるんで、妻が「海外行くよ、ついてくる?」っていうときに、ついていきたいなっていう気持ちが出たからついていったっていうか、そんな感じで、結構そうですね。
でもそう言われたらあの「人生の決断とかはすげえサクッとするよね」と言われますね。妻にも「結婚しようよ」って言うときも「そんな簡単に言うか」みたいな感じで言われたりとか、子どもが生まれるっていうタイミングでマンション買ったんですけど、マンションを買うタイミングもちょっと自分の実家の近くに新しく建つマンションのところがあるから「モデルルーム見に行こうよ」って言ってぱっと見に行って、もうそこで即断即決で決めて、「もう俺買いますわ」って言って、30分ぐらいでもうそこで決めて向こうの人が「本気ですか、もうちょっと考えた方がいいですよ」とか言われて、「そうかなあ?」とか言って、一応考えたふりして嫁さんの実家にも相談したりとか自分の実家も相談したんですけど、そのときには俺の中では気持ち決まってて、「もうここ買おう」っていうそんな感じで、もう心は決まってたそんな感じですね。
なんやろ、結構だから即断即決派で。それが良い悪いっていうよりかは、何て言うんすかね、「そこに思い悩む理由に何がある?」みたいな、「悩んだからって、何がいいの?」っていうのは僕の価値観なんでしょうね、多分。

さあや: 
なんかマンションだったら、行ってもなんか特に考えたり何か要件をチェックしたりとかっていうのもないですか。

Mr.プラー:
もちろん多分自分の希望の要件は自分の中で持ってて、その希望の要件を満たしてるの見つかったから、即断即決したみたいなそんなイメージですよね。
なんかそう思い出した、結婚式場とかも即断即決で、なんやったらもう見に行かんでもいいんちゃうぐらいの感じで決めてました。懐かしいですね、今思い出した。

さあや: 
そうなんですね。人生で迷ったとか、決断に時間をかけたことってあんまりないんですか。

Mr.プラー:
そうですね。今言われたら本当そうですね。
あんまり自分の時間として時間軸でそれを悩んで「ちょっと時間ください」っていうのは、たまにかっこつけて言うときはありますけど、もう気持ちは決まってますよね。

さあや: 
そうなんですね。
栗林さんなんか、過去の部分で、聞いておきたいことあります?

qbc:
大丈夫です。

意外と今までの人生を振り返ってみると、これやったけど意味なかったなっていうことは、意外となくて、何か過去にあったこの経験が今生きてるなとか、そんなんは結構あります。

さあや:
じゃあ未来のところに移っていきたいなと思うんですけど、なんか学習塾を開業されたいっていう話があったと思うんですけど、なんかどこに作りたいとか、具体的にどういう規模にしたいとか、その個人にするのか集団にするのかとか、そういうものってあるんですか。

Mr.プラー:
そうですね。多分自分がやってきた内容を、やっぱりやった方が成功しやすいかなと思ってて、個別指導で、何か自分が住んでた地域でとかは考えてはいますけど、これもその物件があるとか、ニーズがあるかとか、その辺はまた調べないといけないんで、多分そこにあんまり実はこだわりはないんです。

さあや: 
うんうんうん。

Mr.プラー:
形も別にそのときに何て言うかな、ニーズがあるかどうかとかも関係するんで、もちろん自分がしたやり方はあるんですけど、ニーズがなければ、多分そこはそんなにこだわらないかなって気はしてますね。結構もう別にこだわりはないです。

さあや: 
こういう教育理念とかこれだけは曲げたくないなっていう信念とかありますね。

Mr.プラー:
もちろんあるんですけど、特別お客さんにそれを言うような内容はないかなと思ってて。僕結構ね理論で説明するのが好きなんですけど、でも一番多分大事にしてるのは勘なんじゃないかなと思って、さっきの自分の中のやつも想像したら即断即決じゃないすか。

さあや: 
うん。はい。

Mr.プラー:
でもそんときの、もう始めるときの勘を多分一番大事にするんちゃうかなと思ってて。だから別に今そんな深くは考えてないっていうか、そのとき思いつくことでやっていこうかなと思っています。

さあや: 
そうなんですね。これって何か日本でやりたいんですか。それともタイとか他の国に移住する予定とかもしあればそういう、どこでもって感じなんですか。

Mr.プラー:
条件が許すんやったらどこでもいいかなと思ってます。

さあや: 
ちなみに他の国への移住っていうのも、ありうるんですか、将来。

Mr.プラー:
いや、でも特別ないんじゃないかなと思うんですけどね。その国がどういう状況で許すかっていうのはあると思うんですけど、結構緩い国やったら多分ね、起業しやすいとかある国やったらやるかもしれないんですけど、基本タイではそれはなかなか難しそうなんで、そこはもう考えてないです。

さあや: 
タイで今を経験されてることとかこれまで経験したことを、これからの人生とか学習塾とかでどういうふうに活かしていきたいですか。

Mr.プラー:
そうですね。活かしていきたい。でも、何ていうかな。教育で何かしたいことって何かあると思うんですけど、でも、そうですね、やっぱり簡単な言葉で言うと生きる力とかをつけてあげたいなっていうのは思いますね。はい。

さあや: 
生きる力。

Mr.プラー:
はい。専門的な内容で言うと非認知能力っていう言葉ですよね。多分IQとか測定できる能力ではなくて、人とコミュニケーションだったりとか、問題を解決する能力であったりとか何か、その都度その都度発生する内容っていっぱいあると思うんですけど、時代によってまた変わってくると思うんですけど、そういうのをつけさせてあげたいなと思いますね。

さあや: 
それは日本でもやってたことですか。

Mr.プラー:
日本ではやってなかったですね。日本では普通の塾やったんで正直言ったら認知能力、数学教えたり理科教えたりとか、英語を教えたりとか、そんな比較的わかりやすいことだけ教えてました。

さあや: 
なぜその非認知能力をつけてあげたいって思うようになったんですか。

Mr.プラー:
やっぱりそうっすね。そこは結構習ったこととかが教科書のこととか、もちろん役に立つこともあるんですけども、やっぱ役に立たないことの方が多いだろうなっていうのはすごく外国きて思うことが増えたんじゃないかな、自分の中で。
そこは感じてて、めっちゃ勉強できる子とかもうでもなんか外国行ったら、なんかちゃんと人と喋れへんかったらコンビニでも何か会話もしんどかったりするんで、そんなん見てたら、なんかもっと何か別に英語も何も喋るのもいいけど、大胆にちゃんと意思疎通を取る気持ちを示せて、物を買える力の方が大事やなとか思って。

さあや: 
うんうん

Mr.プラー:
そこをそう思ったからかなと思います。あとはタイの人見てて、タイの人すごい英語使ってくれるんですけど、みんな英語下手くそやけど「俺は英語喋れんねん」とかすごい言ってくるんすよ。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
多分、多分本当、その英語圏に住んでる人からしたら、何言ってるかわからへんような英語やけど、なんか「俺は英語喋れる、お前は英語喋られへんねんな」ぐらいの感じですごい言ってくるから。でもそれって何か自分で決めたらいいんやなぐらいな感じの価値観でみんな生きてるから、そうかそうか、別にこれができるからTOEICが取れるから、俺は英語できるとかそんな基準を作る必要はないなと思って、やっぱそれって自分の中で、強く自信を持つ力っていうか、生きるための力だなと、それをすごく感じました。

さあや: 
こういう教育者になりたいとか、こういうことやってる人いいなとかっていう、理想の教育者像みたいなのありますか。例とか。

Mr.プラー:
あるんですよ。あるんすよ、一応ね、高濱先生って花まる学習会っていう、子どもが3歳から小学校低学年ぐらいまで扱う東京経営かな、★株式会社こうゆうの花まる学習会っていうとこあって、高濱先生っていう人がいるんですけど、その人みたいな塾にはしたいなと思ってますね。

さあや: 
どういうところに一番惹かれますか。

Mr.プラー:
そこもやっぱり子どもの幼少期にいろんな経験をさしてあげる、自然体験だったりとかをして、非認知能力を高めて生きる力を伸ばしていこうぜっていうところなんですけど、1回仕事を辞めて転職活動しようとして、その高濱先生の会社とかも調べてどんな感じかとか見に行ったりもしたんですけど。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
高濱先生も最初1人とかやってたけど今はもうだいぶ大きくなって、社員数も100人200人なってきたから、自分で管理しない教室も増えててそういう教室を見たときに、最初に言ってた高濱先生の、なんていうか理想は実現されてないんやな〜ってのはすごく感じて。

さあや: 
はい。

Mr.プラー:
だからなんか、難しいですよやっぱり。自分ができることを他者にもお願いして再現できるかってすごい難しいんで、塾で規模を求めたら、理想がなくなっていくんやなっていうのをすごい見たんですね。
それをだから自分の中では、そう、今は希望とかもいらないし、大きくしたいなっていうか人を雇って何かしたいなっていうよりかは逆に言うと、自分でできる範囲で、それで満足できる人数で生活できるレベルやったらいいかなぐらいの感じで、塾に関しての起業イメージってのは持ってて、もうでかい塾にしようなんて気持ちはもうさらさらないっていうか。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
そんな感じですね。

さあや: 
なんか人生を1本の線で書くとしたら、過去の経験と今までのタイでの生活って何かどういう1本の線というか、どういうストーリーで語れるんですかね。

Mr.プラー:
そうですね。難しいですね。

さあや: 
はい、日本ではこうで、タイではこうでっていうストーリーみたいなのって。

Mr.プラー:
でも、逆に言ったら連続性が小学校とか中学校、高校、大学、社会人っていう流れのあるストーリーがあったのが、タイではストーリーっていうのは流れがなくなったと思うんですね。ぷつっと切れて、途中でその線は切れて、浮いてるようなイメージですよね。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
ええ、浮いてどこに行くかまだ自分わからへんし、周りはもっとわからない。もうほんとにそんなイメージですかね。

さあや: 
まだ点を打ってるっていう感じですね。将来点は繋がりそうですかね。

Mr.プラー:
そうですね。繋がるんか繋がらへんのかって言ったらどうなんすかね。自分が生きてるって意味での線は繋がるでしょうけど、連続性が発生してるかって言われたら、発生してないこともあるんじゃないかなと思いますね。
でも意外と今までの人生を振り返ってみると、これやったけど意味なかったなっていうことは、意外となくて、何か過去にあったこの経験が今生きてるなとか、そんなんは結構ありますね。

さあや: 
それは結構狙ってやってる感じですか。

Mr.プラー:
全然狙ってない。偶然ですね、はい。

さあや: 
偶然。

Mr.プラー:
はい。そうなんか僕ね、なんかそう多分あんまり他の人と違うところは、やっぱり何やろ運命に関して、運命って言葉すごい好きで、世界史用語で、中世の王様が何で偉いかっていう。
王様が神様から王権を与えられた王権神授説みたいなのがあるんですけど、そんな感じで、もう僕ん中で運命っていうか運命神授説みたいな感じで、神様が俺を導いて勝手に動かしてるぐらいのイメージで思ってるからあんまりそこに関しては深く考えてないっていうか、なるようにしかならない。
自分で100考えたからってその100の通りならへんかって不満に思うぐらいやったら、別に「こうしたいな」ぐらいな気持ちを持つけど、そんな深く考える必要ないんじゃない?って、自分の中ではそう思ってますね。

さあや: 
なんか今の経験って、そのタイで駐夫をされてるっていう経験は、未来の夢とかビジョンとか、そういうのを考える上で、どういう影響を持ってますか。

Mr.プラー:
そうですね。将来の夢、ビジョンに対してゆとりを持たしてくれてるなと思いますね。

さあや: 
ゆとり。

Mr.プラー:
今47なんですけど47歳の将来の夢ってのは、ここでないといけないっていうような、固まったもんじゃなくてもいいんじゃない?とかそこは本当に気楽に考えてもいいんじゃない?とか。
なんかそんなに「これができなかったら俺は人生最悪だ」とか「不幸だ」とか思うようなことは、あんまりなくなったっていうか、そういう感じはあんまりなくなりました。

さあや: 
選択肢っていう意味と、何か圧力みたいな感じですか。

Mr.プラー:
そんな感じですかね。そうそう今思い出した、ちょっと話ずれるんですけど、僕もあの塾に入ったときは最初はもうめっちゃ社長を目指しててバリバリ働いて、俺が一番になりたいやってすごい気持ちを持ってて。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
でも辞めるときってやっぱり社長になれへんわけやから、やっぱりなんか「負けたな」っていうか自分の中のうまく消化できない気持ちもあったんですけど、でも本当に何で社長になりたかったのかなとか考えたりすると、別になんかあんまり深い理由はなかったなとか、なんか結構そんなに自分が何かやりたい理由ってそんな深い理由はないなっていう。
そのとき強く思ってるだけで、強く思っただけで特に理由はないなっていうような感じになって思えてきて、今だから逆にこんなにやりたいことを、あったとしても別になんすかね、おぼろげながら思うぐらいで、強く思う必要もないんじゃないかなと。全然叶わなくてもいいかなとか思う感じですね、はい。

さあや: 
ふうん。そうなんですね。叶わなくてもいい。

Mr.プラー:
まあ別にって言う。そんな感じですね、はい。

さあや: 
今大事にしてる価値観とか、哲学、自分なりの哲学ってどんなものがありますか。

Mr.プラー:
今は大事にしてる哲学。そうですね。でも自分の中で思ってることは多分他人からどう思われたって別にいいっていうかそんな気にしないっていうところは持ってて、自分の中での価値の一番最上位に置いてるのは家族を一緒に過ごすとかそういうことを一番上に置いてて。
別にそれがずっと続くかって言ったらそういうわけでもなくて多分今、この1年はそういうのを最上位にしてるけど、多分日本に帰ったタイミングとか、何年かわかんないそういうタイミングでは仕事が上位に来てるかもしれない。
そのときの自分が大事にしたい価値観を、そのときそのとき対応していこうかなぐらいの感じですね。

さあや: 
これまでの人生を振り返って、ここ成長したなどか、ここは自分は大きく変わったなっていうところはありますか。

Mr.プラー:
そうですね。ごめんなさい。今ちょうどね、コンロをちょっと変えるっていうのがあって今コンロの人が来てくれたんで。でもこっちは続けれるんで大丈夫です。目の前でコンロ変えてくれてるっていうだけで。

さあや: 
わかりました、あと少しだけ。これまでの人生の中で成長したのか、ここ大きく自分変わったなみたいな変化ポイントとかありますか。

Mr.プラー:
でもそれがこだわりなくなったっていうとこですね。

さあや: 
うんうん。

Mr.プラー:
多分今日も現在と未来の話ですごく自分の中では思ってたんが、やっぱ大学受験のいろんなこだわったとこあったけど、今すごくこだわりがなくなって、金銭的こだわりもなくなったから本当になんか、生きてるか死んでるかわからへん、なんか本当に気楽なんですよね、はい。

さあや: 
その変化っていうのはプラーさんご自身でポジティブなものですかね。

Mr.プラー:
ポジティブですね、すごいポジティブ。すごい何かお金にこだわらずに生きていけるっていう。でも、自由な貧乏人か束縛のある奴隷かっていう仮にそんな言葉があるとしたら、もう自分は自由な貧乏人でいいんかなみたいな、そんな感じで今思えてるんで、すごい気楽ですよね。

さあや: 
読者の方に伝えたいこととかメッセージとかありますか。

Mr.プラー:
そうですね。いやもし伝えたいことがあるとしたら何かな、すごい日本の人はやっぱすごいね、真面目やなと思うんで、もうそんな真面目に生きなくてもいいんじゃない?っていうのが、自分の中で今最近思うことですね、はい。

さあや: 
うん。真面目っていうの何か別の言葉で言い換えるとどうですか。

Mr.プラー:
そうですね。一生懸命に何かしないといけないと思ってる節はあるなと思って、一生懸命じゃなかったら悪みたいなそんな意識がみんな強いなと思ってて、別にそんな価値観で生きてる人って、世界でそんな多くないだろうなと思って。
別にのんべんだらりで生きてることが何で良くないのっていうときに、「そんなんよくないよ」っていうふうに頭ごなしに言う人が多いけど、それが何でいけないかっていうことを説明する人は少ないんちゃうかなと思うんですよ。

さあや: 
うん。

Mr.プラー:
僕は別にその日本の価値観が全てじゃないから、もっとだらけてもいいし、ゆっくり生きてもいいんちゃうかな。人生100年時代だし、やっぱりね、今すぐこれしないといけないみたいなことはないから、何かもっと気楽に考えたらいいのかなという感じは思いますね。

さあや: 
うん。わかりました。栗林さん、何かありますか。

qbc: 
大丈夫です。

さあや: 
プラーさんから言っておきたいこと、言い残したことありますか。

Mr.プラー:
そうですね。でも本当追加で2時間、合計3時間インタビューしてもらえてすごいありがたかったです。ありがとうございました。

さあや: 
こちらこそ、お時間いただいてありがとうございます。

Mr.プラー:
すごい自分の中での考えがまとまりました。何がしたいんかなってのはすごく自分の中では見えました、なんかイメージとして、はい。

さあや: 
そうなんですね。

Mr.プラー:
すごいまとまる時間になりました。

さあや: 
よかったです。

Mr.プラー:
はい、ありがとうございます。

あとがき(インタビュアー)

海外文化を取り入れてる人に対して、海外かぶれ、という言葉がありますね。日本は島国で、自国以外が文字通り海外。地続きの国々は「隣の県」くらいの感覚なのかなぁ。
日本にもっと「海外かぶれ」が増えたら良いのになって思います。そうやって、生き方の選択肢が多様化していって、その中で生き残る日本文化がきっと素晴らしいから。

あとがき(編集)

今回はプラーさんの価値観をより深く知る回になったように思います。価値観って簡単に言うけれど、人の価値観は自分から知ろうとしないと目に見えないし、耳にも届かない。ふとした時に「そういう考え方もあるのか」を洗い出すインタビューの効力に驚かされます。
また人の価値観を知ることで自分の価値観まで浮き彫りになるのが改めて不思議だと思いました。

【インタビュー・あとがき:さあや:】

【編集・あとがき:meadow】

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